6
「今度国政へと出馬することになりましてな」
トールス医師の元へ赴くなり息子のことなど一切聞かずにそういった。医師はおめでとうございますと覇気もなくいうと、一応「息子さんはまだ良くなりそうもありません」と告げておく。医師は痩せて頬がこけ、すっかり疲れた様子であった。氏は聞いて心配するどころか、そうでしょうそうでしょうと満足げに首を縦に振る。
「それはそうとお疲れですかな、先生。顔色が大分悪いようですが」
医者の不養生というもんですかな。いうと顔ツヤも体格も態度も増したデマン氏は大きく笑う。トールス医師はもううんざりだった。正直にいわせてもらえれば、デマン氏のように無教養で人の言うことを信じやすく、しかして情に熱いわけでもないお調子者は離婚した父を見ているようで甚だ不快だった。
「デマンさん。あなたは自分のしたことが何か判っているのですか?」
実は二、三日前に一部の国や学校がSNSなどツールやそもそもインターネット自体を遮断した報道がなされていた。しかし、これらの国が実際にマビスコ・プルトクフスを原因としてワールドワイドウェブを隔離したかといえば、その多くの国々は独裁的な政治体制のある国が殆どであった。医師は明らかに苛立った声で
「あなたは世界(と私)の自由の半分を奪ったも同然なのですよ」
と自身を織り交ぜる形で苦言を呈す。デマン氏はそれに怯みもせず、むしろふんぞり返って両腕を組んだ。
「確かにそうかもしれません」
トールス医師の言葉にそう返した氏は意気揚々と反論を始めた。
「しかし、世界は元々自由を必要としていないと思いますな。この環境は毒をばら撒くばかりではありませんか。人々は音楽や踊りを愛してはいますが、その中身を深く愛さなくなりました。他所の文化や他人と見比べて悲観し、或いは他人の揚げ足を取って非難することが顕著になりました。嘘を真実のように語って、或いは悪のまま悪い仲間を集めるのがより上手くなりました。私の息子もそんなところをどっぷりと浸かっていたではありませんか。こんなことは現実に悪影響を与えるだけなのです。トールス先生。私はね。誰もが自由なことを述べられる混沌とした場所よりもかつてのように理路整然とした選ばれたニュースのみが流れるべきだと思うんですよ。息子のような人間をこれ以上増やさないために、私はこの国、いや、世界のために働こうと思ったのです」
それは素晴らしい。あなたの息子は盛大な拍手を送ってくれるだろう。トールス医師は心の皮肉を脳に響かせる。何も言わないで猫背で前に突き出した顔でデマン氏に、好意的とはいえない目を向ける。すると、デマン氏はようやく空気を読んでくれたらしい。焦った手つきで懐を弄ると一本のフラッシュメモリを取り出して机においた。
「実はここへはこれを渡しに来たんです。面白いものを入手しましてな。この中にあの例のサイトのデータが入っているのです。何かのお役に立てるんじゃないかと」
「見たんですか?」トールス医師は眠そうな目を擦って椅子に座りなおすと聞いた。
「いえ、正確には音楽データでしてな。私は聞いておりません。狂ってしまうといけませんからね」
現在IT技術者に解析させているところでこれはそのコピーだというと彼は誇らしげにいった。どうやらここ一週間でITに幾分かの知識を備えたらしい。氏はずいと頭を突き出した。
「それからね。私はもうまもなくですがマピスコ・プルトクフスの本当の意味が解りかけているのです」嫌味ったらしい笑顔が浮かんで医師を射抜く。「マピスコ・プルトクフスとはあなたの過去だ」
トールス医師は思わず口を開けてしばしば絶句した。デマン氏はしてやったりと上機嫌に医師を見上げると立ち上がって「では、真相を解明したらまた来ます」と診察室を去っていく。医師は父を見出すようなその背中を見送って、まるで人形の糸を切ったみたいにダラリと椅子に沈み込んだ。視線をフラフラと彷徨わせ机に置かれたメモリを見て、その時、ふと考えついた。このデータを見て狂えるのなら、いっそ狂ってしまった方がいいのではないか。そう思うと自身のパソコンに挿していた。ファイルは一つ。例のサイトで流れてたという音楽データ。再生して、それから何もかもはっきりした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます