♯02 殺し屋と約束
これは5年前の話、俺がまだ殺し屋だった頃の話だ。
俺は上からの命令でアメリカに住む貴族の女の暗殺の任務についていた。
その標的である彼女──マリア・アンデルセンはとても心優しく美しい赤髪が特徴的な女性だった。
身寄りの無い子供に食事を与えたり悪漢から御年寄を庇う様な善人、誰からも恨まれる事の無さそうな人間だった。
何故、そんな彼女が殺されるか疑問を問う事は無い。上流階級の世界では妬ましい奴を暗殺なんて良くある話だ。
『あら、お客様?恥ずかしがらないで出てきて下さいな』
『まさかバレているとはな…大声を上げなくて良いのか?俺はお前を殺しに来たんだぞ』
『…知っているわよ。大丈夫、逃げたり助けを呼んだりはしないわ。貴方の望みは叶えてあげる』
『それは大人しく殺されてくれるって事で良いんだな?』
『さぁ…でも、その前にお話しましょう?』
正直、助けを呼ぶ為、もしくは俺に気付いていたんなら仲間が来るまでの時間稼ぎにしか思えなかった。俺の最善の選択は今すぐこの女を殺して離脱する事……
『お話の邪魔は入らないわ。主人も仕様人も私に興味無いもの』
しかし、俺はそれが出来なかった。彼女を偵察していた時、身寄りの無い子供に食事を与える彼女の優しさを見たからだろうか?それとも、悪漢から御年寄を庇う勇敢な姿を見たからか…彼女になら騙されても良いと思った。
…今思えば、ターゲットに情を持ってしまった俺に殺し屋には向いていなかったのかも知れない。
俺と彼女は沢山の話をした。…とは言え、彼女からの質問に答えて日本の話をするくらいだったが、その間に助けが呼ばれる事はなかった。
『貴方、悪い人から私を守ってくれたでしょ?私、覚えているわ』
『どうだかな?俺には記憶がさっぱりだな』
悪漢から御年寄を庇った彼女の姿を見て咄嗟に助けた事があった。思えばあれが失敗だった。
『貴方は優しわ、何で暗殺者なんてやっているの?』
『お金が無かった…何て在り来りな理由だよ』
『そんな優しい貴方に、頼みたい事があるの』
『…今更、助けてくれは無理だぞ?こっちも仕事だからな』
『そんな卑怯な事は頼まないわ。ヴィルべスタって町を知ってるかしら?』
『話には聞いた事はあるな、確か楽園と呼ばれる新しいアメリカの都市だ。1度くらいは行ってみたいな…』
『…なら丁度良いわね、そこにスカーレットってお店があるの。多分、そこで私の娘が働いているわ』
『…娘?…アンタ、娘がいたのか?調べた限りはいなかったぞ』
『うん、私がまだマリア・ヨルベッタだった時のね。情報は残って無いわ、色々あってね』
『…それで、その娘がどうかしたのか?』
『もし貴方が仕事を辞めてヴィルべスタに行く機会があったら、娘の事を気にかけてあげてほしいの』
『…まぁ良いだろう、約束する。そんな事は有り得ないだろうがな…』
『大丈夫よ、貴方はヴィルべスタに必ず訪れる事になるもの』
最初は少し考えたが、心優しい彼女に免じて口約束くらいは受け入れようと思った。
しかし、あの時は本当に仕事を辞めてヴィルべスタに行く事になるとは思わなかったな。俺は死ぬまで殺し屋を続ける筈だったからな……
「お客様、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ。席に案内してくれるかい?」
「かしこまりました。お席にご案内します」
そう言って彼女は俺をカウンター席に案内してくれた。間違えない、確かにマリアの娘だ。
「あら、いらっしゃい。貴方、初めましてよね?注文は何にする?」
カウンター席に座るとマスターらしい男性が話しかけてくる。見た目は割と男らしいが喋り方や仕草に少し女性らしさがある。ニューハーフ系の方のようだ。
「…なら、ジンフィズとマルゲリータを頼むよ」
「ジンフィズねぇ…もしかして私、今試されてるのかしら?」
そんなつもりは無かったのだが…ジンフィズはシンプルな構成のカクテルだが難しい技術を必要とする。
作り手によって個性や考え方が出てるから目視と味の両方でバーテンダー技量が測れるカクテルだからな。彼に勘違いをさせてしまったのかも知れない…まぁ、敢えて訂正はしないでおこう。
「さぁ、どうかな?只、常夏のヴィルべスタにはジンフィズが合いそうだなと思ってね?」
「あら貴方、可愛い顔して性格が悪いのね。嫌いじゃないわ」
「それはどうも、光栄だな。そうだ…これは参考までに聞くんだけど、あの子の好みはどんな男かな?」
「あらミリアちゃんの事?男なら自分で聞きなさいよ」
そうこうマスターとの会話をしてるうちにマルゲリータとジンフィズが出てくる。手を合わせてから、まずはジンフィズを一口……
「…美味しいな、このジンフィズ…レモンの酸味が強めだが、これは濃いめの料理に合いそうだ」
「ふふっ、お眼鏡に叶ったかしらね?」
「あぁ、色味も良いが味も最高だ。マルゲリータの方も頂こうかな」
マルゲリータも実に美味しかった。というかピザを食べるのは久々で、こちらも絶賛してしまった。
「次は何にするのかしら?」
「そうだな、ブラックローズを貰おうかな」
「あら、ナイトキャップのお酒だなんて…もう飲まないの?」
「今日は飲みに来た訳じゃないからな、これで最後にしておくよ。まぁ、この店は気に入ったからまた来るよ」
「ふふっ、また貴方と話すの楽しみにしてるわよ」
俺は出てきたブラックローズを飲み干し、会計を済ませてホテルに戻った頃には良い感じに眠気が回っていて、昼間に寝たにしては、その日はグッスリと安眠できた。
◆◇◇
…──で、それから一週間が経ち、すっかり俺もこの国での生活に慣れてきた。
しかし、未だに仕事もちゃんとした住居も見つかっていない。こりゃ参ったな、早く見つけなければ……
そんな俺が何をしていたかと言えば毎日、外を歩き回って色んな店に行ったりしたり、夜はスカーレットに行ったりの繰り返し。既に俺はBARの常連になりつつあった。
そして今日も今日とて俺は町に繰り出している訳だが…──あれは…ミリアちゃんか?
いつもの様に町を徘徊していると、スカーレットの店員であるミリアちゃんを見掛けた。何をしているんだろうか?
「ミリアちゃーん!こんな所で奇遇だね!」
「げっ…お兄さん、こんな所で何してるの?」
「ミリアちゃんの私服、可愛いね?買い物か何か?」
「まぁ、店の買い出しをマスターに頼まれて…」
「レオンに?…手伝うよ、何を買うんだ?」
「あの…毎日の様にお店に来てくれるのは有難いんだけど…毎度毎度、私を口説こうとするの辞めてもらって良い?寒気がするんで…」
「…君を口説いている?俺が?…話してるだけのつもりなんだけどな…」
「…女性に話しかける時はいつも無意識に口説いてんのかお前は?」
「何か店の時より口が悪いな、これがミリアちゃんの素なのかな?でも、そういうのも良いなぁ…」
「うわっ、変態かよ…」
俺が毎日スカーレットに通っているのは、BARのマスターであるレオンの作る酒が美味いのもあるが…やはり、マリアとの約束が一番大きな理由だった。
この1週間、スカーレットに行く度にミリアちゃんに話かけているのだが…どうやらナンパしてると勘違いされていたらしい。「困ってる事ない?」とか「俺が力になるよ!」って言ってただけなんだけどな。
「俺は男手があった方が何かと便利かと思うけど?」
「…まぁ、本当は断りたかったけど、今日は荷物が多いのでお願いします」
「やったね!…さて、まずは何処に遊びに行こうか?」
「あの、遊びに来たんじゃないんだけど…それよりどうしてこんなに私に構うんですか?」
何故、構うかか…当然、マリアから「娘を気にかけてやってほしい」と頼まれたから…ってのが一番だけど、ミリアちゃんへの申し訳なさもあるんだよな。
「君みたいな可愛い女の子に何かしてあげたいのは男なら誰でも一緒だよ」
「…はぁ、そういうところなんですよ」
そう言って呆れながら彼女は前を歩いて行く、追いて行かれた俺はそれを追いかける。
「…で、何処に行くの?」
「この近くにあるショッピングモールです。店の食材を買い込むんです」
「確かにそれなら俺の手も借りたいな、荷物持ちは任せてくれ!」
「男手が、必要だったんですが…マスターが今日は忙しかったので仕方なくですよ」
そう言ってツンツンするミリアちゃんと話しながら店を見回っていく。心做しかキョロキョロしてあっちこっちに歩いていくミリアちゃん…
「なるほどぉ…ミリアちゃんはこういう場所が好きなのかぁ」
「なっ…そのニヤニヤした顔は引っ叩きたくなるので辞めてもらえないかな!?」
「いや、分かるよ。こういうスーパーって色々揃ってるからワクワクするよなぁ!」
「違くてっ…ここ、マイナーな品は毎月違う商品に入れ替わるから、それが面白いだけ!別に毎回はしゃいでる訳じゃないから!」
「やっぱり、さっきのはしゃいでたんだ?」
「…もうお兄さんなんて知らない」
余計な事言ったせいで拗ねられたし、何なら明らかにBARで使わなそうな物まで入ってたんだが…もしかして仕返しだったのだろうか。
その後は二人でBARに戻るだけだったのだが…何処からか泣き声が聞こえた。どうやら小さな女の子が一人で泣いてる様だ。誰もそれを見て、立ち止まる気配も見向きさえしない。
「ねぇ、どうしたの君…迷子なの?」
しかし、周りの誰もが女の子に目もくれずにいる中、彼女だけが足を止めて少女に歩み寄った。
少女と同じ背丈まで腰を下ろした彼女が再び泣きそうになった少女に優しく語り掛けている。
「ぅぅ…ママ、何処かに行っちゃった」
「一緒にママを探そうか?」
「うん…ママに会いたい」
その時、少女のお腹の虫が鳴いた。どうやらお腹が空いてるらしい。
「お腹空いちゃった?何かお姉ちゃんが買ってあげる。何が食べたい?」
「えっと…ハンバーガー!」
ミリアちゃんは女の子と手を繋いで近くに複数あった移動販売のお店のファーストフード店でハンバーガーを購入し、女の子に食べさせていた。
あぁ、やっぱりだ…やっぱりマリアの娘なんだな…と彼女を見て改めて思ってしまった。
その後、食材は店近くにある冷蔵機能の付いたコインロッカーに入れて、俺も女の子の母親を探すのを手伝ったのだが…意外とあっさり見つかって良かった。
ミリアちゃんと俺は女の子とその母親から何度も礼を言われて、何故かアイスクリームまで貰ってしまった。お礼もアイスもミリアちゃんにだけで良かったんだが…
「良かったんでしょうか、アイスなんてご馳走になって…」
「良いんだよ、それにあんなに美味しそうに食べてたじゃないか」
「これはっ…お礼なのだから食べないと失礼でしょ!食べ物粗末にするのは絶対にNGです!」
「ははっ、それもそうだな!」
「それより食べ終わったなら、早く買った食材を取って来て下さい!」
「おっと、そうだった…じゃあ、直ぐに取ってくるよ!」
そう言って俺が席を立ち上がり走り出した時、道路側で明らかに怪しい動作を見せる車があった。道路を斜めに突っ切って進んで来る。
車のそのスピードは徐々に上がり、他の車も慌ててブレーキを踏む。その車が向かう先は……
「…──ミリアちゃんッ!」
凄い音と共に身体の感覚が無くなる。気付くと俺は空を見上げていたが、右目は完全に視力を無くしていた。頭が物凄く痛い…周り声が良く聴こえない。
「──さん!お兄…お兄さん!」
目の前に誰かが見える。綺麗な赤い髪、ルビーの様な美しい瞳から雫が落ちて…何故だが、俺は彼女の涙を拭いてあげたくて…だけど、その手は上手く動かない。
「絶対、助ける…もう誰も…死なせせないッ…」
誰かが俺の為に泣いてくれている。それだけで十分だった…帰る場所も目的すらないんだ。これで、もう満足だ…このまま──このまま逝けたらどれだけ幸せだろうか。
…俺は本気でそう思ってしまったんだ。そして闇に俺の意識は落ちで行った。
『起きなさい、早く起きなさい…』
暗闇の中で声が聴こえて…──急に太陽の光が目に染みる。
そして、目が覚めると俺は見知らぬ部屋で…どうやら寝てしまっていた様だ。ベッドの傍にはミリアちゃんが寝ている。
そうだ、思い出した。俺は歩道に突っ込んで来た車から彼女を庇って──そのまま車に……
あれ?でも、おかしいぞ。何で俺は生きているんだ?明らかに直撃したし、間違えなく拡張した部分も只じゃ済まない筈だ。
…だが、俺は生身の肉体のまま…しかも拡張部位も新品同様…鼓膜の拡張パーツも機能している。あの怪我は病院に運んだって助かる可能性は限りなく低い筈だ。
「っ…お兄さん?…──お兄さん、良かった、生きててくれた…」
そんな事を考えていると、ミリアちゃんが目を覚まし俺が生きてたと
「えっと、ここは天国か?目の前に天使がいるんだけど…」
まぁ俺が行くとしたら地獄だから、これは現実だと知ってはいるんだが……
「何寝ぼけてるんですか?私はミリアですよ」
「可愛い過ぎて天使に見間違えたって事だよ」
「もう、何ですかそれ…」
彼女が少し滲んだ涙を拭いていつもの表情に戻る。やっぱり俺なんかの事を心配してくれていたんだな……
「…まぁ、良くは無いかも……」
急に彼女が深刻そうな顔をしだす…というか、どこか申し訳無さそうな……
「私、お兄さんに謝らないといけない事があるんです」
「あー…あれは、俺が庇ったからでミリアちゃんは何も…」
「そうじゃなくて…私が、お兄さんに人間を辞めさせてしまった事についてです」
♯02 殺し屋と約束…──[完]
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