第18話 自業自得|因果応報


 その日、北倉 摩耶は早めに仕事を切り上げて支部に戻っていた。

 無論、早め…といっても手を抜いたりはしない。

 いや研修している頃には多少の手抜きはあったが、そうやって手を抜いたら困るのは自分らと一般人なんだと、に口酸っぱく言われて治したのだ。

 あれから一人で仕事に出た際の二重確認は欠かせていない。


 彼女の主な任務は、主に区内のあちこちに隠されている厄除けの修繕。

 彩里の様な見回り組が指定区内の確認し、欠損や綻び等が発見されればそれの対応に向かうのだ。

 万が一の事態なんぞ起こられてはかなわない。

 もう絶対に、だ。


 沈みかかった気持ちを溜息と共に吐きだし、摩耶は施設に入っていった。

 そして、会議室に向かう。

 いや、普段から事前会議ブリーフィングに使っている部屋であるのだから、目を見張るほどおかしな行動ではない。

 ただ何時もの彼女なら報告書を纏め、それを提出してタイムカードを刺してとっとと帰る流れなのだが、となる。

 しかしこの日に限ってふらりと最初に会議室に足が向かっていた。

 別に誰かがいると期待しての行動ではない。

 本当に足が向かったのだ。


 ――と、件の部屋には先客の姿があった。


「へ? 何かあったん?」


 思わずそう問いかけてしまう。

 何しろ会議室には狩野と森脇、普段は余りよりつかない勝治と、修行漬けの繁までいる。

 部屋に入ってみると、狩野の横には彩里の姿もあった。

 一様に表現の難しい表情をしており、何かしら妙な話が持ち込まれた事に間違いなさそうだ。


「えっと…。」


 彩里は摩耶を見て、何かしら言葉を紡ごうとするが次の句が出てこない。

 助けを求めるように狩野に目を向けると、


「かまわん。

 こいつにも話してやれ。」


 深く彼は溜息を吐きつつそう促した。

 「何やの…?」と訝しむ摩耶であったが、覚悟を決めたような顔で彩里に語られた事には目を剥く事となる。


「えと、その……。

 今日、本局からお願いがあって、支部長と中央に行ってたんです」

「ふぁ? 本部から呼び出し掛ったん?」


「いえ、その本局を通して……。



         西条家のお屋敷に。」







 その屋敷は中央区でも外れの方にあった。

 西条家の屋敷、といっても本宅ではない。

 本宅は今も対策局の抑えられたままで、家人はこの別宅での生活を余儀なくされている。

 まぁ、態のいい軟禁なのであるが。


 何でこんな屋敷に彩里が呼び出される羽目になったのかというと、ここにはこの間の事件の被疑者がいる為だ。

 この青年は未だに廃人状態のままで、研究者達による初期の構造観察では霊基構造が破壊されてこうなったのだと推測されていた。

 しかし、時間が経過しても廃人状態が維持されたまま。時折か細く悲鳴のような声が零れるが、生者とも死者ともつかない不可思議な状態が維持され続けている。

 無論、研究部には高性能の霊体波動観測機もあるが、それから得られるものはデジタルデータに過ぎず、波形が壊れているといった漠然な情報しか読み取れないのが実際だ。

 そんな状態の我が子の安否を気遣う家族からの強い願いに押し負けたか、或いは何かしら取引があったのかは知らないが、局長から彩里に視てもらえまいかとが届いたのである。


 高度に進んだ技術による計測がデータしか得られず、見鬼というアナログ技術に頼って来るというのは、何とも皮肉が利いた話だ。

 しかし実際、依然として例の被疑者の容体が不明のままで、法具に施されたがどう噛み合ってしまっているのか、今一つ把握できないでいたのだから、家族は元より神霊治療の観点からもせめて何らかの取っ掛かりが欲しいという声も上がっていたの事実である。




『都心部でこんな……。』


 と、彩里が呆気にとられるほどその敷地は広かった。

 門の前に立って左右を見渡してみるがずっと塀が続いている。

 中央区の一区画は占めているらしい。

 狩野によるとここは千坪はあるという。

 これで別宅だというのだから、本宅とやらはどんなものなんだろう? 憎たらしい家の事ながら気になってしまった。

 しかし、玄関から中に案内されてみると印象が変わる。

 案内してくれていてる年嵩の、所謂のような女性だが、普段着にエプロンという所帯じみた恰好をしている。

 所作には確かに品を感じられるが、それは飽く迄も一般的という範疇であり、昔風に例えるなら『お手伝いさん』というレベルだ。

 外面を気にしていた以前とは大違いである。

 まぁ、お陰でそんなに緊張せずに済んでいるのだが。


「こちらになります。」


 ややぎごちなく案内されたのは屋敷の中央付近。

 そこには渡り廊下を挟んで離れのような建物が見えている。

 間取りとしては少々異様であるが、家が家だけに簡易的な祭事に使われる為にこういった造りになるのだろう。


 しかし――


「う…っ。」

「これはまた……。」


 彩里は元より狩野ですら感じられる奇妙な霊圧。

 念が強い云々ではなく、腐敗した沼地を想わせるような気色の悪さを放っている。


「そ、それではここで……。」


 流石に一般人レベルの者には耐えられなかったか、案内してくれた女性はそそくさとこの場を立ち去ってしまう。

 目の前の離れに案内されているのかどうかの確認もできていないのだが。


 ただ、気持ちは分かる。


 狩野達二人の目からすれば、渡り廊下の向こうは異界だ。

 離れの建物自体も小さな社程度であるが、放たれている存在感が半端ではない。

 建物にべたべたと封じ札が貼られているにも拘らず、だ。


 流石にたじろいてしまった二人だが、このまま突っ立っていても仕方がない。

 覚悟を決めて渡り廊下を進んでいった。

 宛ら、伏魔殿に赴くように。




 

「奥にいたのはご両親と、その……。

 例のひとです。」


 離れの中は何もなかった。

 いや、何か仕切りの跡の様なものは残っていたので、柱を残し壁が取り払われたと思われる。

 部屋に入ってすぐ分かるほど空気が澱んでいるのが感じられた。

 湿気云々ではなく、陰の気に満ち満ちていたのだ。

 観音開きの入り口の傍には中年の男女。次期党首夫妻。

 因みに先代は、先日の一件で気を弱らせ臥せっているとの事。

 接触する機会ほぼ無い狩野でも怨敵一族の顔くらい覚えている。

 しかし夫妻からは以前のような精力さは失われていて、顔色もかなり悪い。

 そんな二人の視線の向こう。


 部屋の中央に、



            "いた。"




 幾重にも張られた封じ用の結界の中央に、蹲るように、ぽつんと。




「心めいで壊して廃人になったって聞いたんやけど。」


 摩耶も訝しむ。

 確かに毎日の様に研究科の者と神霊治療班の者が通っているが、それはあくまで検証の意味合いが強い。 

 今後の医療技術の発展に役立ってもらおうという裏が透けて見えている。

 何しろこれほどのはまたと無い機会なのだから。


「その……、直接視た事で分かったんですが。


 彼、心が壊れてるんじゃなくて、云わば地獄の只中に捕らわれてるんです。」


「………何て?」



 一連の騒動の源である西条さいじょう 貴司たかしは、確かに研究課と神霊治療班の目立て通りに霊基――霊的構造基盤が破壊されてはいたが、魂はきちんと残っていた。

 しかしそれは、あくまで『魂が残っている』というだけであり、とてもじゃないが回復させられるとは考えられないという最悪の状態であった。

 

「既に身体からは魂は剝がれかかっていました。

 身体から剥がれた時には、その、直ぐ亡くなると思います。」

「ほな、何で生きとるん?」

「生きてるっていうか……その、言い方が間違っているかもしれませんが、

 身体に引っかかってるだけです。」

「は?」


 その言葉に呆気にとられる摩耶。

 再度聞く事になった面々の表情は相変わらず複雑そうだ。


「タカシ…で良かったですか?

 その彼の魂は、

 法具に籠ってると、数多くの怨念が引っ張り合ってるんです。」


 その中継地が肉体だった。

 だから、肉体が生物学的に生存しているだけ。

 騒動の大本は、絶対に救い様のない地獄の只中にいる。

 それが、彩里の見立てであった。



「丁度すぐ後から研究課のやつらと治療班のもんが来てな。

 そんで雨宮の見立てを聞いて検証したんだ。」

「……ほな、アイツは。」

「あぁ、どうしようもない。

 怨霊を散らせば法具に食われ、法具壊せば怨霊に引き裂かれる。

 浄化加行しつつ解体したとしても、それはただというだけだ。

 尤も、解体方法が皆目見当がつかんらしいが。」


 何しろ見た目は注連縄に宝玉が付いただけの代物である。

 取り扱い説明書はあるがメンテナンス方法なんぞ残されておらず、ただあるのは『途轍もない可能性を秘めた凄い法具だが使い難し』という短い注意書きらしき文面のみ。

 もっと研究を進めていけば、或いは…というのは、話によると楽観が過ぎるらしい。

 生体としての身体がそこまで持ってくれるとは考えられないからだ。


「どうも代々続く一族の妄念妄執の類みたいで……。

 怖い、というより吐きそうになるの必死に耐えました。

 それくらい気色が悪かったです。」

「それはまた……。」

 

 視覚的には、腐汁を連想してしまう色とりどりのうねる泥。それからじゅるじゅると触手や吻が纏わりついているように見えていたのだ。

 はっきり言って大作B級ホラーの怪物である。そんなものが彩里の生理的嫌悪感は酷かった。


 狩野によると、押収した文献には『一族の始祖を讃え、その血を尊ぶ』の一点のみが重要視されており、のこされた法具の多くはその手段に過ぎないとの事。

 それが纏わりついているのだから逃れられようか。


「それと、魂にしがみ付いていた怨霊群には幼い女の子の姿も見えました。

 多分、私達が知らない所で、彼による少なくない被害があったと……。」


 そうでなければが纏わりつくまい。

 彩里の話を聞き、今まで検証を続けていた研究課と治療班の見解は一致した。


 西条 貴司は、霊的には既に死亡している。


 彼の仕出かしの被害に遭った者達の怨霊と、西条家代々の妄念の力が肉体という舞台を使って魂を引っ張り合う状態で、丁度嚙み合って留まり続けているだけだ――と。


 その言葉を聞き、夫妻は絶望した。

 夫人は失神し、夫は「一族復興の灯が……。」と呆然自失。

 こんな事まで息子の命ではなく一族の事かと狩野は、ほんの僅かだけ貴司に同情したものだ。


「……どなんっちゃしゃあないどうしようもないんか?」


 そう、静かに問いかけてくる摩耶に対し狩野が口を開く。


「ああ、どうしようもない。

 末代に続いた祟りの上、完全に自業自得。因果の見本みたいんもんだ。」


「つまり彼の魂は、逃れられない地獄の苦しみの中に囚われ続けてるんです。」


 それもずっと――そう彩里は言葉を結んだ。


 会議室はしんと静まり返った。

 口が軽い辰田や勝治ですら重い溜息を吐いている。


「そっか……。」


 話を聞き終えた摩耶はそう零した。

 前に「勝手に自爆して廃人になった」という話を聞いた時は、周りに被害を振りまくだけ振りまいてさっさと楽になったと憤ったものだが――


 実際には彼の魂はずっと、今まで傷付けてきた分、そのツケを払わされるが如く、そして皮肉にも威勢を誇っていた一族の妄執により、例え身が引き裂けようが終わる事のない大岡裁きを永劫に受け続けるという地獄に囚われた。


 もう奴に、救いは、無い。


 その確証が身内より齎された事により、するりと胸に収まった。


「そっかぁ……。」


 憎んで余る相手であり、一族であったし、今も許す気なんぞ更々無い。

 無い、のだが。


「ほな、これで仕舞いやんなぁ。」


 すとん、と心に区切れを付けられた。

 これ以上悪くはならないし、良くもならない。

 酬いはあっても救いはない、手が届きようもなくなったのなら、


 もぅ、ええよな?

 と、摩耶はここにはいない誰かにそう言葉を向けたのだった。




 憎しみを持っていた相手が、回復不能の自滅状態になったと思いしらされた職員らの反応は様々であったが、ではこれで手打ち、という気持ちは一致していた。

 何しろ霊的案件の対応に明け暮れている対策局だ。魂があんな事になっていたと知れば、いくら何でも微かな同情くらいはできる。


 肉体的な苦痛は生態的な限界があるのでどうとでも出来ようが、現代の神霊学でも霊的苦痛の限界値は未だ発見されていない。

 一族があちこちの部署から蛇蝎の如く嫌われていた事と、この検体が非常に珍しいケースという事も相まって、研究課と神霊治療班は元より神経内科や心霊学らが挙って(嬉々として)研究に取り掛かっている。

 表向き、最先端に治療を試すという体裁をとってはいるが、実質実験体扱いだ。

 何しろ現状で唯一マシだと考えられる方法は、肉体と法具と魂を纏めて消し飛ばすくらいなのだから。


 この拷問以上の苦しみから救われる道はない、と完全に理解してしまうと、皆の心に燻っていたものの火は消えた。

 罪を償うには重すぎる罰を受けているのであればそれは仕方がない。

 そう、『仕方がない』と摩耶の様に区切りをつけられたのである。

 納得こそ出来ず仕舞いであったが、これ以上の罰などないのだから。


 心境的には、白けた、が近いだろう。


 あの後、摩耶が報告書をまとめ上げるのを待って大人らは精進落としを口実に飲みに出かけ、摩耶は両親と共にそのまま帰宅。

 両親共に何とも言えない空気のままの家路であったが、何しろ相手の結果が結果だから無理もない。

 しかしそれでも入浴して一息つき、家族と夕食を迎える頃には少しは空気も和らいでおり、おやすみを告げる時には多少は気持ちも上向きになっていた。


 そして自室に戻った彩里が、今日はもう寝ようかと灯りのスイッチに手を伸ばしかけた時――


「……あっ?!」


 不意に、


 彩里は頭にタオルを巻いたままの、正にね入り直前のパジャマ姿でわたわたと慌て、勉強机の上に置いてあるスマートフォンを手に取り、登録されているナンバーを呼び出した。

 相手が出るまで僅かコール二回。その間が妙に長く感じられる。

 丁度コール音が途絶える所でぷつりと繋がり、


「加賀くん!!」


 世界はまた、モノトーンの静止世界となった。


「雨宮、お疲れ。

 上手くいったか?」


 まだ慣れない彼が制する固有空間。

 あの電話番号を彼女が使用すると直接繋がるようになっている。

 その特定された者以外の時が止まった世界に、彩里は三度導かれた。


「え? あ、うん。

 摩耶さんから陰の気が消えてた。

 空気が抜けた風船みたいに。」

「そっか……。

 じゃあ、雨宮が視た甲斐があったな。」


 「えと、うん、それも加賀くんのお陰でなんだけど。」


 改めて礼を伝えるが、学義は肩を竦めて返す。

 そんな彼の姿は、以前認識されていたボロボロの布切れゴースト姿と、普段の彼が重なって彩里に見えている。


 例えるなら、ボロボロの灰色のマントを羽織った魔法使い。


 いや、彼のニュアンスならこういうだろう。

 

 ま ほ う 使 い と――


「アレを再度見た時に驚きが薄いと、あの支部長さんだと気付きそうなんだよね。」

「う、うん。多分、見に行く前からヘンな行動してたと思う。」

「嘘が下手みたいだしね。」


 だから学義は彩里が帰宅して一人になった時に記憶が戻るように調整して記憶を一時的に消してもらっていたのである。


 、西条家が見鬼を思いだし局を通じて願い出て、

 、局長が許可を出して彩里が向かう事になり、

 研究者たちが到着して考察してくれて、

 支部局で皆が集まったところで説明ができた。


 この気にもならない程度の時系列の結び。

 そのの全てが、


「今日あった事、今日の偶然が、魔法なの?」


「うん。あれ ま ほ う だよ。」


 確率調整は基礎なんだ。

 そう、やや恥ずかしそうに学義は苦笑した。


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