第16話 烏合の衆/側杖を食う


 新緑公園。

 正式名称は中央新緑公園といい、首都の安らぎ空間として、また観光名所として広く知られている。

 大きく分けて、北区、西区、東区、の三つに区分されており、熊野神社は北区に建てられていて主に中央区の結界維持に勤めていた。

 当然ながら神社のある北区は三区内で一番広い敷地があり、水行によって地鎮を成す《白糸の滝》、それを受けて広く清めを行き渡らせるモニュメントとして造られた人工の滝は、訳を知らぬ者たちにとっては憩いの場として知られている。

 ナイアガラをイメージした水の滴りが人気のスポットで、その正面には恵みの広場と呼ばれる空間が設けられていて、多様な利用目的に対応でき、中央区駅からの街路街路の見通しを確保しつつ、浄水場の記憶を残す水施設の配置が掲げられていた。

 そしてあちこちに点在するブロンズ像に混じって術を共振によって強化させる法具が混ざっていて、造園から今日まで中央区の霊場を護り続けている。


 だからこそ、終戦から半世紀以上経って平和ボケした西条院であっても、強固な結界を利用してお披露目を行うように動いたのだろう。

 そう思っていた。

 のだが……。


 何をとち狂ったのかその名家様は、強固な結界があると広く知られていて万が一にも熊野陣営や、事によっては法具を起動させる聖歌隊まで動員できるというメリットを捨て去り、よりにもよって子どもの水遊び場がある事で知られている西区で行うというのだ。

 何をどう考えればそこを使うというのだ、と多くの意見(文句)が飛び交った事は言うまでもないが、何と五年ほど前より既に計画手配書が作成されており、各支部に届け出されているという。

 慌てて各支部職員がデータを引っ掻き回して探してみるが発見できず、やはり言いがかりだと否を突きつけようとしたのであるが、向こうにはきちんと配送を手配した証拠が残っていた。


 そんな計画書を、便という証拠が。


 情報保全の観点から見ても余りに杜撰。いやそれ以前の問題である。

 話を聞いた情報総務部の者が何名か目を回したというのだからその危険度が分かるというもの。

 情報拡散力が増した現代社会。

 普段でさえ彼らは『おとろし案件』が発生する可能性を危惧し、情報統制に注意しぴりぴりしているというのに、紛いなりにもが選りにも選って外部に漏れやすい一般ルートを選んだと言われれば、そりゃあ目も回るし気も失うだろう。

 『一般人に理解が及ぶはずもないのだからかまわんだろうが』等と偉そうげに言い放ったらしいが、実際にはという理由に他ならない。

 しかし、一応は普通の役場として振舞っているので一般郵便物なども普通に受け取りはするのだが、怪しげなダイレクトメールなんぞほぼ廃棄かシュレッダー直行ルートである。

 その上、中途半端に機密は守ろうという判断からか奇妙な新興宗教のコンサート案内の態を成していた。

 案の定、全支部でゴミ箱へシュートされていたらしい。


 そこまでの流れを彩里から聞いた学義は、思わず眉間に皺寄せて唸っていた。

 恐ろしい事に狙ってやっていた訳ではないらしいのだが、それでも確かに指示は出されていてどこの支部も否の返答を行っていないという形になっているから性質が悪い。

 そして彩里が巻き込まれたのも、


『あ、そういえば見鬼の才を持つ……確か、天宮家の外れの雨宮家の娘。

 名を…彩里とかいったな。

 その娘も参加させろ。

 無論、万が一の何事かに備えは必要だろう?』


 と、土壇場での思い付きからだったという。

 学義はそのくだりを聞いて、当時の支部長以下、全職員の心労を想い深く同情した。 


 兎も角、話は続く。

 確かに子供の広場としては広いが、西区は断然人目に付き易い。

 そうなると簡易とはいえ認識結界を維持せねばならない上、何かしらの怪異が発生すれば世間漏れやすいときたものだ。

 何しろこの西区の遊び場、元々きれいな円形に整えられていて、そこに水深の浅い水場が二つあって子供たちが遊び易く、また保護者からも注意しやすい環境が整えられていた。

 しかし今はどうだろう。

 円形の広場の周囲を囲んでいる生垣こそ元のままであるが、遊び場に設けられていた池も遊具も取り外されていて、見覚えのない呪方式パターンが描かれた演台と化している。

 その演台の脇で衣体を整えてもらっているのは当事者であろう少年。

 そして呪法陣の周囲を囲むように狩衣を整えた雅楽演者の様な者達が腰を下ろしていた。

 遠目から見ても主役である少年の傲慢さが見て取れる。

 狩野達は否が応にも、成程アレはあの夫婦ロクデナシの子供に間近いないと納得させられた。


 しかし儀式の規模が規模だ。

 一般人に何かしらイベントをやってると近寄られかねない。

 五年も掛けて儀式の場を整えはしたというのに、機密やら万が一の際の防除やらにまるで手が届いていないのは如何なものか。

 カバーせざるを得ないと判断した各責任者らは、仕方なく集めた人間から仕方なく神霊術者らを結界維持に割く羽目に。

 そして芦原の三人の内、摩耶は青筋を立てつつ結界維持の方に回り、狩野と都の二人は彩里をガードしつつ彼女の見鬼による哨戒任務を手伝う事と相成った。


 夏には水遊びを楽しむ子供たちにあふれる、水深が浅い丸い池。

 いや、正確には丸い池ではなかったのだが、この日に備えて少しづつ改装を行って丸い池へと作り変えられていたらしい。

 尤も、平時には腰を掛けたりできるオブジェ兼足場があったのだが、それらは運び出されていて真円の池がそこにあった。


 狩野は、その池を目にした時から嫌な予感がしていたという。

 

 こんな時間のこんな公園に、三十を超える人員と、名家代表らによる儀式が執り行われた。

 昼間は子供達が楽し気に遊ぶ和やかな風景が見られている公園は、今怪しげな集団による怪しげな披露式典に使われている。

 名家の儀式なんだか知らないが、外野からしてみると世紀末感が半端ない。

 

 その件の若様は彩里と同じ歳である。

 昔でいう元服の年齢である為、要は成人の儀式であろう。


 そんな各支部職員のぴりぴりした憤りを他所に、式そのものは厳かに始まりを迎えた。


 この儀式を執り行う指揮主が何やらもったいぶって巻紙を広げて唱え始める。

 しかしその雅さとは裏腹に、口から紡がれている文句は妙にツギハギ感が強い。

 まだ素人から一歩踏み出した程度の彩里ですらそんな感想を持ったのだ。当然ながら狩野や都は眉を顰めていた。


「……何だぁ? あの、けったいな祝詞のりとは。」

「敬いの文句が入ってませんね。」


 祝詞は神に願い事を告げる際に心からの敬意を表す為に読まれるもので、仏教でも表敬告白ひょうけいこくはく…略称、表白というものを使用している。

 表白も祝詞と同様に御仏に敬いの気持ちを表し思いを申し告げるという意味があり、葬式や地鎮といった何かしらの儀式に用いられている。

 明治時代の神仏分離令で土着の信仰…神道と仏教に分けられはしたが、両方とも神仏に対する敬いはものだ。


 ――尤も、実はその敬いが欠けている文句にも意味はあるのだがそれはさておき。


 ついに主役が場に現れ、場に彩里がテレビでしか聞いた事のない、雅楽を思わせる音色が響き渡った。

 ただ、管楽器以外の音が無い為かやはりどこかツギハギ感が強いのだが。

 そして主役によって行われた舞であったが……お世辞にも雅とは程遠い。

 平舞のようで、走舞のようで、童舞のようでいて、さほど舞の事に詳しい訳ではない狩野達から見ても、彼の舞は

 いや元からそんな舞である可能性も無い訳ではないが、強いて例えるならばロボットダンスを見せられている気分だったという。

 

 しかし彩里は儀式そのものは見守っていたが、その舞には全く気にならないでいた。

 そんなカクカクダンスより何より、奏でられている音色の方が気になって仕方が無かったのだ。

 確かに響き渡っているものは雅楽で用いられる甲高い管楽器のそれ。

 だが、演奏に用いられているものは、そんなダンスなど比べ物にならないほど、雅さとかけ離れていた。

 それらは雅楽というよりは、管弦楽団。所謂オーケストラで用いられるチューバに似たものが多い。

 無論、似ているとはいうもののチューバそのものではない。

 それは外見の仕組みが何となく似ているというだけで、どちらかと言えば蝸牛……いや、人体の三半規管が一番似ていると言える。

 しかしその見た目に反し、吐き出されている音はやたら甲高く正に篳篥ひちりき

 その上それらは同じ形状のものが無く、全てが微妙に異なった不安を誘う形状をしており、その為か発せられている音色の質もやはり微妙に違っている。

 それでいて全ての曲が重なっているのだから騒乱の様で耳障りが悪い事この上もない。

 裏の世界の事変に関わっている職員らですら顔を顰めるような異形の楽器群。

 それらが響かせている音は聴いている内に動物の――強いて挙げるのならば、鹿の悲鳴のようにも思えてくる。


 彩里は思わず両手で眼を覆った。

 眼の奥にずくりとした痛みを感じたからだ。

 すぐに都が気付いて彼女の具合を気遣ってくれたが、当人はそれどころではない。

 視覚を伝って入って来た情報が余りに多く、脳が処理しきれず痛みとして伝えてきたのだから。


 彩里には、音が見えていた。

 もっと正確に言うならば、音が霊的に何かを編み上げている。

 それは恰も方陣そのものが立方体に具現化しつつあるかのように。

 方陣を囲むように配置された禍々しい雅楽奏者たちの中心で、件の若様はまるで気にならないのかカクカクした舞を続けている。

 そんな呑気な少年の頭上に周囲から寄り集まり続けた霊気は、異形の楽器によって何かを起こそうとしていた。

 魔法陣の多くはその陣の内側を護るもの。

 そして守られていない陣の外側に、目に見えぬ何かじわりじわりと静かで粘度の高い霊気が捩れながらせり上がりつつあった。

 彩里は痛みに抗いつつ、何とかその事を都に告げた時、ハッと何か気づいた彼女は改めてその奏者らが操る楽器を注視する。

 理解がようやく追いつき、怖気と共に彼女の目が見開かれた。


「狩野さんアレ、ただの雅楽モドキのじゃない!!

 あの楽器、骨笛です!! そしてこれ多分、呪音を使った降霊術です!!」

「……んだとぉ?」


 都の訴えを耳にした者はぎょっとして演舞台を改めて見据える。


 骨笛そのものは騒ぐほど珍しいものではない。

 古くは7000年~8000年前の新石器時代の跡から出土しており、チベットでもカンリンという人の大腿骨の楽器が存在している。

 しかし、目の前のが骨笛だとすると、元は何だ? あんな大きな蝸牛状の骨、何の骨だというのか。

 奏者らは未だ音を奏で続けているが厳かとは程遠く、その様子はライブステージの熱狂に呑まれた演奏者の様にトランス状態のように見えた。


 いや、正しく彼らはトランス状態となっている。

 奏でている曲……いや、禍々しい音色に呑まれ、曲を奏でさせられていた。

 流石にこうまでなると放っておけない。

 理性ある職員が責任者に中止を訴えようとした正にその時、甲高い音色の悲鳴は狂音波と化した。

 その場にいた奏者以外、当の主役の少年含めて全員が耳を塞いで蹲る。

 頭の芯にぎしぎしと突き刺さってくるような音の痛み。

 やめろ、止めろ、と叫ぶ者もいるがその程度の音量は何処にも届かず、怪奇音に叩き落とされてしまう。

 その時、警備に当たっていた者の一人が、余りに近距離で音の直撃を受けて苦しんだ挙句の暴走か、口から泡を吹きつつ懐から銃を抜いて引き金を引いた。

 銃声――すら音色に消されていたが、放たれた弾丸は音に負けず真っすぐ突き進みぼこりと穴を空けた。

 放たれた弾は合計三発。幸か不幸かその弾丸は奏者や他の人間には当たらなかったものの、曲がりくねった骨楽器の一つに命中。

 そして、その衝撃からか吐き出していた音の振動によるものか、全体に細かい罅が走り、木っ端みじんに砕け散った。


 瞬間、全ての音が消失する。

 

 時が止まったように錯覚してしまう。

 削岩機を頭に押し付けられるような響きは止まった。

 皆が演奏をやめたのではない。一つの楽器が砕けると同時に奏者ら全員が昏倒した為だ。


 しかし、曲は止まっても儀式は止まってはいなかった。


 どろどろとした気配が外から……。

 それも公園の外と地面から湧き出してきたのだ。


「クソ…っ!!

 全員、備えろ!!」


 誰かがそう叫ぶ。

 流石に狩野と都の反応は速く、その声が発せられるより前に動いていた。

 彼は湧いて出たそれに符を放ち、都は園外に対する結界に集中する摩耶のところまで彩里を退避させてから迎撃に入った。

 

 幸いにもそれぞれの支部で前線に立てる者が集まっていた事もあって対応は速い。

 符を使うなり術を行使するなり、普段使用している法具なりで次々と湧いて出るナニカを滅してゆく。


 ただ、数が半端ではない。


「何でこうも次々と……っ。」

「愚痴は後にしろっ!!」


 あの演舞台の外側のいたる処からじゅるじゅると湧き続けている。

 その光景は火災現場の只中の如く。

 職員たちは火や煙に巻かれるかのように霊団による教習を受けていた。

 瞬く間に皆は符を使い切り、法具や霊能力頼りとなってしまう。


「くそ、全然終わりが見えねぇっ!!」


 狩野ですら焦りの色を浮かべたほど。

 その湧き上がってくるものの見当はすぐについている。

 外部より公園に無理矢理引きずり込まれた浮遊霊や雑霊、鎮められている筈の過去の怨霊群だ。

 新緑公園の結界によって阻まれているものの数が数。弱体したものの途轍もない数が侵入を果たしていた。

 そして今もそれが続いている。


 彩里は何とか気力を振り絞って目の痛みから復帰したものの、戦力にはならない。

 だが確かにか弱い彼女でもただ守られているだけではなかった。

 何も手出しができない分、必死に目の力を行使して霊群の隙間を縫うように周囲を霊視し続けていた。

 しかしすぐに奇妙な波動が目の端に掛る。

 それは言うなれば霊波動によるカーテン。

 彼女の様に見鬼能力があるものが、はっきりと天にそびえるような黒に近い濃い紫色の柱が見えていただろう。

 その根元には人影もあった。

 何者であるのか確認する間は無いし、見鬼を止める訳にはいかない。

 だから必死に声で伝えた。


「狩野さん、都さん、あの陣です!

 まだ術が動き続けてます!!」


 はっとして陣に意識を向ける二人。

 陣の周囲に転がる奏者……もの。

 そして陣の中で固まって震える者達。


 二人はすぐに動く。

 陣が残っている所為で発動し続けているのだ。

 それを理解した二人は陣を消す、或いは陣の中にいる名家の人間達を移動させる為に動き出した。

 必死に出来る事を探っていた少女に対する賛辞はあれど、眼前でみっともなく縮こまる者達に対して愚痴は零れない。

 期待なぞ端から無いのだから。

 ただこの傍迷惑な騒動を収める為だけに意識を向け、二人は駆けた。


 しかしそんな行く手を現界しかかっている亡者の群れが阻む。


「狩野さんっ!!」


 都が慌てて声を上げるが、彼は霊団を一人で受け止め、


「いいから行け!!」


 と、叱咤するような声で彼女に先を任せた。

 一瞬足を止めてしまった都であるが、彼の実力をよく理解している為、踵を返して陣に駆ける。




 ――後に彼は、俺の判断ミスだったと自分を責め続ける事となる。





「わ、わぁっ、来るなぁ!」



 誰かのみっともない悲鳴と共に、ぱんっと弾けるような小さな銃声が重なった。


 同時に陣が輝きを増し、汚らしい色の何かが噴き上がる。

 それは職員達どころか霊団ですら動きを止めたほど禍々しいナニか。

 一瞬、人を思わせるような形になり掛ける。

 しかしどろりと零れおち、周囲に強い瘴気をぶち撒いきつつ消え去った。


 小さな悲鳴を上げて彩里が目を抑えて蹲る。

 見鬼を全力で行っていた所為か、強烈なナニかの出現と瘴気をまともに目でしまったのだ。


「彩里ちゃん!?

 っんのトロクソだまがぁ!!」


 摩耶が気遣うも結界維持で手が離せない。

 どうにか湧き出す現象は止まったようだ。

 だが沸いた霊団は残ったままなので掃討せねばならない。

 尤も、先ほどまでの終わりの見えなかった作業よりかはずっとマシだ。


 彩里は周囲から上がる声でそれが確認できたが、微力を尽くそうと目を擦ったりしつつ何とか視力を回復しようとする。

 無論、霊的な視力ダメージがそんな事で回復するはずもなく、摩耶も『目ぇ擦ったらアカン。大人しぃしとき』と言ってくれているし、実際に気休めにもならない。

 

「お、おい、都?」


 狩野の聞いた事のない妙な声が彼女の耳に聞こえた。


 え? と一瞬呆けた彩里。


「都?! 都!!

 くそっ!! 誰か!! 誰か治療員はいないのか?!!」


 しかし、切羽詰まったような声が続くと彼女の慌てて腰を上げた。

 思わず腰を上げたのは良いが、強い眩暈が襲いまた座り込んでしまう。


「都? 都っ!!」


 結界維持を放り出して摩耶が慌てて駆けだす。

 彩里も続こうとするが方向が分からない。

 必死に足搔くも、歩く事はおろか立ち上がるのもままならない。

 情けない自分をどれだけ罵倒しても、気力に身体が付いて来てくれない。



 涙を滲ませつつ腰を上げさせた彩里は、一瞬。

 ほんの一瞬、彼女の充血し切った目にが映った。



 黒っぽい何かを持った少年と、その少年を庇うように姿を隠させつつ騒乱の場を後にする大人たちを――



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