第14話 鰯で精進落ち/水を乞うて酒を得る

 

 この見る能力がという能力だと知る事が出来た日から、彩里の気持ちは軽くなった。

 

 切っ掛けは些細な事で、ちょっかいを掛けてくる影を躱していたところを、たまたま父親に見られた時だ。

 小さい時から視界にちらちら映る影のようなモノを感じていたし、何かしら害意があるものには怖いと感じ、無害なものは左程も気にならなかった。

 しかし、同級生達にはそれらを見えていないようで、見えてしまう自分はどこかおかしいのでは? と不安になり出した頃でもある。

 が、父は彩里が見えている事に気付くと、直ぐに簡単な説明をして安心させ、両親が当時任についていた東区の支部に連れられ、検査を受けさせてもらうと結果は異能アリ。

 それも比較的珍しい見鬼の才が高いという検査結果が出された。


 霊的波動を感知できる者はいるし、実態のない霊波に反応するセンサーもかなり以前から作られている。

 しかし、はっきりと現世の異物として察知する事が出来、その存在の怪異を形としてはっきりと認識できる、見鬼の才を持つ者は少ないのだ。


 その後、両親から世界の裏事情が語られ、が実在し、それらが世間に害を起させないように対策する組織に入っている事を打ち明けられた。

 二人からすれば、生まれた時には一般人程度の霊波しかない、普通の少女として生きていけたはずなのに、と残念に思っていたようだが、彩里からするとそうでもない。

 両親によってが自分だけの錯覚などではなく実在すると知れたし、何より家を空けがちだった両親がどういった職業で何をしていたのか知る事も出来たのだ。

 役所勤めとしか聞かされておらず、公務員としても遅くなる事が多かった二人。

 そのくせ何だか奇天烈なデザインのお守りを肌身離さずよう強く言い聞かされ、クラスでもやや浮いていた彼女はずっと不安に思っていた。

 そんな寂しく不安定な心のまま過ごした小学生時代だったが、全てが腑に落ちた事により彼女の心を一気に安定させた。

 尤も、見鬼の才として安定してしまったが故に、どう足掻こうにも裏の世界に関わり続けなければならなくなった訳だが……。


 そんな彼女に対して指導を行ってくれていたのが、花園 都。

 今の彩里と同じ年の十七歳。かなり若いが、哨戒任務と共にある程度の状況鎮圧行動も許されている期待の新人ホープであった。

 すらりとしたスレンダーな体型であったが、長い髪をアップに纏めたその立ち姿は、同性ながら色気を感じたものだ。

 本人はかなりハキハキとした性格で、とっつきやすく姉の様に慕っていた。


 だから、



 失った時は、家族の一人を奪われたという想いが強かった――






 「おはようございます」


 と、あいさつを告げて彩里は受付を抜けて、施設の中に入って行った。

 時間的には完全に午後であるが、ここ怪異対策局でも業界用語的な挨拶は使用されていたりする。

 仕事の始まりのあいさつであり、施設に直行した際に使われるのが常だ。

 昨日は色々と驚く事はあったものの、幸いにも時間は無限だった。

 詳しく話を聞いたり、色々と約束を交わしたりできているので彩里も落ち着きを取り戻し、何時もの非日常交じりの日常に帰還している。


 そんな訳で何時もの様に放課後になると支部に直行したのであるが、今日のシフトを聞きに奥に向かうと、ブリーフィングルームは何とも異様な空気に包まれていた。

 部屋にいたのは狩野と鏡華、摩耶と辰田の四人。

 摩耶はまたしても突っ伏しているて、辰田は笑いをかみ殺している様な変な顔をしており、狩野と鏡華は何やら憮然としている。

 あまり近寄りたくない雰囲気であったものの、このまま立ち尽くす気も無いので仕方なく鏡華に声を掛けた。


「あの……何かあったんですか?」


 声を掛けられるよりも前に彩里が入室してきた事に気付いていたのだろう、声を掛けられた事に驚く事もなく、何やら複雑そうな顔をしたまま彼女は彩里に顔を向ける。それも溜息交じりに。


「先日の一件の始末書が上がって来たのよ。

 主に西条院の被害やらかし報告だけど。」


 西条――

 という言葉にぴくりと片眉が反応してしまう。

 全然全く好きになれない部類で最上位に気に入らない一族なのだから。

 いや、正確にはすらあると言って良いほどに。


 そう腹の奥でイラつきを燻らせている彼女の耳に、くくくと含み笑いが聞こえてきた。

 声の元に目を向けてみると、それは摩耶から零れているのが分かる。

 含み笑いはやがて笑いとして溢れ、彼女らしからぬ嘲りの笑いが部屋に響いた。


「あは、あはは、

 あのバーカ、自滅しやんの!! 自業自得やわぁ!!

 あーははは、あーオモロっ!!」


 一瞬、キョトンとしてしまったが直ぐに『あのバカ』という対象が思い至る。

 この間の騒動の諸悪の根源にして、とも言える人物。

 西条家の跡取り息子様である西条さいじょう 隆則たかのり(17)の事だと。

 見ると、辰田もかなり黒い笑みを浮かべているではないか。


「あの考え無し、覚書に書かれている使用法を流し読みして、使えるって思ったみたいなんスわ。

 『使った人間と自分の』じゃなくて、使ったの仲を霊的に完全にするって気付かずに……。」


 そこまで説明した辰田は吹き出して咽ていた。

 本気で笑っているのだからこんなものだろう。


 まぁ、ある意味仕方の無い話で、そういった昔の法具はやたらまどろっこしい解説書である事が多い。

 身も蓋もない言い方になるが、「我が粋を集めて生み出したのだ凄いだろう」という気持ちがどうしても滲み出てくるのだから。

 それは名家であればあるほど顕著だ。

 その勿体回った文章の邪魔な部分を切り飛ばし、何とか現代的に翻訳しても、


 『其用いらば男女の陰陽の結実させん。

  陰気陽気の交わりを持ちて陰陽の理を完全とす。

  其の陰陽相性の繋がりを確実せしめたる器にせん。』


 こんな感じになってしまうのだから。

 それは確かに勘違いもするだろう。

 何しろ目録にも、『魂から改組し、離しもされぬ想い合う仲にするもの』とも取れるようにも書かれているのだから。

 しかし冷静に読め解けば引っ掻けとしか思えない。

 使えば分かる。使ったら道具になるけどなっ! という、正に外道な文章である。


「あんのバカ、全自動縁結び機に成り果てよった!

 カップルで近寄ったら、もれなくオシドリ夫婦やで!!」


 ゲラゲラと笑い飛ばす摩耶。

 彼女は特に恨み骨髄に徹るものがあったが故だろう、何時もの柔らかさや明るさは微塵も感じない、暗い嘲りがそこにあった。

 しかしその笑いは次第に鎮まっていき、どろりとした恨みの声と変わる。


「あんのクソガキ……。

 何の責任もとらんまま廃人になりよった……。

 ホンマにクソが……っ!!」


 摩耶は拳が白くなるほど強く握り締めていた。


 彼女としては、

 否、この支部の人間達にとって、彼は償いをさせたかった。

 悔み、後悔して、報いを受けてほしかった。

 できれば苦しみ、絶望するような罰を受けてほしかった。

 こんな下らない末路なんぞ誰も望んでいない。

 あまりに呆気なさ過ぎる最後など迎えてほしくなかった。


 恋焦がれた女の心を自分の物にせんと家宝を持ち出し、屋敷の護衛を行き掛けの駄賃とばかりに持ち出した式神で蹴散らし、周辺地区に最大級の警戒網を敷かせるという前代未聞の迷惑をかけ、

 挙句、己の仕出かしの所為で目の前でその女を寝取られ、やり場のない憤りによって霊力を暴走させて件の法具に取り込まれ、散々暴れまわって霊力を消耗し過ぎて廃人化。

 

 ……何なんだそれは?

 何だそれは?

 自身の身体を張って、その上で一族はおろか怪異対策局と街の住民を巻き込んだ盛大なコントか?

 真剣に敵視してきた自分らは何だったんだ。

 こつこつと内部を探り、裏を取り続けて言い逃れできないよう証拠を固めていった矢先にだ。

 泡が弾けるような呆気ない終わり方に、振り上げた拳は落としどころを見失っている。

 もはや、どこに振り下ろす気力もない。


 だが、それは、

 特に、摩耶は気に入らなかった。


「あんのガキ……。

 人殺しといて自分は精神こころめいで壊してオシマイかい。」


 何時の間にか辰田も苦虫を噛むような顔になっている。

 彼にしろ、件の男にはそれなりのケジメは着けたいと強く思っていた一人だ。

 普段の仕事と兼業して繋ぎを続けていたのは、全てが揃うのを待っての事。

 あの男が破滅するのは勝手だ。喜ばしいと言っても過言ではない。

 が、標的は何の償いもなく自滅し、更にそれ以上なんの刑罰も与えられない状態となってしまった。

 今や、法具の生体部分と言っても過言ではないのである。

 殺す価値もないし、そんな事をする意味もない。憂さ晴らしにもならない。

 否が応にも矛を収めて納得する他ないのだ。


 そう、、だ。


 深く溜息を吐いた後、狩野は何か告げようとした。

 が、そのまま音を零す事もなく静かに口を噤んだ。

 彼自身も納得し切れていないのたのだから、言の葉として伝えられない。

 勝治と繁の二人がこの場にいないのも、やはり彼と同じ心境だからである。


 納得できないのに、納得せざるを得ない。

 

 殴りつけたい相手を見失い、憤っているのだ。

 だから二人は鍛錬に向かった。

 身体を動かし、肉体を虐める事でしか心を誤魔化す事ができないのだ。


「こんな阿呆な最後迎えるや思わんやんか……。」


 辰田も押し黙ったまま腕を組んだ。

 しかし腕に掛けた指はめり込むように強く握られている。


 テーブルに額をこすり付ける様に顔を伏せた摩耶は、


「堪忍なぁ、都……。

 都の仇討ちできひんかったわぁ……。」


 ぽつりと、呟いた。








「……ただいま。」


 帰宅はしてみると時計の針は既に八時を回っていた。

 一応、ただいまと告げてしまったが、返答はない。

 両親は出張で不在となっているのを覚えてはいたが、うっかり口にしてしまったのだ。

 夕食は外で食べてきたので作る必要はないが、明日の朝食と昼食の下ごしらえくらいはしておかなければならない。

 そして今日は課題も出ていた事も思い出す。

 気持ち的にかなり下降気味で面倒であるが、放り出す訳にもいかない。


 そして、やっぱり納得できないままの自分がいる。


 この憤りともやもやを抱えたままでいろというのか?


 心身共に疲労が積もっていたのだろう、彩里はずるりとそのまま玄関のドアに背を預け、ずるずると座り込んでしまった。


 手で顔を覆い、蹲る。

 肩が震え、声が、嗚咽が漏れる。

 だが、泣けない。

 涙が出ない。

 心は泣き叫んでいるというのに、肉体の方は悲しみより憤りが勝っていた。

 納得しなければいけないのに、納得できない。

 どうこうする手段は無いというのに、気持ちは追い続けている。

 ぐるぐると、ぐるぐると意識が迷路の中を走り迷い、叫び続ける。

 

 もう、どうしようもなく、行きつく地点を、納得したい答えを欲する彼女は、

 スマートフォンを取り出て、ある人物に電話を掛けた。


 呼び出し音が三回。

 短いようで長く感じた。

 四回目の音が聞こえるよりも前に、相手が出てその声が聞こえた。


『雨宮さん、どうかした?』


 その凡庸で柔らかい彼の――学義の声が聞こえた途端、今まで押し込めていた感情吹き出して言葉が紡げなくなる。


「……か、加賀く゛ん゛……。」


 何とかそれだけ口に出来たが、後が続かない。

 言葉より涙が出た。

 あれだけ泣けなかったのに、何故か今、ぼろぼろと泣けた。

 あふれでた涙でスマートフォンを濡らすほどに。




 ――瞬間、世界が反転した。




 世界がモノトーンとなり、色があるのは彩里と――


「何があったの?」


 眼前の、まほう使いたる学義の時間だけが色彩を保っていた。

 絶大な理不尽である彼を前にし、言いようのない安心感を感じた彩里はボロボロ泣いた。

 子供の様に、迷い子の様に、

 の様に――


 学義は幼児の様に嗚咽する彼女の対応に追われる訳であるが、

 まぁ、些細な事である。






「……ご迷惑をおかけしまして。」


 たっぷりと泣きはらした彩里は、一応の落ち着きを取り戻しはしたものの、流石に醜態を恥じているのか顔を上げられない。無論、目を腫らした顔を向けられないという事もあるが。


「それは構わないよ。

 何だか知らないけど随分と疲れてたみたいだし。」


 彼の気遣いに恥ずかしさが増す。

 何というか、対応というか接してくる距離感が丁度いいのだ。

 場の空気から気遣ってくれているかのように。


 このモノトーンの世界は、彼が作った結界の内。

 世界の時間の隙間にポツンと生み出した世界。

 時間が進む事も戻る事もない、周囲から完全に乖離した異界に二人はいた。


 、説明してくれた時と同じ。

 時間なんか気にする事もない。

 遅くなろうが遅れる事もない。

 急かさず、焦らさず、ゆっくりと説明してくれた時と同じ。

 もどかしく、痞えつつ、話し辛そうにしていても彼は急かさない。

 彼は、彩里の言葉を遮らず、ゆっくり、ゆっくりと愚痴と悔しさに塗れた話を聞いて行った。


 彼女の涙が乾き、普通に言葉を紡げるようになり、最後まで話終えると、


「何というか……。

 そんな出鱈目なアホにかき回されて本当に大変だったな。」


 流石の学義も呆れ混じりに彼女を労わった。

 簡素ではあるが、本心からの労わりの言葉にもう一度泣きそうになったが、何とか押し止める。

 終止、説明が支離滅裂だったように思うが、それでもずっと聞いてくれるだけでこんなに胸が軽くなるとは思いもよらなかった。

 まるで年嵩の教師に悩み事を打ち明けているかのような、奇妙な安心感が湧いている。


「それで、雨宮さん達的には件の馬鹿継ぎに罪を償ってほしかった。

 だけどこれ以上罰を与えても意味が無いから気持ちの持って行き処を無くしてたって訳か……。」

「……うん。

 ごめんなさい。変な話聞かせちゃって。」


 気にしない気にしないと軽く答える学義。

 無論、軽く答えられるだけの意味はある。

 何故なら彼であれば、望むなら様々な道を与えられ――否、無理矢理事がができるのだ。

 手段を選び、その手段の目的に無理矢理結びつける事ができるのである。

 しかし、だからといって安易に道を伝えたりはしない。

 容易に目的という事柄を達成させられてしまう分、安易に触れようとは思わないのだ。


「話し辛い事だったら言わなくてもいいけど、何やらかしたの? その馬鹿継ぎ。

 雨宮さんの支部の人達に随分と恨み買ってるみたいだけど……。」


 聞かれる、とは思っていたがやはりぴくりと反応してしまう。

 話し辛いという訳でもなく、ありふれた話ではある事件。


 ただし、そのありふれた話というのは、ピカレスクロマンならば、と付くのであるが。


 自分の家であり、自分の家ではない異界の中。

 台所の客席を学義に勧め、自分は何時もの椅子に腰を下ろし、少し呼吸を整えてから、


「今から五年くらい前。

 私が見鬼に目覚めた時、芦原支部で教育官を着けてもらったの。」

「中学に上がるくらい?」

「うん。上がってすぐ。

 怪異とかオカルトの事も、漫画程度の認識しかなかった時。」


 怪異知識は勿論、力の使い方、生き残る術、生きて帰る為に必要な事、様々な事を教えてくれた先輩。


 花園はなぞの みやこの事を話し始めた。



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