第12話 悪事、千里を走る/思い立ったが吉日



 あの慌ただしい夜が明け、三日の時が過ぎた。

 僅か三日というべきか、もう三日と称すべきかは判断が難しいところであるが、兎も角あの大捕り物は世間にバレる事無く収束を迎えている。

 東区と西区での戦闘痕は綺麗に消され、怪異事件はおろか何かしらの事故が起こった事すら表社会に気付かれる事無く始末をつけられたのは流石と言えよう。

 そこまで何もかも"無かった事"に出来たのは、ひとえに怪異対策局の後方支援係による努力の賜物である。

 尤も、彼らとて身内の恥の後処理なんぞに駆り出されたのだから、心境は複雑だったろうが。


 そもそもの事件概要は、呪法具開発の大家であった西条家の跡取り息子が、婚約者につれない態度をとられ続けていた事を不満に思い、実家に封じられている心を操る――と、思われる法具を持ち出し、件の少女に使用して心までも我が物にせんとする下種極まりない目的の為だったのだ。

 そして法具を持ち出して女の元へ向かう途中、実家からの追っ手を振り切るべく式神を解き放ったというのだから……。


 調書を流し読みするだけで、熊雄はこめかみの奥が痛んだ。

 怪異対策局の局長という、普段から現実離れした事件に対応する組織に身を置く彼ですら、この一件は現実……いや、常識外れの一件である。頭痛の一つも起ころうというものだろう。

 仮にも国防組織が一個人の仕出かしによって引っ掻き回されたのだ。

 その内容も、余りに身勝手で余りにも考え無し且つ下種の行いによる事件であり、端的に称するのなら痴情の縺れの一言であるから笑い話にもならない。

 そして三日間も後始末に天手古舞させられたのだ。ぼやきが零れるのも仕方のない話であろう。

 一通り調書を読み終えた熊雄は、憮然としたまま書類を机に戻した。


「……言葉にし辛い馬鹿さ加減だな。

 彼は底抜けの阿保なのかな?」


 そう零さずにはいられない。

 彼の頭痛の種となった調書を束ねたバインダーを持ち込んだ女性――

 中央怪異探索局、監察部研究室長である女性。阿美あび 智子ともこはへらりとこう言った。 


「アホなんでしょうねぇ」


 と。

 しかし差も有りなん。

 こうまで考え無しの行動をされれば誰だってそう思う。

 智子は二十代半ば過ぎという若い年齢で研究室長にまで上り詰めた努力の女性である。

 亜麻色の長い髪を三つ編みに纏め、赤いフレームの眼鏡をかけた彼女は、年齢相応に洒落っ気も感じられるが、今日までずっと研究一筋の秀才なのだ。

 それもこれも、霊的疾患に苦しむ被害者を少しでも減らそうという骨子があるからである。

 その分、わざわざ災害を起そうとする馬鹿者に対して、同情の意思など持ち合わせていないのだ。


「西条本家への強制捜査はほぼ終了してます。

 鎮圧行動はせずに済んだのは幸いですね。

 馬鹿が解放した式神によって警備が全滅したからというのもアレでしたけど」

「……甘やかす云々以前の問題だな。

 あそこは曽祖父の代から、性格に難のある人物だったが、ついにやらかしたと」


 傍若無人で、長男主義で、傲慢で……等々ろくでなしの詰め合わせセットだ。

 それが四代にわたっていたのだから、ある意味大したものである。


「目録も押収できましたんで、多少は仕分けの役に立ってます。

 まぁ、そのまま使用するに値しませんが」


 彼女の言葉にぴくりと片眉を跳ねさせ不思議そうな顔をする熊雄。


「少しも使い物にならないのかね?」


 そう問いかけてくる彼に、やや慌てて智子は否定した。


「すみません。使用不可という類では無いんです。

 何というか……超技術の無駄遣い?」

「……どういう事かね?」


 説明が難しいんですが、と彼女は前置きをしてから話を続ける。

 例えば件の男が持ち出した法具。『陰陽咬合結いんようこうごうのむすび』という名の西条院謹製の呪具だが、これは対象に使用すると男女の相性を限りなく引き上げてほぼ100%にするという代物だ。

 これが何の役に立つのかと首をかしげてしまう品で、ぱっと見もアメシストが納められた注連縄に過ぎないのだが、これに込められた呪式はとてつもないものであった。

 何しろ対象の霊基――その男女の霊的構成を改造し、陰陽紋が如く合致させる能力を秘めているのだ。

 人間に対する霊的な改造儀式をその法具だけで行えてしまうのだから、とてつもない逸品といえよう。


 まだ確証に至ってはいないが、元々は高い才能を持つ者同士を掛け合わせ、能力の高い血を残してゆく事を目的として生み出されたものと思われる。

 ならば何故封印されていたのかというと、おそらくこれによって結ばれた男女の後遺症が酷すぎる事であろう。

 根拠として、使われた少女と、双方のデータが挙げられる。

 男女共に霊力の出力が上がるのは良いが、女性は自力で霊力の回復ができず、霊的に合致する結ばれた相手からでしか霊力を回復できない肉体となってしまい、男性は霊力を溜めるだけ溜めて連れ合いに注ぎ込む、言わば女性の外付けタンクのようなものとなっていたのだ。

 確かに陰陽咬合だ。それ以上でもそれ以下でもない。


 で、これが役に立ったのかというと……跡取りにとっては全く役に立っていない。

 手引書にも、この法具はの相性を改造するものとあり、使用者との相性を変えるとは書かれていなかった。

 これを誤解して持ち出したことは明白である。

 最悪だったのは、使用者は使用者に過ぎず術式の対象外であり、尚且つ使という大切な事が記されていなかった事だ。


「元々、法具を使う事は出来ても使いこなせる程の才能は無かったんでしょうねぇ。

 その上、ただでさえ未熟者だったのに、ギリギリまで霊力絞られましたんで身体の霊基構造がズタズタです。

 控えめに言って再起不能ですね」

「……大して役に立つ人材ではなかったが」


 でも減ったのは痛いな、と尚も溜息が出る。


「ま、目の前でNTRシーン見せつけられたんで、脳も死んだようなもんですが」


 と、智子はげらげら笑った。


 彼の男は法具の副作用で全自動縁結びマシーンと化し、法術儀式によって発動したにより、二人が結ばれるシーンの見届け人となってしまったらしい。

 恋焦がれた女が目の前で寝取られるのをまざまざと見せつけられられれば、それは脳にクるだろう。


「まぁ、確かに巻き込まれた男の子は気の毒でしたけどね。

 否応なく裏の世界に関わる羽目になりましたから。

 思っていた以上に利発な子でしたから、そう遠くなく自分の立ち位置を確立させられるでしょう。

 憧れのお姉ちゃんと実質夫婦になった事は心底喜んでましたけど」


 その後、彼は嫉妬と絶望で感情を爆発させ、霊力を暴走させたまま東区を走り回り、全自動縁結びマシーンの力を遺憾なく発揮しまくり、様々な円満カップルを生み出しまくった挙句に霊力切れによる衰弱で失神。

 呆気なく確保されたのだった。


「本当に、過去の西条院は何を考えてそんなものを作り続けたのやら」

「技術の高さは認めますが、目的意識は理解できませんねぇ」


 巻き込まれた一般人も既に保護しており、局の医療班によって健康診断を受けており、霊基構造以外は健康であると結果が出ている。

 公開レベルの低い情報は説明しており、全員が概ね現実を受け止めているという。

 意外なほど自然に受け止めてくれたのは実にありがたかった。何しろほとんどライトノベルのような話なのだから。


 この一件、終わってみると良い方向に着陸できている。

 何しろ組織にとっても処分に困るゴロツキ西条家の警備員が一掃されているし、家の発言力をもって秘匿を貫き続けた、悪名高い西条院に強制捜査のメスを入れる事が出来たのだ。

 更にこの一件で、今まで握っていた特許を取り上げる事にも成功している。

 これにより、無駄な出費も抑えられ、今まで予算を回し辛かった部署にも便宜を図れるようになった。

 問題山積のままではあるものの、少しづつ少しづつ良い方向に向いていると言えるだろう。


「例のアホが使用した法具ですが、完全に癒着しておりまして現時点で分離はほぼ不可能だと思われます。

 ですが、上手い事呪式を解析できれば不妊治療に使えそうなんですわ。

 あと、本家に封じられてた法具の中に霊的濃腫の治療に使えそうなのもいくつかありまして……。

 いやぁ、自分的にはかな~り助かりましたわ」

「不幸中の幸い、か」


 僅かでもそんな利点がなければ、今ここに立っている彼女は相当機嫌が悪かっただろう。

 愚か者を笑い飛ばせるのも、その余裕があるからだ。


「兎も角、一般人達の今後の話し合いと補償。

 生活の場も用意しなければな」

「そこは総務部にも話付けてます~。

 何しろ条例度外視の年の差夫婦が量産されてますんで」


 普段より手際良すぎないか? と恨めし気な視線を送るが、しれっと弾かれてしまう。

 まぁ、幸いにも予算の方はかなり浮いてる。そちらは問題無い。

 逆に言うと、あの家にどれだけ特許料を毟られてたのかと呆れてしまうが。


「となると残る問題は、だ」

「噂に聞いたゴーレムですねぇ」


 途端に浮ついていた空気が重くなり、沈黙が下りる。

 確かに救われたという事実は残っているのだが、それの物的証拠がほぼ残っていないのだ。

 ほぼ狩野らが見たという状況証拠のみで、現場には足跡すら残っていないときている。

 公園の損壊具合からと、計算する狩野達が語る戦闘力との差異は見受けられない。

 しかし、その語られるパワーに差異が無いから頭が痛いのだ。

 そのサイズにしてそのパワーとスピードは常識が剥離しているとしか言えないものであった。


「話によると、何者かの命令を受けて一々アンサーバックを返していたらしい。

 それも全てややスラングまじりの英語で、だ」  

「アメリカ製……にしてはあからさま過ぎですねぇ」

「同感だ。

 それに同行した雨宮君が、式神と同じ波長の霊基を感じたと言っているらしい」

「へぇ…?」


 智子の目が興味深そうに輝く。

 調書から見ただけの話なら、現実的なら人型の重機。人型にする意味はほぼ無いのだが。

 しかし意思らしきものを感じさせる挙動があったらしいので、戦車の様な突進力とパワーを持ったゴーレムという線も消えかけている。

 しかし、人型の重機のような代物ではなく、そういった霊基を込めた式神だというのなら確かに納得できなくもない。

 が、そうなるとそれほどの代物の器を作り出したのは誰か? 或いは何処どの国か? という話になってくる。


「一昔前のコミック宜しく、

 アメリカ辺りの秘密兵器、とかなら話が早いんですけどねぇ。」

「そんな大規模の式神を生み出せる術者を放出した事になるから、それはそれで大問題だがね。」

「仰るとーりで。」


 更に相当使い込まれた印象だったと狩野が語っている。

 そうすると随分前より起動テストなり試験配備なり行っていた筈なのだが、そんな浪漫兵器が使われれば嫌でも耳に入って来るだろうに、眉唾程度の噂すらないときている。


「一コマの映像でも残されてたら助かったんですけどねぇ。」

「あの非常事態の最中だったんだ。贅沢言えまい。」


 一応、現場の状況撮影用にカメラも回ってはいたのだが、雷撃の衝撃の所為か僅かの間であるが停止してしまっている。

 何とか再起動した時には現場とは違う方向に向いている上、データが飛んでいた。

 流石に放電を使う式神を相手にする事など想定していなかった事もあって、防電が甘かったらしい。

 お陰で西区の捕り物は状況証拠と、破壊された式の核だけであった。

 無論、証拠として足りないという訳ではないのだが。


「兎も角、阿美君の方でも今手元にあるデータから考えてみてくれ。

 割り出してくれ、とはまでは言わんよ。流石に情報が少なすぎる」

「了解でぃす」


 そうひらひらと手を振って退出する智子の背を見送り、熊雄は椅子に深く背を預けた。

 あの日から、

 あの高校の事件以降、こう段々と、段々と何かが積もり積もってゆく感が拭えない。

 いや、あの魔法使いを自称する者が言っていた様に、確かにじわじわと大気中のマナが増し続け、細かい怪異が増え続けているのは確かだ。

 しかしそれと同時に何かが起ころうとしている気がしてならない。


 老人故の心配性と言われればそれまでだが、長年この仕事に就いている事で培った勘が何か囁き続けている。


 真田が水差しからコップに入れてくれたお冷を出してくれた。

 ここはコーヒー…といきたいのだが、飲み過ぎなのでミネラレウォーターにされている。

 熊雄は礼を言って手に取り、一気に呷った

 冷たい水のお陰か、頭の熱も下がったように感じる。


「魔法使い、異世界、概念喪失、神々の帰還予定……。

 そして痴情の縺れからの式神暴走か。

 一気に俗っぽくなったな」


 そこに追加で謎の人型式神の追加だ。

 問題は山積され、一向に減ろうとしない。


 熊雄は凝りに凝った目頭を解しつつ、諦めの境地でモニターに意識を戻した。

 一つづつでも片付いて行けば楽になってくれるものを、という愚痴を噛み殺しながら。



 しかし――






「あ、あの……。」

「え? どちら様?」


「に、二度も助けてもらってありがとうございます!」

「ちょ…っ?!」



 思いもよらない所で大きな一手が入っていようとは、彼の想像の端にもなかった。



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