第9話 小人罪なし璧を懐いて罪あり|犯罪の陰に女あり



 ――この世はいつだって依怙贔屓だ。

 そう実感させられたのは彩里が中学の時だった。


 両親共に術師の家系であってか、彼女は小学校を卒業する時には既に見鬼の才を見出されていた。

 割と健全な思考を持っていた肉親からすれば、そういった才能が無ければ普通の生活を送れただろうにと悲しむ結果であったようだが、娘からすればその才は願ったり叶ったりだ。

 何しろ何の仕事をしているのか今一つ分からなかった両親の仕事をようやく知る事が出来たし、ずっと身に着けさせられていた訳の分からないお守りを手放せるようになったのだから。

 育児放棄気味のような距離感の親娘であったが、実際は思っていたよりずっと過保護で、万が一に備えてこれでもかと言わんばかりの強力なタリスマンを持たされていたのだ。

 ただ、そのお守りは強力である分、かなり特殊な趣味が悪いデザインだった訳で、こんなもんを着けっぱなしにしていたら年頃の女の子としてどーよ? と顔を顰める逸品(穏当な表現)で……ちょっとかなり遠慮したいブツであった。

 今現在は流石に最低限の護符こそ所持しているが、陰の気の澱みを予め確認できるようになったので、中学デビュー――というのとは少し違うが、陰気なオカルトかぶれの少女から脱却を果たしている。


 当たり前の話だが、いくら人材不足の対策局であっても、そんな小娘を前線に出すほど落魄れてはいない。

 その見鬼の才は大変有り難いが、有り難いが故に大事に育成していこうとするのは当然の流れだ。


 尤も、極々一部にとっとと使い物になるように前に出して鍛えろと、ヌかしてくるの頭が固すぎる派閥イカレポンチ共もいないではないが、実に常識的な局長によってその声は封殺されている。


 だが、見鬼は鬼を…おにを観とめられる能力だ。

 故に、常日頃から陰に接し続ける事でもある。

 大事な心身の成長期において、ただ乱雑な環境に置いたまま、それを見取らせ続けてゆけば、自ら陰に堕ちて行きかねない。

 そうならないよう常識的にも道徳的にも指導主事が就けられていた。


 二年前まで基礎鍛錬を付けてくれていた教育担当員であった女性。

 名を花園はなぞの みやこ

 当時、五つ上の先輩





 ひょいと気になった事を調べ始め、気が付いたら三日が過ぎていた。

 彩里の個人的な興味から始めた事であるが、意外な発見もあって妙に得した気分になっていたりする。


 いやはや…本当に人の縁とは分からぬものだと今更ながら思い知っていたそんなある日の放課後。

 何時もの哨戒任務に入る前に芦原支部に立ち寄り、施設に一歩入ったそのタイミングで、ポケット中のスマートフォンが小さな鈴の音呼び出し音を上げた。

 その呼び出し音としてはかなり些細な音色であるが、それは普段使いのアラーム音ではない。めったに使わないはずの緊急を告げるものだったのだ。

 突然の事でぎょっとしてた彼女だったが、その呼び出しを行っている鏡華本人が受付でスマートフォンを持って立っているではないか。


「ああ、丁度良かった!」


 何時になく焦った彼女を見て更に驚くが、彩里が質問をするよりも早く彼女が手を掴んで奥へと急ぐ。


「一体何が…?」


 と口にしても声は後方に流れるだけ。

 勢いに負かされる形で、彩里は支部の奥、ブリーフィングルームに引っ張り込まれた。

 奥には見知ったメンバーが五人。

 腕を組み、物凄い不快そうに眉を顰める狩野。

 その左隣でテーブルに肘を置き、祈るように掌を組んでいるのは辰田たつた 清隆きよたか

 茶髪の所為か実年齢より若く思われるが、こう見えて三十代後半で、左耳にピアスを着けたチャラそうに見える男性だが、その実かなり堅実で真面目な男性。


 狩野の右隣には腕を組んで天井を見上げているスキンヘッドの男性は田中たなか 勝治かつじ

 額に鶉の卵ほどの白い石…呪術の増幅石を張り付けており、その血筋は四辻というかなりの名家であるが、彼自身は後継ぎを叔父に投げて前線に出向いている変わり者だ。

 三十路の男性で、悪い人間ではないが言動が特殊エキセントリックなので彩里は自分から関わったりしない。能力的には頼れるのだが。


 その勝治の隣に座っているのは山本やまもと しげる

 小麦色の肌に角刈り、そしてみっちりと筋肉がシャツを押し上げている事から見ただけ相当鍛えている分かる。

 その外見から脳筋に思われがちだが、まだ二十七歳と若いにもかかわらず性格は冷静沈着で、その実力も修験道を嗜み仙道にまで通じていてかなり頼りになる男性だ。

 ただ、口数が少なすぎてコミュニケーションがとり辛いのが難点だが。


 その繁の真正面に居るのは北倉きたくら 摩耶まや

 二十代半ばであるが、ストレートのセミロングで更に童顔である事も手伝って、学生に見られがちの女性職員だ。

 大人しくそうに見えるがその実、前線要員。そのくせ彼女の本質は神霊術で、特に水と風系列に特化しており、前衛後衛もちろん遊撃に補助にと様々な戦況で活躍している。

 見た目はおっとりとしており、妙な西日本訛ではあるものの、人当たりも良く社交的で接しやすい人物と言えなくもない。

 が、確かに人当たり良いのだが、勝治とは別ベクトルでこれまた特殊エキセントリックな言動が目立ち、やはり彩里からは積極的に話しかけたりはしない。

 しかしその彼女すらテーブルに突っ伏していた。


 無論、実動隊としてこの支部に勤めている者は他にもいるのだが、この支部のそれと知られたメンバーイカレタやつらが勘首揃えて難しい顔をしているのだから、嫌が応にも只事ではない事を思い知らされてしまう。


「あ、あの……何があったんですか?」


 彩里は、恐る恐るそう問いかけた。

 正直、聞きたくない。いやさ下手をすると聞いたらいけないというレベルである気がするのだが、聞かずにいる方が不安である。


 しかし沈黙は続く。

 気さくに接してくれる辰田辺りがとりあえず答えてくれそうに思っていたが予想が外れた。

 五人の反応に戸惑い、鏡華に尋ねようかとした時、摩耶が頭だけをぐりんと動かして彩里に向けて、


「面倒事やわ」


 と端的に告げた。

 人形のような動きだったので怖かったのは内緒である。


「え、いや、その……。

 皆さんがそんな顔してるんですから、それは分かるんですけど、一体何が…?」


 集まっている面子が面子なので、不安は募るばかり。

 鏡華ですら何も語ってくれないのは流石に怖い。

 取りあえず、一番説明に長けた者…狩野に問いかけようとした時、


「だぁ~っ! もう、面倒臭ぇ!!」

 狩野よぉ、引き籠ってないでとっとと出張ろうぜ!!

 時間の無駄じゃねぇか!」


 綺麗に剃り上げた頭をがりがりと搔き、勝治が野太い声でそう吠えた。

 相当イラついている事は傍目にも分かる。

 そして彼らを留めさせているは支部長である事も。


「だから待てっつってんだろ。

 まだ八ツ目から報告が来てねぇんだ。

 当てもなく飛び出したって時間が無駄になるだけだ」

「クソが」


 勝治はまた不貞腐れた様に腕を組み、椅子に座り治す。

 繁はそんなやりとりを眺めつつ深く溜息を吐くのみ。


 彩里は詳しく聞いた事は無いが、『八ツ目』というのはある場所に潜入している情報収集要員の事だ。

 昔風に例えるなら『草』であり、表向きはその潜入先の一員として真面目に取り組んでいるのだが、やはり草というのだから本業はスパイ。内部情報をこちらに流し続けてくれているらしい。

 尤も彼女はどこに潜入しているかまでは知らないし、そういったややこしそうな話に首を突っ込む気はない。

 潜入しているという情報も偶々耳にしただけで、その事についてわざわざ尋ねた事はないのだ。

 だが、その潜入中である八ツ目からの報告待ちという事態がよく分からない。


 狩野の背後には普段は使われていない大きなモニターがあるのだが、今は使用されていて一面に地区のマップが映しだされている。

 画面に見えている範囲は、この芦原支部のある東区エリア全域だ。

 これは警戒中のモードで、防犯カメラに紛れて設置されている霊波センサーが異常な高まりを察知すると直ぐに報告が来るようになっている。

 彩里もそんな非常事態モードの存在は知っていたが、実際に稼働するのを目にするのは初めだった。


 ちらりと鏡華に目を向けると、彼女はモニターを凝視している。

 普段はぽやぽやしている摩耶ですら、時折視線をモニターに向けているのだから、これは本当にシャレにならない状況なのであろう。

 流石に説明も無しにしておくのは拙いと気が付いたのだろう、ようやく狩野が口を開いた。


「手短に説明する。

 時間にしておそらく昨晩の深夜過ぎ。

 西条本家で問題が発生した」


 西条という名にピクリと彩里が反応を見せた。

 明らかに、不快の。


 話に上がった西条家というのは古くから続く退魔師の名家であり、特に術具の開発と使用に関してその道の権威を誇っていた一族である。

 一般社会には表立った活躍こそ知られていないが、元は京の陰陽寮において陰陽大属おんようのたいぞくと同等の地位であったらしく、その強い影響力は明治時代にまで続いていた。

 何しろ京の都は元より、各地の守り人(退魔術師)、江戸町奉行所等に設けられていた《怪異目付かいいめつけ》といった組織に対して符や法具、退魔具を開発し、提供していた一族なのだから、その手の長さも分かるというもの。

 調伏は勿論、退魔、都の守護、祭事に置いて欠かす事の出来ない祭具に法具、護符を用意する立場なので、表裏の双方の儀式には欠かせぬ陰陽寮の要と言えた。


 が、その実情は先細りと言って良い。

 何しろ戦国の世を過ぎた頃からその技術の発展も横ばいになり、明治2年に時の陰陽頭が没した際に、大規模な組織編成が行われてその大き過ぎる力を削ぐ為に一部を政府直轄とされているし、第二次大戦後には不穏分子が湧きかねない事を懸念したGHQによって財閥の一つとして項目に入れられ、更に解体が進められてしまっている。

 何とか私財を吐き出す事によって完全沈黙は避けられたものの、昭和の後期辺りには、もはや名家という形が残っているだけに過ぎない、過去の栄光に縋るような一族と化していた。


 しかし、かなり規模が縮小されたとはいえその発言力は未だしぶとく…もとい、根強く残っている。

 家の規模は確かに縮小されたものの、一部の強力な退魔符や護符、法具といった表の世界に出ない特許を未だに持っているのも大きく関わっているだろう。


 しかし、確かに表社会で権利を表明する事は難しいのだが、何しろその遺失技術と言われる過去に作られた技術の継承が出来る者が残っているのは、西条家ともう二つの僅か三家。

 それだけでも大きいのだが、件の一族には未だ未発表の呪式やら呪具が多数残されている。

 取り扱う技術の継承は元より、扱えるだけの才能…"血"を残すという命題を掲げられているのだから文句も言い辛いのだ。


 例えその後継ぎが如何なるゴミクズだとしても――


「まだ詳しい事は分かってねぇが、例の西条のが問題を起したらしくて本家が大荒れなんだとさ。

 まだ確かじゃねぇが、その騒ぎで呪物に封じていたヤツが解き放たれてるとよ」

「……控えめに言って、大事件じゃないですか」


 彩里から強張った声で文句が零れた。

 西条の、と称されている人物は直ぐに思い浮かべられる。というより他にいない。いたら堪らない。

 後継ぎとして大切にされ過ぎている上、性質の悪い事にそれなりに法術が使える才を持っている事も手伝って、典型的なかなり傲慢で思いあがった嫌な青年である。


 尤も、確かに自分なんぞが戦っても千戦千敗はするだろう程には強いのだが、狩野や勝治に言わせれば「ちょっとばかり才能があって、法具と相性がいいだけの盆暗」に過ぎないらしく、二人がもしアレと戦う事になったとしても十中八九勝てるらしい。

 何しろ摩耶ですら彼に勝てるらしいのだが、彼女からすれば、


「あーゆー奴って、ちょっとでも自分よりデキるトコ見せる女に腹立てるんよ。

 せやから関わったら後々ネチこいけん下手に口も出せんの。

 何よりアイツ、気ショいし近寄りとうない」


 との事。

 男性との距離が少々バグる彼女ですらこうなのだ。

 摩耶からしてみれば、性格が合うのなら別に相手が無職プーでも飲んだくれの宿六でも気にならないらしいのだが、それでもあの男はノーセンキューらしい。

 割と普通の好みだったので安心したのは内緒である。


 兎も角、そんな大問題児が大問題を起したという。

 あちこちに湧いてくる小さい不満は本家に残っている影響力でもって握り潰していた。

 小さい不満、といってもそれは確実な証拠がない事故も含まれている。

 『証拠さえなければ』が前提なので、以前ほどの権力はないがそれでも小狡い上に相当に上手く立ち回って証拠らしきものは何一つ残していないのだから性質が悪い。

 この支部の面々は勿論、彩里自身もそれを身を持って思い知っている。


 狩野達も強く訴えているのだが、何時だって物的証拠が何もない。

 何かしら起されても回避不可能な事件だったとされ、かの人物に科せられるのは何時も厳重注意と研修期間延長、遠征任務追加といったかなり不満の残るもので終わっている。


 しかし、仕出かした、と。


 何をやらかしたかは知らないが、事の大きさから今回こそは何かしら厳罰に処してくれるのではないか――と不謹慎な期待をしてしまった彩里を誰が責められよう。

 狩野からして、から草を送り込む程に憤慨していたのだから。


「入ったっス!」


 ずっと手を組んでいた辰田が頭を上げて声を上げた。


「どこだ?!

 数と規模は?!」

「ちょい待ちっ」


 彼は狩野の質問を左の耳のピアス――言の葉を伝えてくる法具に指を掛けて集中する。

 残ったメンバーは辰田を見つめ、じっと報告が終わるのを待った。

 何時も血色のいい彼の顔は、報告を受ける毎にみるみる青くなってゆく。


「本家に封じられていた法具、えっと…名前はよく伝わんないスけど、心身を操る物を持ち出したそうです。

 屋敷で騒動起した奴は何とか抑えられたらしいんスけど、持ち出された管の封緘が切られ、凡そ八体の物の怪が解き放たれた模様! 更に制御不能みたいっス!!」

「ざけんなっ!! あのガキ!!」


 報告を聞き、だんっと強く勝治がテーブルを殴った。


「ンなコト仕出かした馬鹿はどこ行きやがった?!」


 そのままとんでもない剣幕で怒鳴るが、辰田は慣れているからか怯まず答える。

 

芦原こっちじゃないっスね。東区の方に向かったみたいっス!

 えっと、婚約者に呪法掛ける為っ…て、マジかぁ…?」


 理由を聞いて思わず絶句する一同。

 以前にちらりと婚約者と仲が悪いとかそういった噂を聞いた気がしていたが、それに焦れたか拗らせたかして、件の馬鹿はこんな大馬鹿な真似を仕出かしたというのだ。

 そんな三下のチンピラのような行動で全地区が厳戒態勢になっていると分かれば、誰だって呆れるしキれもするだろう。


「……丁度ええわ。

 ちょいと東区の手伝いに行ってくる。

 冷静やないから手違い起すかもしれへんけど堪忍なぁ……。」


 ヨシぶっコロ決定。と摩耶が呟きつつゆらりと席を立つが、後にしろと狩野が制する。


「こっちに何体入った?」

「東エリアの端から…三体?! マジか?!」

「……東エリアか。となると篠原公園になるな」


 侵入してきたのは半分近くの数となるが、繁は臆する風もなく場所を聞くと直ぐに席を立つ。


「繁も落ち着け!

 対象の種別は何だ?!」


 本心は狩野自身も飛び出して行きたかったが、周囲が息巻いている為に多少踏み止まれている。

 被害を最小限に押し止める為に、対応を履き違えては話にならないからだ。


「三体とも…式神みたいっス。

 あ、でも……。」

「でも、何だ?!」


「でも、製作者は西条家の三代目方士、西条さいじょう 一宏ひとひらっス!!」



 西条 一宏。

 西条家の三代目当主にして、数多の技術を後の世に伝えた偉大なであり、内縁の妻と考えられている女性。


 そして、第一級の封印物ばかりを生み出していた西条院の設立者にして、とち狂ったマッド開発局デベロッパーとして広く名が知らしめたである。


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