第7話 論より証拠/人の苦楽は壁一重
その日の哨戒任務を終えた彩里が施設に戻ると、ソファに深く背中を預けて天を仰ぐ格好の
今週の頭に関東本部へ出頭し、何かしら難しい会談を行っている事は知っている。何しろ、彼女もある意味当事者なのだから。
詳しい話こそ聞いていないが、今後の新人育成にすら関わる内容だった事は仄めかされている為、必死に聞き流したものだ。
何しろ大まかな話は知っているのだから。
ライトノベルというか、おとぎ話めいたものはフィクションならば受け入れられるが、現実なのは勘弁だ。
ただでさえ彩里達は"怪異"という現実からはみ出した世界を知っているというのに、これ以上ファンタジーで浸食されたら堪ったものじゃない。
が、生憎と現実は非常だ。
何しろ彼女がどれだけそう
尤も――今はまだ、誰一人として想像もできていないのだが。
「彩里ちゃん、おかえり。
お疲れ様」
部屋の奥からスーツスタイルの女性が、トレイにコーヒー乗せてやってきた。
身体のラインに自信があるのか、タイトスカートを穿いており、実際よく似合っている。
ここ、芦原支部の所属する女性職員の一人で、名を
巫術――神霊を身に降ろす事ができる術の使い手であるが、前線向きではないため主に内勤に回っている。
実質、狩野の秘書のような立場であるが、度の薄い眼鏡をかけていて堅物そうに思える見た目とは裏腹に人当たりは良い。
今も頼まれた訳でもないのに、支部長の為に飲み物を淹れてきたくらいに。
「今戻りました。
西区10セクターに異常なし。
11セクターのお札が剥がされてましたので新しいのを張り付けておきました」
「それは……意図的な?」
「何時ものアレです。まったく、何も知らないで……。」
ああ、と納得する鏡華だったが、彩里は不機嫌さを隠そうともしない。
何時ものアレ、というのはSNSに投稿する動画だ。
所謂、『やってみた系』というやつである。
札が張られている箇所は、十字路や街の角、方位等、穢れが溜まり易い場所だ。
そういったポイント予め散らす為の符を張っておかなければ、陰は蔭を呼び、何かしらの事件や犯罪を生み出しかねない。
魔が差すは、魔が刺す、でもあるのだ。
凝り固まった陰の気が、波長の合った人間や動物に憑き、災いを成すのである。
だから、こういった地道な札の交換も大切な仕事なのだ。
それを悪ふざけ等で剥がされればそれは腹も立つだろう。
国内ではD案件、或いは『おとろし』案件。
英語圏では
これは、都市伝説等に見られる現象の一つで、大きく広がった噂がその情報の中で厚みを持ってしまい、実際に事件を発生させるものだ。
古来より人は闇を恐れ、夜の闇の中に魔物を感じて灯かりでもって不安を散らしてきている。
いると思っているからこそ恐れ、いると感じているからこそ闇を照らして安心を求めてきた。
そしてその中から、人々の恐れによって生まれ出た怪異が少なからずいる。
恐怖を持つ者はある意味期待していると言える。何しろいると思っているからこそ怖いのだ。
いると期待をしているからこそ、肝試しなどを行えるのだ。
噂を知り、聞興味を持った人の念、そして恐怖する物の恐れが、そんなあやふやなものに情報があつまり集めて形を持ち、土地の陰に集まった穢れによって実体化する。
それを防ぐが為に彼女らは日々警邏を行っているという訳だ。
情報化が進み過ぎた所為で、怪奇現象の噂の拡散速度は日々上がり続けている。
現地に飛ばずとも、地方のどこそこでどういった怪奇があるという情報が全世界に広がり、数多くの人間がその情報を得て、その地点にいると思考してしまう。
それらを笑い話として受け止めてくれるのなら良いが、好き好んでそんな情報を閲覧する者は怪奇が好きなのだ。大半はいるという事を期待している。
ご丁寧に昨今は現地の位置やら、画像までも知る事ができるようになった。
これにより、加工されたホラ画像から怪奇現象が発生してしまう事案も懸念されている。
いや、起こりつつあるからこそ、定期的に符を交換するなど行って、事態を未然に防ぐ努力を続けているのだ。
だが――彩里らの願い虚しく、これから先は確実に事件は起こる事となる。
まだ、彼女らはその事を知らない。
「でも困るのも確かよねぇ……。
目立たないようタリスマンを刻む事も検討が必要かしら?」
「上から削られたり、いたずら書きとかされそうですけどね」
「そっかぁ…。」
何しろ陰の気が溜まり易い場所の中。それができないとしても、なるべく付近に設置しなければ何の意味もない。
だが、人目が無さ過ぎる場所に札なんぞ張られていれば、昨今は逆に目立つ。
この現世、デザインどころか配置にまで検討しなければならないのは頭の痛い話ね、と狩野の前にコーヒーのカップを置き、
「あ、そう言えば、辰田さんから報告着いてましたよ?」
と、声を掛けた。
その声に狩野はピクリと反応を見せ、
「内容は?」
仰向けのままそう問う。
「ええと、よく分からないんですけど、調査の結果は全て使用不能だったって。
それと向こうはかなり混乱が起こってるから、治めるのにしばらく掛かるとだけ。
何だが保存会がどうとか言ってたけど……。」
鏡華も詳しい事は聞いていない。
支部長宛になっているメール内容をただ語っただけである。
ただ、何時もなら辰田という職員は、提出書に無関係な事柄まで書き込んで日記の態を成してしまうというのに、今回はかなり簡素な文面であるのが少し気にはなっていたが。
「辰田さん、出張なんですか?」
「うん。"鹿児島"までね。
詳しい事は分からないんだけど、本局から急に命令が入ったの」
関東からわざわざ直接調査に行くというのがよく分からない。
当然だが、現地にも同じ対策局員はいるはず。現地のスタッフに指示すれば良いだけではないのか? と少し疑問を感じた。
「そうかよ……。
そうかよ、クソっ!!」
鏡華の言葉がようやく頭に染み込んだのか、狩野は乱雑に頭を掻いて身を起す。
「狩野さん?」
「支部長?」
憤る彼を見、目を丸くする二人。
彼の動揺の理由が分からないのだから当然であるのだが。
しかし、只事ではないというのだけは理解できた。
「畜生っ!
証明するモンばっか集まりやがって……っ!!」
増えつつある都市伝説の実体化。
計測して思い知らされた、微量ではあるが上がり続けているマナ濃度。
秘密に伝わってきた、宮内庁からの御達し。
そして鹿児島――種子島からの報告。
本当に、理不尽な話である。
真に、世界は、決して人類に対して都合の良いものではない――
そう思い知らされ続ければ当然なのだが。
「マサ、今日時間あるか?」
放課後になり、さぁ帰ろうとしたところで大河原がそう問いかけてきた。
「何だ大河原。
今日は『狂人 タロム1』の動画を見るという崇高な使命があるんだけど」
「いや、何だよそれ?
そうじゃなくて、今から『ドない屋』に行くんだが一緒にどうだと思ってな」
「ドないや……ああ、あのお好み焼き屋か」
「おぅ。行くのは何時ものメンツだ」
ひょいと目を向けると、クラスメイトのに二人。
因みに、二人とも女の子だ。
「何だ? 両手に花の見せつけか?」
これだから格差社会は……っ!! と僻んで見せる学義であるが、大河原はお前ナニ言ってんだ? という不思議そうな顔をしていた。
「あいつらの何処が花だ。
良くて造花、枯れ尾花……っ痛っ!!」
すぱぁんっと景気のいい音が彼の背中からした。
綺麗な平手打ちが入ったのだろう。
「誰が造花よ! 口悪いわね!!」
引っ叩いたのは夕子だ。
濃い茶色のショートボブで、今の行動からも分かるように勝気な少女である。
社交的で、どんな男子にでも分け隔てなく接する事ができるが、その社交性は女子にも発揮できるのか、嫌味の声は上がっていない。
だが、男子からの人気は…正直、微妙だ。
可愛い事に間違いはないが、この気の強さだ。二次元なら兎も角、昨今の男子生徒は草食が多い事もあってか御遠慮したいらしい。
「でも、真っすぐに褒めてくれたのは初めてだから嬉しいな」
そう無邪気に笑っているのは、輝。
セミロング手前の、癖のある髪の少女だ。
その笑顔から分かるように、同年齢の女の子らよりも幼く思えてしまう。
こちらも夕子同様に男子達にも分け隔てはないが、どうにも距離感が難しいらしく、やはり特別に近しい異性の影はない。
別に世間と感覚がずれている訳ではなのだが、どうも会話のテンポが掴み辛いからか、夕子とは別の意味で男子との縁がないのだ。
「痛ぇ……。
いやな、二人とツルんでるとどーしても肩身狭いんだよ。
ホラ、昔あったろ女の中に男が一人って」
何時の時代の話だよ、とツっこみを入れつつ、ふと考えてみる。
これはぼっちから卒業できるのではないだろうかと。
この大河原 勇という男、どんな人間とでも分け隔てなく接する事ができるという稀有なコミュニケーション能力を持ってはいるが、その分け隔ての無さは平均的に等分する。
つまり、人との付き合いが狭ければ狭いほど構うのだ。
そしてその能力を発揮して
二人とも嫌われている訳ではないが、ペースがやたらと違う為にやはり他所とは混じれない。
だから一人より二人、二人より三人がいいという大河原は構ったまま一緒にいるのだ。
これで無自覚で行ったコミュニケーションなのだから大したものだと思う。
これで多少の思慕の想いが二人に湧いているのなら、周囲もやっかみを見せるだろうが、それがまた二人にはその気が全然無いときている。
学義の目から視ても、その兆しすらないのだから、ある意味感心してしまう。
そして大河原も理想の女性は別ベクトルらしく、二人に対しての距離こそ近いが異性としての気持ちがまるで無い。
思春期ド真ん中だというのに、何という奇跡の三人組であろう。
そして悲しいかな自分はぼっちに属している。
何しろ、嫌われている訳でも無視されている訳でもないのだが、親しく接してくるのはこの
まほう使いにはなってしまったが、別に仙人ではないし孤独が好きという訳でもない。
つか、ぼっちのままは真っ平御免なのである。
「OK分かった。
僕もその店の腕前を測らせてもらおうじゃないか。
はっきり言って、モダン焼きにはうるさいぞ?」
「安心して!
広島焼きをモダン焼きって言い張る店じゃないから」
何だか嬉しそうな輝の言葉に、(無駄に)不敵な笑みを浮かべる学義。
「ほぅ。それは期待大だな」
一緒に行く事に同意を見せる彼の様子に、夕子もどこか楽し気な笑みを浮かべた。
「あたしのお勧めは、豆天玉よ。これは譲れないわ」
「え? それって四国の方のメニューじゃないか。
あの店名で徳島出身なの?」
「詳しいわね。心強いわ」
「何が?!」
出会いこそ、不自然極まりないものであるが、この学生生活にも何とか馴染んでいる学義。
まぁ、違和感バリバリだったのは彼に術が効いていないのが原因なので、ある意味自業自得なのだが。
兎も角、今は一般人として人の輪に溶け込んでいる。
この世界の術師達の事はほとんど知らないのであるが、総じて彼らにはある程度以上の『力』を持っているようだ。
その『力』を魔力というのか精神力と称すか呪力と呼ぶのかは知らないが、兎も角ある程度以上のナニかは確実に感じられる。
対して、学義にはそんなものはほぼ無い。
はっきり言って一般人のそれだ。貧弱極まりないといえる。
が、元来まほう使いというものは殆ど魔力がない。
と言うよりほぼ必要無い。
ほぼ、と断わりを入れているのは、途轍もない大それた事を行う際には流石に消費せざるを得ないからだ。
その上で、更に彼は力を思い切り封じている。
したがって他者に……或いは術者等に感知される様な事もない。
だから、こんな風に同級生らと呑気にわちゃわちゃ出来る訳で、こんな風に一般人を謳歌できる訳だ。
嗚呼、歓ぶべきは不自由さよ。
怪異対策局の方達の苦労など他所に、半人前の若造という自分を十二分に堪能している学義。
家に帰れば、やはり呑気で明るく優しい家族がおり、寝食(麺類が異常に多い事を除けば)の問題なく過ごせるという幸せさ。スバラシイ!
――無論、世界の事情からすれば薄氷の上のようなものなのだが。
「……やっぱ手札いるかぁ」
「ん? どうした。
青海苔が足りないのか?」
「十分だっての。
つか、何だよお前の豚玉。ゴルフ場の芝生みてぇになってるじゃねぇか」
「何時も言ってるけど、かけ過ぎなのよ」
「そういうお前はソース付け過ぎだろ。店長泣くぞ」
「この焦げたソースが良いのよ」
「私はマヨの方が良いと思うんだけど」
「いやいや、マヨネーズかけ過ぎ! 真っ白だよ?!
焼けてる匂い良いけども!」
箸ではなくコテ(関西読み)で切り分けつつ、思考に入る。
いざ封じたは良いが、日常崩壊といった肝心な時に一人で全てを賄うのは難しい。
無論、できなくもないが何しろその力はやたらと便利過ぎる。いざ、という切羽詰まった時以外で使用する気はない。
が、そういった
それは身を持って知っている
だから、こちらに戻る前に師から言われたようにしておく事にしようと思う。
『良いか?
ひととしての生を謳歌するのなら、使い魔を作っておけ。
お主にとって身を縛る時を綴るのが至上であろう?
ならば尚更よ』
『それに、
孤独は存外、つまらんぞ?』
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