第3話 触らぬ神に祟りなし/一石二鳥


 芦原高等学校の芦原の名は、世間一般的には元が葦の原だった事からきている――ないしは芦原あわらと読めるので関係者の中に旧越後からがやって来た者がいたからでは? と色々な説が挙がっている。

 一応、芦原高等学校は公立であり地方公共団体が関わっている事に間違いは無いのだが、実のところ名前の元となっているものは不明のままなのだ。


 初期校舎は第二次大戦終結後すぐに建てられた事までは分かっており、探せば白黒写真で当時の芦原高校の姿を見る事も可能だろう。

 しかし、当時から書かれていたとされる學校史は、新校舎の建築が終了した際の備品の運搬時に紛失している。

 この一件により、初代校長から綴られた学校の歴史は卒業生たちの思い出と、当時を綴った文集等で知る事しかできなくなっていた。


 とはいえ地方歴史学方々が額に皺寄せて唸る程の神秘でも謎でもなく、データ化が進んでいない時代の凡ミスの一つとして、嘆いてもしょうがないがどうしようもない話という認識に留まっている。


 いや実際、どうでもいいし――


 色々と時間はかかったものの、学義がこの学校に通い始めて早六月も終わろうとしていた。

 旧坪内高校の生徒らの内、百人近くがこの学校に割り振られており、戸惑いもあっただろうが直ぐに馴染んで普通に高校生活を送っている。


 いや、僅かひと月足らずで、クラス替え程度の戸惑いで済んでるのは明らかに不自然なのだが……。


 生徒達の認識がズレさせられているのだろう。

 学校の校舎そのものにも術が仕掛けられており、それによって矛盾の隙間を補完され続けている訳だ。


 無論、学義は術式は視た。と言うか、校舎が目に入った瞬間に見えてしまった。

 術内容も即理解した。彼からするとスパゲティコード無駄にこんがらがってるモノだったが。

 一応、だったらすぐに使用できるし、分解だってできる。やらないけど。

 彼は別に愉快犯でもなければ目立ちたがり屋でもないのだ。


 この学校に来ると、またしても二年B組。そして席も真ん中の筋の一番後ろときた。これで偶然なのだからヤになってくる。

 登校し、まるで去年から一緒にいるかのように錯覚させられているクラスメイトらと挨拶を交わし、そんな自分の席に腰を下ろす。


 級友たちは転入してきた生徒達に対し、初日こそ色々と言葉をかけてきたものであるが、数日と経たずそれは収まっており、今はこのように以前からいた者として日常の一コマに収まっている。

 絶対に起きるはずの授業進行のズレもなく、皆淡々とありのまま受け入れて。


 あれだ。

 初日の質疑応答でお互いの情報を受けて、去年からそういう感じだったと認識させられてんだよな、と学義は理解できている。

 それで数日かけて最適化されいったという訳だ。


 尤も、彼からすればそんな術を使った記憶の隙間を埋めていく過程は、ダイヤルロック錠の鍵開けを数字の総当たりで行われているようなもので、何というか……凄く、

 もっと、こう…あるだろう? というヤツである。


 実際、今の学義ならできる。

 一瞬で皆の記憶の統合性も持たせられるし、矛盾など発生しないだろう。


 じゃあ何でやらなかったのかというと、この世界の術……認識阻害の進行が彼が想像していたより遅かった事と、一定の時期が過ぎてた時に『流石に遅くね?』と気付きはしたのだけど、こんな中途半端な時期に術式に手を加えると確実に術の進行が乱れてしまう。

 それはそれはそれで逆に怪しまれるじゃね? と無駄に用心して傍観に徹していたからだ。


 ゴキブリのよーに身を隠して帯びて籠っていたらコレである。

 既に違和感が埋まった他の学生達は良いが、自分だけ取り残されたように差異が残る羽目に。

 今更ながら初日にすぱっとやっとけば良かったと溜息が出た。

 正に後の祭りである。


「お、加賀。来たな。

 数学の課題出してくれ」


 席に着くと、早々に男子生徒がやって来た。

 少年の名は大河原おおがわら ゆう

 帰宅部ではあるが、剣道の道場に通っているらしく身体は引き締まっていて背も高い。

 やや癖のある髪で濃い茶髪、しかし地毛である事は皆も知っている。

 日焼けした肌が目立つもののそれは運動焼けであり、チャラさは感じられず、イケメン…という程ではないが中々に愛嬌のある顔つきをしており、人望もそれなりにあるのだから、成程これが貧富の差か…と出会った時は思ったものだ。


「おう……。

 微積分の一枚だけでよかったよな?」

「あぁ、男子の分はお前の分がラストだ。

 って…質問コマ全部埋められたのか」

「定積分のとこで挫けかけたけど何とか……。」


 学義は元から理数系なのでそれなりには仕上げられるのだが、問題を読み解くミスでよく躓いていた。

 そのマイナス分が彼を平均点のド真ん中に留めていたのだ。

 文系もそんなに苦手ではないのだが、如何せん現代文等では文章問題にぶち当たる為、時間切れになり易かったのである。


「それでも自力で仕上げたんだろ?

 俺は二問諦めたぞ」


 そう感心した風に課題を受け取り、集めた紙束の間に挟んで教卓に持って行く。

 普段は勇ももう少し遅く登校するのだが、今日は日直である為に早く来ている。性格も律儀なんだから、こんな奴もいるトコにはいるんだなぁと、学義は妙なところで感心していた。


 しかし、確かに自力で仕上げはしたけど……と、ちょっと皆に申し訳なくも思っている。

 いや別にズルをしている訳ではないし、結構手間取った事も間違いではない。


 ただ、頭を使わされたベクトルが少々一般人と違っていた。


 何しろ問題を見た瞬間に答えが先に分かるようになってしまっている。

 計算した訳ではないし、思考した訳でもない。

 理屈も何も無く、単に、ぱっと理解できてしまうのだ。


 しかし、答えは瞬間的に出てくるものの、という致命的な欠点がある。

 今の自分にとって計算式といったものは不要物に過ぎず、思考の端へ排除されてしまうものとなっていた。

 だからといって答えだけを書けばよいという訳でもない。

 少なくとも、学校で数学のを学んでいく際には、きちんと理解しているのか公式に当てはめて解いてゆく過程を書き込んで示さねば話にならない。

 では、その質問の答えに至る式を思考すれば良いんじゃね? という疑問も湧くだろうが、そうするとアホみたいな数の例が次から次に浮かび上がってくるのだ。

 だから、何とか努力して使使どうにかこうにか学生の領域で仕上げたのである。


『何で課題一つにこんな奇怪極まる苦労させられなきゃならないんだ』 


 とボヤキが出るのも当然の話だろう。

 課題に割いた時間そのものは、実はそんなにかかっていない。ものの数分である。

 ただ、その数分間の間に、物凄い並列思考で端的な公式へ持って行こうと激論が繰り広げられていて思考が騒々しくて心はすっかり疲弊してしまっており、その心労は測りし得ない。

 恐らく脳内時間では何か月もかかっているだろう。

 

 できる事が圧倒的に増えたけど、その為に出来ない事だらけになる等、なる前の彼は夢想だにできなかった。






 六月水無月とはよく言ったもので、本当に雨が降らずただひたすら温度だけが順調に上がり続けており、毎年聞く羽目になる恒例の『例年で一番暑い一日になるでしょう』を耳にさせられている。


 まだ蝉が鳴く時期には少々早いが、ジー…というニイニイゼミの声に近い音が彼女の耳に響いていた。

 耳鳴り――等ではない。


 いる。

 確かにいるのだ。


 真昼間の、こんな場所に。


 雨宮あまみや 彩理いろりは何時になく身体が緊張している事に気が付いた。


 怪異と出会っても驚く程ではない。

 まだ学生という年齢から前線に立っていないというだけで、実戦経験がゼロという訳ではないのだ。

 しかしこんな真昼間の、

 それもこんな日常の近くで出くわす羽目になるとは思ってもいなかった。


 場所は公立学校の裏手にある住宅地の端。

 低い山を造成した名残りか、山頂には古い祠があるものの、さして高くもなく特別な霊的警戒区でもない地域だ。


 しかし今、その住宅地を背にした山頂入り口の茂みの中に何かが潜んでいるの事がはっきりと伝わってきている。


 うなじから肩に汗が伝う。

 いや、既に背中側が濡れていると分かる程に汗ばんでいた。


 いるのだ。確かに何かが。

 何かが鳴いている。

 どう聞いても蝉のそれとしか思えないのだが、明らかにニイニイゼミではない。

 耳鳴り同様に絶え間なく音が途切れず響き続けているのも不気味さに拍車を掛けている。

 何より、あやかしの気配が異様に強いのだ。


 だが、蝉の妖など聞いた事が無いし、周囲には茂みこそあれ蝉が張り付くような大きめの葉はおろか木々がない。

 ましてやこんな大音響の蝉が茂みに潜んで鳴く事などあり得るのだろうか。


 彩里はゆっくりとポーチに手を伸ばし、結び紐に指をかけた。

 こういった場合、ジッパーは音を立ててしまう為に紐で結ぶ事になっている。

 実際、ジッパーだった場合は出てしまうだろう音を気にして心臓が大変だっただろう。

 革紐をほどき、中に手を入れて二つ折りにマネークリップで留められた紙束をゆっくりと抜く。

 銀色のマネークリップで留められているそれは、生憎とさつではなくふだであった。

 それも退魔行に私用される霊験あらたかな本当に呪力のある札だ。


 とはいえ、所持している符の大半は守り札であり、後は牽制にしかならない火気の符数枚のみ。

 異変を察知して駆けつけたは良いが、探索云々の前にいきなり出くわしてしまったからか判断が鈍る。

 しかし連絡を入れようにも何故か専用の携帯電話は圏外を表示していた。

 一瞬、血の気が引いたが、すぐに気持ちを切り替えて必死に考える。

 こうなると相手の陣……或いはの中に踏み込んだ可能性が高く、下手な動きは取れない。

 だが、こうまで異常事態が重なると報告が重要になってくる。

 万が一見逃してしまったら、どんな事件が起こるか分かったものではない。


 可能性に賭け、右手に防御符を構えつつ、左手には札の束と携帯を持ったまま、通信が回復するかどうか画面のマークを確認しながら、じりじりと後退を開始した。


 この地区の関係者の中で、こんな時間にフリーで動ける者はそういない。

 だが、緊急コールを使う事が出来れば、何とかなるはずだ。

 こういった事態でも、上の術者なら式神を使う等といった手段がとれるだろうに……と、彩里は自分の力の無さに奥歯を噛み締めた。


 僅か1m下がるだけでの体感で五分は掛かっただろう。

 しかし未だ圏外。

 下手なすり足では逆に音がしてしまうので、軽く足を浮かべて僅かに後ろへずらして反対の足も同様に動かす。

 草を踏みしめる音すら気になる為、緊張感が半端ではない。

 自分の鼓動が耳に届いてる気がする。


 2m…3m。駄目。

 4m、5m……まだ駄目。

 そしてもう数m下がったところで……。


 件の音がぴたりと止んだ。


「…っ」


 血の気が引いた。

 音を立てたつもりはないが、それ以外の何かが察知されたのかと周囲を窺う。

 しかし眼は、前方から外せない。

 先ほどより分かる。

 気配が、滲み出てきている。


 明らかに、生き物ではない


 いっそ野獣の方がマシ――

 そう思わせられる異様な気配。

 ごぞり、と蠢いて何かが茂みから出てこようとしている。

 次第に強まるその存在感はやはり獣のそれとかけ離れた異質なもの。


 それがもぞりと姿を現す直前、先ほどまで聞こえていた音が、より強く響き渡った。


 貫く様な怪音に、彩理の口より先に耳が悲鳴を上げる。思わず両耳を塞いで蹲る程。

 身動きが取れなくなった隙に、それが茂みの中から染み出すように現れた。


 ぼさぼさに乱れた長い黒髪。

 土気色の肌。

 人のそれより確実に長い腕。

 そしてボロボロの巫女装束……の上半身。 

 対して下半身はやはり土気色。

 しかしそれは人のそれではない。

 昆虫の……例えるなら飛蝗、ないしは直翅目のそれ。

 ひとに似た上半身と、二対の直翅目の足を持つ存在。


 確認するまでもない、怪異対象だ。


「《火》よ!!」


 彩里は反射的に符を使用した。

 相手は虫に似ている。

 怪異は、その姿を持つものの資質を持つもの。

 火の符は所持していたのをこれ幸いにと攻撃に使ったのだ。


 火行発起の符に霊気が注がれると、符は火に包まれ燃え上がりながらソフトボール大の火の玉となって怪異に放たれる。

 周囲に木々かあるが、それに意識を向ける余裕も無い。

 今は兎も角相手から離れる為に持っている術は使わねばならないのだから。

 そして怪異発現の報を伝えねばならないのだ。


 が、これは彼女のミス。

 運が悪かった事もあるとはいえ、いきなり攻撃するのは大きな判断ミスだった。


 まず対象が木火土金水五行でいうところの土にあたり、火が相剋ではない事。 

 そしてもう一つ。


 そして、ね――という音を理解できず、選りにも選ってで先制攻撃を行ってしまった事。


 これにより、完全に彩理はと見なされてしまった。


 ぎりぃい…っと、縄を捻じり切るような音が怪異より発せられ、その長い腕が大きく振られる。

 一瞬早く、彩理は避けた。いや、後ろに倒れた。

 その事により、首を吹き飛ばすような一撃は回避できたものの、怪異が距離を詰めて来る事に対処できない。

 幸いにも地を這う飛蝗と同様に走るのはそう早くはないが、何しろ体躯が体躯。一歩が人のそれよりも大きい。

 あっという間に彼女の眼前にまで詰められてしまう。


 間近で感じられるその異質さ。

 人に似た部分はぶよぶよとしていて、それでいて微妙に人間のそれを保っていて、下半身の部分はやはり完全に虫のそれ。

 そして近くまで来ると思い知らされるその臭気。

 小学校の時に飼育ケースから感じた記憶が蘇る。


 こんな時に何を思い出すのか。

 いや、思い出したのか。

 走馬灯……と、言う単語が頭をかすめた。

 左右から迫る怪腕に抗う術も、回避をできる余裕も彼女には残っていない。


『こんな……。


 こんなが最後の記憶なんて』


 余りの最期に、目尻に涙が滲んだ。






「あぁ、間に合った。

 色んな意味で良いタイミングだった」


 しかし、怪異の腕よりも先に第三者の声が挟まった。


「……ふぇ?」


 その声により、死を間近に感じ過ぎて意識を失いかけていた彩理の視界が現実に戻る。


 いる。

 何者かがいる。


 自分に背を向けた灰色のぼろ布を被ったひとが。


 そして怪異は、時を止められたかのように硬直していた。


「お怪我は……ないようですね。

 ほっとしました」


 そのぼろ布を被ったひとが振り返る。

 しかし、何者か分からない。

 真昼間の陽の下だというのに、頭部の影の中が全く見えず、人種はおろか性別すら不明。


 いや、それどころか何語を使っているのかもわからない。


 意志や意味は理解できるのに、言語なのかそもそも音なのかすらも分からない。

 何もかもが圧倒的に不審。

 

 なのに、何故か警戒心がそう湧かない。

 目の前のそれの気配に刃圧が無い。

 魔力や気の圧もない、ただの一般人のそれ。


 だが、何かしらの力は確実にある、という事だけは理解できていた。


 スン、と彩里は鼻を鳴らして状況を見た。

 ぼろ布の人物の向こうで、あの怪異は一枚絵の如く凍り付いたまま。放たれていた臭気すら途絶えている。

 ようやく緊張が抜けたか、彼女は肩を落として大きく息吐き、呼吸を整えてから顔を上げた。


「あ、あなたは……。」


 呆然と、ただ茫然とそう問いかけるのが精一杯。

 気色の悪い背景を背負ったまま、そのぼろ布のひとは彩里の声に反応し、



「これは……失礼しました。



 わたしは、付近を通りがった、通りすがりの ま ほ う 使 い です」



 そう短く、自己紹介をしたのだった。



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