第15章 知らない過去
第48話 知らない過去Ⅰ
そのまま何も起きる事はなく、一日が過ぎていった。普段着のままベッドに潜り込み、眠れないまま夜が明けようとしている。いつクラウが此処に来るか分からないので、おちおち寝ていられなかったのだ。果たして本当に来るのかどうかも分からないのに、緊張感に満ちている。朝が近づく度に手は汗ばみ、心臓は鼓動を早めていく。
カーテンの隙間から朝日が顔を覗かせる。時計は見ていないけれど、朝の五時とか六時――その辺だろう。
このままクラウが来なかったらどうしよう。私のせいで危険な目に遭わせたらどうしよう。このまま仲直りが出来なかったらどうしよう。不安ばかりが私の心に居続ける。いてもたってもいられず、顔を布団で覆った。自分の息が暑苦しくて、体勢を変えようとした時だった。
僅かにドアの開閉音が聞こえた。
アレクやフレアがこんな時間にこの部屋へ来る筈がない。クラウだ。意識すると、途端に心臓が破裂しそうな程に鼓動を強める。瞼を固く瞑り、両手を胸に押し付けた。こんな時こそ落ち着け自分、と自身を奮い立たせる。
「寝てる⋯⋯?」
間近でクラウが呟く。起きている事がバレてはいけないと、咄嗟に寝息の真似をした。
「行ってくる」
一体、何処へ――そう思うや否や、何かが頭に触れた。熱くなる顔を気にしている場合ではない。此処でクラウを捕まえなくては。
服の裾を目掛け、勢いに任せて右手を伸ばすと、触れた物をぎゅっと握り締めた。
「えっ!?」
驚愕の声と共に、顔を覆っていた布団がぱさりと捲られる。目が合った瞬間、クラウの表情は歪んでいった。
「嘘だ⋯⋯」
クラウが頭を抱えても、服を握る手は離したりしない。口をへの字に曲げ、目力を込める。
「何処に行くの?」
「い、いや⋯⋯」
「何処?」
詰め寄っても、相手は焦りは見せるものの口を割ろうとはしない。それならば、私にも考えがある。
「私も⋯⋯一緒に行く」
無理にでも服から手を離さなければ良いのだ。
私が一言放つと、クラウの顔色が変わった。
「それは絶対に出来ない」
「何で?」
「危険かもしれないんだ。ミユを連れていく訳にはいかないよ」
「私は、クラウにも危険な目には遭って欲しくないの!」
これにはクラウも言葉を失ってしまったようだ。対峙しつつ、ベッドから上半身を起こす。その間も、互いに視線を逸らす事はしない。
数分間押し黙った後、ようやくクラウは口を開いた。
「⋯⋯分かった、一緒に行こう」
言い終わると苦笑いをし、溜め息を吐く。
良かった、私の気持ちは伝わってくれたらしい。不覚にも少しだけ安堵してしまった。
「ちょっと俺の部屋に寄っても良い?」
「うん」
服の裾を離す事無く、何とかブーツに足を通す。苦笑いされてしまったけれど、そんなものは今はどうだって良い。
次に顔を上げると、クラウはにこやかに笑っていた。
「じゃ、行こっか」
「うん」
静かな廊下を無言で歩く。互いの足音だけが廊下に響く。
大丈夫だ。きっと上手くいく。自分自身に言い聞かせ、服の裾を握る手に力を込める。僅かに前を歩くクラウの表情が、心内が気になって仕方がない。
震え出した右手に左手を添えようとした時、目的の部屋に到着した。クラウは振り返り、膝をかがめて私と目線を合わせる。
「ちょっと此処で待ってて」
「嫌。一緒に行く」
私のその返事を待っていたかのように、クラウは意地悪そうに口角を上げた。
「俺の着替え、見たい?」
「えっ!? う、ううん、ごめんなさい」
反射的に、ぱっと服から手を離してしまった。顔は信じられないくらいに熱くなっていく。それを隠すように両手で頬を覆った。
私の反応に満足したように、クラウは目を細めて笑う。
「ちょっと行ってくる」
あまりにも恥ずかしくて顔を伏せたので、部屋へ入っていく時にクラウがどのような表情をしていたのかは分からない。ただ、ドアが私の向こうで閉まる音は聞こえた。なんて事を言ってしまったのだろうと、しゃがみ込んで身を縮める。
そこで違和感に気付く。クラウは本当に着替えをしに部屋へ戻ったのだろうか。彼はいつも通り、白い服を着ていた。汚れ等は私の目からは見られなかった。もし、昨日と同じ服を着ていたのなら、私の部屋へ来る前に着替えていた筈――
焦ってドアノブを掴み、乱暴に開け放つ。了承も得ずに部屋の中へ侵入し、くまなくクラウの姿を探す。不安を払拭するように、テーブルの上の物を手で薙ぎ払い、洗面所を覗いた。居ない。シャワールームにも、トイレにも居ない。
どうしよう。あってはいけない事だ。私に関わる事で、仲間を危険に晒すなんて。悔しさと、欺かれた悲しみが一気に心に押し寄せる。寝室の中央に辿り着くと、膝から崩れ落ちた。
「どうしよう⋯⋯。どうしよう⋯⋯!」
考えれば考える程、頭は回らなくなっていく。
そうだ。アレクなら何か知っているかもしれない。もしかしたら、クラウの行先も。
流れかけた涙を飲み込み、床を蹴る。隣のアレクの部屋のドアを必死に叩いた。
「アレク! お願いだから、起きて⋯⋯!」
その願いが通じたのか、ぺたりと座り込んだ私の膝に開いたドアがぶつかった。
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