第21話 水Ⅱ

「ミユ、すぐ付いてこい」


 返事をしようと口を開く前に、アレクはすっと瞼を閉じる。そのまま光に包まれると、その姿が消えてしまった。


「アレク! ちょっと強引過ぎるよ……」


 フレアは今日何度目かの溜め息を吐き、頭を抱える。

 一方で、クラウは訝しげに眉を顰める。


「何があったの? 殆ど話が聞こえてなかったけど」


「今日のアレクはちょっと可笑しいだけ」


「アレクが可笑しいのなんていっつもじゃん」


 こうなっては自棄だ。そんなに過去を見せたいのなら、此方だって意地でも見てやる。

 頭痛の事は一旦置いておこう。

 息を吸い込み、口をへの字に曲げる。

 クラウとフレアを思慮したりもせず、ずんずんと魔方陣へと近付いた。青い光を気にする事も無く、線を跨ぐ。

 そうして到着したのは氷の湖だった。湖の中央には中島があり、逆さにされた氷柱のような塔が見て取れる。あそこが目的の場所なのだろう。

 中島までは同じく氷の橋が架けられている。視界一面、白色と空の青色のみだ。

 唯一、風景に溶け込めないでいるのはアレクだった。

 やってやろうじゃないか。

 音が鳴るのではないかという程に、アレクの後姿に向かって鼻から息を吐き出す。

 一歩遅れて、クラウとフレアも到着した。


「行くぞ」


 笑顔も見せず、アレクは端的に言い放つ。


「ちょっとアレク!」


「フレア、今は止めよう」


 クラウは首を横に振って、今にもアレクに飛び掛かりそうなフレアを制止する。

 そうこうしている間にも、アレクは歩を進めてしまっていた。


「私、行く。意地でも過去の出来事見てやるんだから」


「ミユ、無理してない?」


「頭痛は嫌だけど……無理はしてないよ」


 今日の体調は至って良好だ。

 小さく頷いてみせると、クラウは肩を竦めた。


「後でアレクの事、叱っておくね」


 フレアもしかめっ面のまま、此方にくるりと振り返る。

 二人の反応には苦笑いするしかなかった。


「アレクは怒っても効かないよ」


 アレクの事を大して知っている訳ではないのに、ポロっと口から零れていた。

 何故、私は呆れているのだろう。こんなにも懐かしいのだろう。

 考えてみても分かりそうにないので、この感情にはそっと蓋をした。

 クラウとフレアは顔を見合わせ、小さく笑う。


「俺たちはミユのタイミングに合わせるよ」


「じゃあ、行こう~」


 此処で立ち止まっていても仕方が無い。マントを翻し、焦茶の髪を靡かせる。氷点下を思わせる寒々しい場所なのに、意外と寒さは感じなかった。

 塔の入り口を潜ると、其処はやはり異質な場所だった。青色の魔方陣を描くモザイク模様に溜め息を吐きたくなる。

 アレクは予想とは違い、私の姿を見ても口を開かなかった。僅かに此方を見やると、目線を下へと向ける。焦点が定まっていないようにも見える。


“話は他の者から聞いている。その魔方陣を潜りなさい”


 私への発言だろう。此処へ用事があるのは、私だけなのだから。

 やはり、いざとなると緊張してしまう。生唾を飲み込んだ。


“早くしなさい”


「分かってるよ……」


 心の準備くらいさせてくれても良いのに。頭を横に振ってから、深呼吸を試みた。

 駄目だ、速まる鼓動が収まってくれない。

 覚悟を決め、魔方陣を睨み付ける。

 進んだ先に現れたのは、又しても花畑だった。ネモフィラ、だろうか。青く煌めく無数の花が大地に散らばっている。空も抜けるように青い。

 青一色の世界で、そよ吹く風の心地好さに感情を奪われていた。


“準備は出来ているのだろう?”


 天から聞こえてくるかのような声に、はっと顔を上げる。


「……一応」


 この呟きは声の主に聞こえているのだろうか。言った後で口をへの字に曲げる。

 相手は何かをいう訳でもなく、気まずい空気が流れるかと思われたのだけれど、突如として景色がぐにゃりと歪んだ。


―――――――――


 今日、この日にオルゴールを渡すと決めてから一年、どの曲を渡そうか悩みに悩んでしまった。

 楽しそうで、優雅で、心が躍るようなワルツ――そのオルゴールが流れる木製の小箱に決めた。勿論、城下町には行けないので、店の主に注文をしたためてアリアに預けた。

 数日後、満足のいく品物が届けられたのだ。

 約束の時間の三十分前に、アリッサムの咲くダイヤの池畔に腰を下ろした。ハーフアップにした焦茶の髪は、地面擦れ擦れのところで風に揺れる。

 薄緑色の紙でラッピングされたオルゴールをぎゅっと握り締め、ぼんやりと日の傾く地平線を眺めていた。

 肩に柔らかな何かが触れる。


「お待たせ」


 声が聞こえた瞬間に、頬がほんのりと熱を帯びる。

 リエルは私の横に腰を下ろし、にこっと微笑む。


「今日は何してたの~?」


「うーん、カイルとお昼にケーキ食べたくらいかな」


「そっかぁ」


 誕生日くらい、日常とは違う、もっと楽しい何かが起きても良いのに。

 むうっと頬を膨らませると、リエルはあははと小さく声を上げて笑った。


「カノンとヴィクトとアイリスが祝ってくれるから、俺はそれで満足だよ」


「う~ん……」


 もう少し欲張っても良いのに。何処か納得が出来ない。気付かぬうちに肩を落としていたらしい。


「がっかりする事ないよ」


 リエルは笑い、空へと視線を移す。


「去年のプレゼントの本、面白かった?」


「うん。童話調なのに、話がちゃんと作り込まれてて面白かったよ。カノンはああいう本が好きなの?」


「うん! やっぱり物語はハッピーエンドが良いよね~」


 妖精が主人公で、世界を旅しながら、出会った妖精の心に触れていく心温まる物語――初めて読んだ時には、最終章で涙腺が崩壊してしまったものだ。

 薄い黄色からオレンジ色に変わった空を眺め、ほうっと息を吐き出した。

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