第2章 初めての魔法

第4話 初めての魔法Ⅰ

 はっと瞼を開け、むくりと起き上がる。

 そこは相変わらず、緑色の家具が置かれた白い部屋だった。

 こんな所に居たくない。帰りたい。

 「はぁ……」と溜め息を吐いてみる。


「ミユ様、ご気分はいかがですか?」


 声に驚き、肩が震える。


「驚かれましたよね」


「急に話し掛けられたら……誰だって驚くよ」


「そうではなく、窓の外の風景に、です」


 アリアは椅子に凭れ、俯いてしまった。

 受け入れたくない。それなのに、帰る事を諦めてしまっている自分も居る。

 俯き、両手をぎゅっと握り締める。


「一つ、聞いて良い?」


「何でしょう」


「この世界の名前は?」


 地球であって欲しい。小さな願いがむくむくと膨れ上がる。


「スティア、と言います」


 それも直ぐに打ち砕かれ、願いも一気に萎んでしまった。


「そっか……」


 やはり、私が許容できる範疇を超えている。

 顔を両手で覆い、思い切り溜め息を吐いた。


「今直ぐに受け入れろとは言いません。ゆっくり、ゆっくり現実を見ましょう」


 これが現実かどうかもはっきりとしていないのに、現実を見ようだなんて。

 首を横に振り、更に背中を丸める。


「ミユ様……」


「ごめん、出てって」


 もう、話なんて何も聞きたくない。

 声を振り絞ると、ゆっくりではあるけれど確実に足音は遠ざかっていった。

 やっと一人になれる。

 全身から力が抜け、ベッドに逆戻りした。そのまま膝を抱え込む。


「これから……どうしたら良いんだろう……」


 いきなり知らない世界に放り込まれ、この世界で生きていく術を知らない私はどうすれば良いのだろう。

 解決策なんて出て来る筈が無いのに、一人、思案に暮れる。

 こうして途方に暮れ、アリアからこの世界について何も聞く事は無く、五日が過ぎ去っていた。


 こうして部屋に居ても落ち込んでしまうし、バルコニーに出ても気分転換になってはくれない。

 どうにかして地上へ降りられないだろうか。

 外出を止められた訳でも無いのに、近くに誰も居ない事を確認し、部屋の中で一番大きなドアをそっと開けてみる。

 蝶番の音が鳴り響いてしまったので、一瞬手が止まった。

 再びキョロキョロと辺りを確認し、ドアを一気に開ける。

 そこに続いていたのは石造りの螺旋階段だった。

 日光を取り入れる窓が何も無い暗闇を、ランタンの火だけが照らしている。

 アリアは毎日この階段を上ってくるのだろうか。

 一歩踏み出すだけで、ヒールの甲高い音が鳴り響く。

 やはり部屋に居た方が良いのだろうか。

 一度は臆したものの、そこで引き返したら何も変わらない。

 誰も来ませんようにと願いながら、一歩ずつ着実に階段を下りて行った。

 すると、階段の途中で部屋に通じているような小さなドアを発見したのだ。

 ううん、待て。この先に誰かが居たら、どう対応して良いのか分からない。

 伸ばしかけた手を引っ込め、また出口を目指して階段を下り始める。

 いくら階段を下りても景色が変わらない。出口が見える気配すら無い。

 今引き返したとしても、自分の部屋まで辿り着けるか分からない所まで下りてきてしまっていた。


「どうしよう……」


 来た道を見上げても、出口の方を見下ろしても、何も解決策は見付からない。

 後先考えずに行動してしまう私の悪い癖だ。


「ちょっと休憩しよう……」


 その場に座り込み、ほぅっと吐息を吐いた。

 ただ外の新鮮な空気を吸いたかっただけなのに。気分転換したかっただけのに。


「絶対に何か間違ってるよ」


 訳の分からない文句を呟いてみる。

 さて、これからどうしよう。行くか、引き返すか――


“実結”


 突然、女性の声が聞こえてきたのだ。


「誰?」


 慌てて周りを確認してみる。

 しかし、誰も居ない。

 ただの空耳だろうか。


“此処、思い浮かべてみて”


「えっ?」


 又聞こえた。


「誰~?」


 困惑しながらキョロキョロしてみる。

 人の姿どころか、私以外の影すら無い。

 とその時、まるでフラッシュのように、風景が一瞬だけ頭に思い浮かんだのだ。

 白い石畳の続く、赤や黄色の花が咲く花畑、木陰には白色のガーデンベンチも置いてある。

 此処は何処なのだろう。

 首を傾げると、辺りが白く光り出したのだ。浮遊感までもが沸き起こる。

 光が掻き消えた瞬間、目に飛び込んできた景色とは――


「……えっ?」


 まさに先程の映像と同じ風景だった。

 春のような涼しい風が吹き抜け、金木犀のような甘い香りが立ち込めている。


“私の好きな場所”


 その声に反応も出来ずに、ただただ薔薇のような可憐な花に見惚れていた。

 もう少し近付いてよく見てみよう。

 足の疲れはどこへ行ったのだろう。軽い足取りで花に駆け寄っていた。

 赤い薔薇のような花に手を伸ばしてみれば、掌に露が零れ落ちる。

 こんな体験が出来るなら、部屋を抜け出した甲斐があったというものだ。

 花たちに微笑み掛け、近くのベンチに座ってみる。

 髪をそよがせる風が酷く心地良い。こんな気分は何時振りだろう。

 ――あそことは全然違う。


「ん~?」


 私は今、何を考えていたのだろう。

 直ぐ忘れてしまったのだ、きっとどうでも良い事なのだろう。

 さっと気持ちを切り替え、風にそよぐ花たちを眺めていた。

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