第5話 初めての魔法Ⅱ

 居心地が良いせいか、眠気までもが襲ってきた。欠伸を一つし、瞼を擦る。


「ちょっとだけ……大丈夫かな……」


 瞼が段々と下がってくる。

 眠っているのか眠っていないのか分からない微睡みの中で、誰かに頭を撫でられた気がした。

 そんな時、不意に邪魔が入るのだ。


「魔導師様!?」


 はっと瞼を開けると、前方には人の姿があった。

 緑色の軍服に、黒色で筒型の帽子――兵士だろうか。


「このような所で……何をなさっているのですか!?」


 強張った声色に、見開かれる瞳――きっと良い印象は持たれていない。

 このような時は、どうすれば良いのだろう。

 慌てて立ち上がり、取り敢えずぺこりとお辞儀をしてみる。それが拙かったのだろうか。

 兵士は腰に携えているサーベルを引き抜き、此方に翳したのだ。

 その状態でじわりじわりと私との間を詰める。


「なんで……?」


 私はこの人の気に障る事なんて何もしていない。ただ花を見ながら寝てしまっただけなのに。

 咄嗟に兵士に背を向け、白い石畳を蹴った。

 振り返ってみれば、兵士も恐ろしい形相で私を追い掛けてきている。

 必死に逃げたものの、明らかに私の方が走るスピードは遅い。これでは直ぐに追いつかれてしまう。

 お願い、止めて。せめてあの部屋に帰らせて。

 緑色の家具が並ぶあの風景が脳裏を掠める。その瞬間、目の前が光に包まれたのだ。

 

「えっ……!?」


 私の身に何が起きているのだろう。浮遊感に包まれながら、訳が分からずに目を瞑った。


「ミユ様!」


 その声にゆっくりと瞼を開けると、私の目の前にはアリアが居た。顔をこわばらせ、酷く心配しているようだ。


「大丈夫ですか?」


 助かった――

 安心して腰が抜けていく。

 そんな私の身体をアリアがしゃがんで受け止めてくれた。

 二人で床に座り込む。

 辺りを見回してみれば、緑色の家具ばかり――あの部屋に戻ってきたのだ。


「部屋の外に出てみたら階段が続いてて、下りてったら疲れちゃって、いつの間にかお花畑に居て……」


 自分の身に起きた事を何となく振り返ってみる。


「ベンチで寝ちゃって、そしたら兵隊の人に追い掛けられて……」


 いつの間にか此処に居た。

 恐怖から突然解放され、自然と涙が溢れてくる。


「知らず知らずのうちに魔法を使ってしまったのですね」


「魔法……?」


「はい。瞬間移動……ワープですね」


 言われても、全然ピンとこない。

 小首を傾げると、アリアはクスリと小さく笑った。


「ミユ様も魔法を使えますから。不思議な事ではないんですよ」


「う~ん……」


「貴重な魔法です、大事に使って下さいね」


 そう言えば、兵士が私の事を『魔導師』と呼んでいたのを思い出したのだ。

 もしかして、私がその『魔導師』なのだろうか。


「『魔導師』って何?」


 アリアは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐさま平静を取り戻したようだ。先程までの微笑みが戻ってきたから。


「ミユ様の事ですよ。他にも三名いらっしゃいますが……」


 アリアは「えっと……」と小さく呟くと、次に首を軽く横に振った。


「今日は止めておきましょう。ミユ様をまた混乱させてしまいますし」


 アリアは一人でうんうんと頷き、話を纏めた。

 一呼吸置き、再び口を開く。


「……そうだ! ミユ様、嬉しいお知らせがあるんですよ」


「何~?」


「皆様が歓迎会を開いてくださるそうです」


「歓迎会?」


 皆様とは誰の事を言っているのだろう。歓迎してもらえる相手なんて、私に居るのだろうか。

 召喚された理由はあるのだろうけれど、今のところ、手掛かりは全く無い。


「明日の夜、楽しみにしていて下さい」


 取り敢えず、今日のような怖い目に遭わない事を祈ろう。


 明くる日の昼――

 マカロニグラタンと野菜サラダ、コーンスープを頂きながら、時計に目を遣る。

 時刻は一時、か。この時計の時刻は十二まで、地球の時刻の数え方と同じ、と考えても良いのだろうか。

 今更ながらぼんやりと考えてみる。


「ミユ様、どうされましたか?」


「ううん、何でもない」


 微笑み、コーンスープを口に運ぶ。


「今日はこれ以降、夜までお会い出来なさそうです」


「そっかぁ」


 まあ、アリアが居ても居なくても、この日出来る事は同じだろう。

 何をして過ごそう。そうだ、昨日アリアにもらったノートに日記を書いていよう。この世界に来てから七日は経ってしまったけれど、思い出せる範囲で。

 もしかすると、地球に帰る手掛かりがその中に隠されているかもしれないから。

 最後のマカロニを一口で頬張り、そっとスプーンをグラタン皿の上に置いた。

 それを見届けると、アリアは食器を片付けていく。


「それでは、また夜にお会いしましょう」


「うん」


 また一人の時間がやってきた。

 三メートル程のテーブルの片隅に置かれた羽根ペンとインク、それにまるで魔導書のようなノートを取り上げ、席に戻る。

 折角だから日記を書いてみよう。

 まず最初は、この世界に連れてこられた日――確かその日は私の誕生日だった筈だ。

 とんだ十八歳の始まりだ。

 学校や家族の事を思い出すと、涙で視界が歪む。それがノートの上に零れ落ちないように、そっと右手で拭った。

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