第4話

 「ちょっと行ってくるね。」

 「うん。」

 夫が、機嫌よく出かけたすきを見計らって、私は雑誌を広げた。

 まさか、結婚ってこんな結末を迎えるためにあったのかって、嘆きたくなる。

 確かに私は逃げた。

 生まれ故郷からそそくさと、全てを捨てていなくなった。けど、悪いとは思わない。私のことをあの町は、殺そうとしていたのだから。

 「はあ…。」

 一戸建てを買いたい、と夫が言い出したのは一年前だ。まだ20代なのに、何でそんなに急ぐの?と思ったけれど、どうしても、欲しい、というから仕方なく、半ば強引に忙しい夫に代わって私は情報収集にいそしんだ。

 そのかいあってか、この家は私好みのモダンな、オシャレな家になった。

 友達を呼んでも、皆羨ましそうに言葉を重ねている。

 が、私は、ちっともうれしくなかった。

 夫には感謝している。

 こんな、どうしようもない身寄りもない女を受け入れてくれてとてもありがたいとさえ思った。けれど、私が望んでいたものは、こんなものだったのだろうか。

 私は、何か違うって、ずっと思っているの。

 「…よし。」

 家にいても、本当に仕方ないから外へ出た。買い物も二人暮らしならそんなに必要ないし、家のことなんてたいして何もないし、だから、こういう日はただ、本当にぼんやりと外を歩いている。

 人がいるところは嫌で、いないところを探して歩き続けている。

 私は、何をしているのだろうか。

 分からなかった。


 「ただいま。」

 「おかえり。」

 夫は帰りがいつも定時だ。何か、最近の会社って残業しなくても回るようになっているらしい。へえ、そんなこともあるの、と思った記憶がある。

 「ご飯なに?」

 「普通、カレー。」

 「おお、やった。」

 こんな時、ふと思う。

 私は家政婦なのだ、と。夫が欲しかったのはきっと、妻という安心と、家の中にいる他人、そんなところだろうか。

 しかし、あいにく私は人間だった。

 というか、あのクソみたいな場所を逃げ出て、私を拾った飼い主の言うままに生きてきたけれど、安心して、平和になってみると、全く違った、ということが分かってしまった。

 私は本当に手に入れたかったものはこれじゃなかった。

 というか、今、私はその思いにかられ続けている。

 夫のジャケットを片付けながら、上機嫌で着替えながら、どたどたと歩いている。

 はあ、マジで。

 マジで間違った。

 私、だって、仕方が無かったんだもの。

 ねえ、聞いてよ。

 私、私ね。

 一度、夫に私は過去にあったことを全部話してしまおうとした。私は、夫の中では身寄りがないお金のない子、となっているが、現実は違う。

 私は、家族がいるし、故郷もある。

 けれどあそこは地獄だった。

 だって、現に私は逃げているじゃない。故郷から逃げなきゃいけないなんて、ある?

 私は嘘じゃなくて、比喩じゃなくて、文字通り殺されかけたのだ。

 きっと居続ければ誰かの悪意が、本当に私を殺していたのだろう。

 そういう人を、もう何人も見ていた。

 「…は。」

 恐ろしくなる、私は、未だにあそこにずっと、ずっと、縛られている。

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