第二場 漱石先生、子規を飾る

明点。医師より診察を受ける漱石先生の姿。漱石、布団に仰向けに横たわったまま。医師、一通りの診察を終えて後片付けを始める。その脇に鏡子が座っている。



漱石   どうですかね先生、塩梅は


医師   どうにも、一進一退といった感じですなあ。今日明日にでも容態が悪化するというわけではありませんが、とにかく安静にしていていただかんと治るものも治りませんぞ


漱石   そうは言われても私も仕事があるもんですからなあ


医師   お察しはいたしますが、まあ医師の意見としては、ひとまず連載を中断して静養に励んでいただく事をお勧めしますな


漱石   はあ


医師   くれぐれも隠れてつまみ食いなどなさらぬように、いいですね。ではこれで失礼します


鏡子   あらもうお帰りになられますの、お茶もお出しいたしませんで


医師   いえいえお構いなく、では



医師、去り際に壁に掛かった日本画に目が止まり



医師   おや、こちらの絵は初めてお目にかかりますな。ほう、どなたの手によるものですかな


漱石   ああ、学生時分の悪友が書き散らかしたもんですよ、床に飾るほどのものでもありません


医師   「あづま菊 いけて置きけり火の国に 住みける君の 帰り来るがね」

     はあ、絵については無教養なもんでとんとわかりませんが、先生の熊本時代を歌ったものですかな


漱石   ええまあ。長いこと押入れにほったらかしにしておいたんですが、ふと飾ってみる気になりましてね


鏡子   正岡さんですよ


医師   は?


鏡子   正岡子規先生ですよ、その絵をお描きになられたのは


医師   ほうほう、あの高名な。いやなるほどなるほど……


漱石   おい、いらん講釈を垂れとらんで先生をお送りしろ


鏡子   はいはい


漱石   「はい」は一回でいい!


鏡子   はーい


漱石   ったく……


医師   (漱石がこの絵を飾ろうとした真意を忖度して)夏目先生、貴方のご病気はご無理をなさらなければ必ず塩梅よくなりますから。ですから安心してしっかりと養生してください


漱石   え?あ、いやそんなに思いつめてるわけでは……


医師   そうですか……いえ、では失礼します



医師、鏡子に導かれて去る。それを見計らって漱石、隠していた干し柿をとりだす。



漱石   「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」ってか。昔はしょっちゅうお前と二人して近所の農家から失敬して食ってたもんだなあ



干し柿をかじろうとするが、ふと思いとどまって



漱石   (絵に向かって)なあ大将、俺ぁどうなっちまうのかねえ



鏡子、入ってくる



鏡子   あなた、寺田さんがまたいらっしゃってますけど、お会いになられます?


漱石   (干し柿を隠しながら)おお、会う会う。おっと……まったく寺田くんにも困ったもんだね、こう足しげく通われちゃあこっちもロクに養生できやしないよ


鏡子   やっぱりお帰りいただきましょうか


漱石   いやいやいや!せっかく来てくれたものを無下に追い返すのもアレだ。仕方ない、お通ししなさい


鏡子   はあ



鏡子、訝しみつつも退去。入れ替わりに寺田が入ってくる。



寺田   (外の鏡子に聞こえよがしに)先生、どうですかおかげんは


漱石   (外の鏡子に聞こえよがしに)いやまあ、調子はいいねえ、しかし君、今日は何の用件で来たんだい、「木曜会」の集合にはまだ日が早いよ


寺田   いえねえ、熊本五高時代の同窓が手土産を持って参りましてね、先生にもと思いまして


漱石   おや、こいつは「くまモン」のゴーフレットじゃあないか、おいしそうだねえ。おいお前、ちょいと本郷のお店まで行ってウーロン茶を買ってきてはくれないかい


鏡子   (出てきて)だめですよあなた、そんな消化の悪いものを召し上がっては


漱石   ばか、俺は食わんよ、寺田くんが食べるんだ。このお菓子にはな、ウーロン茶が良く合うのだ。お前、買ってきなさい


鏡子   ウーロン茶くらいなら近所のお店にもあるじゃあありませんか


漱石   本郷のがいいんだよ!あれはいいねえ、別格だ。さ、早くお行きなさい



漱石、鏡子を追いやる。鏡子がいなくなったのを確認して、



漱石   で、例のブツは?


寺田   もちろんここに



寺田が持ってきた包みを開けると、中身は原稿用紙。



漱石   ああ、ありがたい!あのババア「安静にしてろ」とぬかして書斎から書き物一式残らず隠しちまいやがった


寺田   徹底してますなあ


漱石   これで続きが書ける。よーしさっそく……


鏡子   (出てきて)あなた


漱石   (あわてて原稿用紙を寺田の口に押し込み)どうだいおいしいかね「くまモンゴーフレット」は?


寺田   もぐもぐもぐもぐもぐもぐ(何を言ってるかわからない)


漱石   そうかそうかおいしいかねそれは何よりだ。おやどうしたんだね早く行きなさい


鏡子   いえお財布を忘れたもんですから。寺田さんどうなすったんですか?


漱石   (寺田と原稿用紙を鏡子から見えないようかばいつつ)いやあれだ、熊本時代を懐かしんでねえ、つい涙に暮れてしまっているわけだよははは


寺田   (たまらずプッと原稿用紙を吐き出す)


漱石   わっ汚えっ、何するんだ寺田くん!?


寺田   先生いくらなんでもひどいですよ!


漱石   だめじゃないか食べ物を粗末にしては、ちゃんと食べなさい


寺田   鬼かアンタは!!


鏡子   あ・な・た



二人固まる



鏡子   そちらのソレは、な・に・か・し・ら?


二人   ……くまモンのゴーフレットです


鏡子   あらそーう?じゃあ思う存分お召し上がりなさいま・せ!



二人、原稿用紙をもぐもぐし始める。



鏡子   お味はいかが?


二人   めえー



暗転。

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