64杯目:あの二人

「ひいいぃいい! わしの宿がぁー!」


 燃え盛る宿家の近くでは、店主のお爺さんが地面にへたり込んで悲痛の叫びを上げていた。


「おい! 爺さん! 逃げ遅れた人はいねぇか?!」


 ゲルフがお爺さんの肩を揺さぶるも、お爺さんはパニック状態に陥っており、まともな回答が返ってこなかった。


「ああああ! 火を消してくれぇえ! たのむぅー! ばーさんとの思い出の宿なんじゃあ!」


 どうしよう。ベゴニアがいれば氷の魔法でなんとか出来たかもしれないけど、このメンツではどうすることもできない。

 私たちが燃え盛る宿を前に立ち尽くしていると、パリーン! と窓ガラスが割れて、宿から何かが飛び出してきた。


「なになに?!」


 いや何かじゃない、人だ。

 火だるまになりながら人が飛び出してきた。


「あっち! あち!」


「ア、アーウィン?!」


 ゲルフが名を叫んだ通り、宿から飛び出してきたのは赤い髪の青年アーウィンだった。アーウィンは転がって火を消すと、そこへ法衣を着た一人の白髪の若い女性が駆け寄ってきた。


「アーウィン! いま治すから! クーアライト!」


 女性は回復魔法を唱えアーウィンの怪我を治すも、いまだその身体からはブスブスと煙が上がっている。


「ハァハァ……。カルミア、助かったぜ……。さすがに死ぬかと思った……」


 前会った時、アーウィンは茶色の服に黒いズボンという装いだったけど、今日も同じ服装らしい。あちこち燃えて原型は無いけど……。


「もう! 無茶しないでよ! すぐ脱出するって言ったじゃないの! 心配、したんだから……」


「わりぃわりぃ」


 ぐすぐすと泣くカルミアを、そっと抱きしめるアーウィン。見てるこっちが恥ずかしくなるほどラブラブだけど、そこへ空気の読めないゲルフがズガズガと割って入った。


「おい! アーウィン! 大丈夫か?! 何がどーなってやがる?!」


「ゲルフさん? に、ギルドマスター? それにナイジェル……」


 待って待って?! 私もいるよ!

 見えてない?! 覚えてない?! おーい!


「おい! 聞いてんのか! アーウィン! ここで何があった? あ?!」


 ゲルフが激しくアーウィンを揺さぶる。アーウィンはナイジュエルに何か言いたいことがかありそうな瞳を向けていたけど、ゲルフのくどい顔に詰め寄られてそれをぐっと飲み込んだ。


「……えっと、俺とカルミアはここの宿に世話になってるんですけど、フロントで軽く飯を食ってたらいきなり宿が燃え出して……」


「いきなり燃えた? 誰かが火を放ったのか? 火魔法でも使われたか?」


「いえ、誰もいなかったんです。宿の爺さんと俺たち以外は誰もいないのに、壁や床が突然燃え出したんです!」


 身振り手振りで説明するアーウィンだったが、嘘をついてるようには見えない。でも、突然壁や床が燃える? そんなことがあるのかな? 魔物の仕業ってわけでもなさそうだけど……。


「ふん。現場にいながらその程度の情報しかないとは、とんだ無能だな。まさか、お前らがやったんじゃねぇだろうな」


 訳のわからないことを話すアーウィンに対して、ナイジェルが突然彼らを犯人扱いした。私もちょっとその可能性を考えたけど、口に出したらダメな奴だよ。


「なんだと? ナイジェル、テメェ……」


 アーウィンの表情は驚愕から怒りへと切り替わり、拳を固く握った。睨み合うナイジェルとアーウィン。空気は最悪でまさに一触即発。


 皆が息を呑む中、この状況を止めたのは、カルミアだった。


「ナイジェルやめてよ! アーウィンの言ってることは本当よ! 私はお爺さんを非難させて、アーウィンは宿に逃げ遅れてる人がいないか確認して回っていたんです! 私達が放火するわけないじゃない!」


 カルミアの叫びで、アーウィンを含め全員が押し黙ってしまった。


 べゴニアの愛用品を探しに来たところに、都合よくアーウィンとカルミアがいて宿が火災。疑いたくなる気持ちはわかるけど、二人の様子からは犯人だとは思えない。それはナイジェルもわかってると思うけど……。


 火を消す手段もなく犯人もわからない中、初めに声を上げたのはシトラスだった。


「あの! 他の建物へ延焼が心配です! まずは消火させましょう! ゲルフさん! ボクは騎士団に救助要請をしてきますから、ギルドに応援の要請を頼めますか?!」


「そ、そうだな! よし! まかせろ! ルルシアン! ナイジェル! ここは任せたぞ!」


 それだけ言い残すと、シトラスとゲルフは私達を置いてそれぞれの方向へ走っていってしまった。


 シトラスがギルドへ走った方が良いんじゃないの? と思ったけど、ゲルフはギルドでも兄貴分的な存在だ。


 シトラスがギルドに行って要請するより、ゲルフが声をかけた方が士気が高いのは事実。それに、ゲルフが騎士団に向かってもシトラスのように顔が効かないし、不審者扱いされる可能性が高い。


「ひぃいい! わしの宿がぁああああ!」


 二人が走り去ると、メラメラと燃える宿の前に残されたのは、宿屋の店主にアーウィンとカルミア。そしてナイジェルと私。

 この最悪な空気をどうしろと……。

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