25杯目:私の右手

 視線の端では、ゲルフはまだ倒れたままだ。


 このまま私が囮になって逃げ回って、ベゴニアが氷柱の上から攻撃。

 これでとりあえずゲルフが復活するまで時間稼ぎをするしかない。


 そう思っていた時だった。


『ガォオオ!!』


 ガシャン! と大きな音を立てて、突然氷柱が激しく揺れだした。


「うわわわ!」


 まずい。私の立てた作戦がもう破綻する。氷柱の上から氷魔法を投げつけてくるベゴニアがクラルテ・ウルフには鬱陶しかったらしく、氷柱を壊しにかかった。


 氷柱が崩れたらベゴニアはもちろんのこと、兄のベドウィンまで落ちてくる。二人を守りながら戦うなんて無理だ。


 いや、待ってよ? これは逆にチャンスかも。


 クラルテ・ウルフが氷柱に体当たりをした直後なら、透明でも居場所がはっきりわかるし、態勢を崩しているから私の攻撃さ避けられない。


 やるしかない。


 ぎゅるるると緊張でお腹が鳴る。


 空腹の狂戦士ハングリー・バーサーカーがさらに強まる。


「クソ! あっちいけ! アイス……」


『ガルル!』


 ドンッ! と、氷柱が大きく揺れると、激しい音を立てながら氷柱は根元から折れてしまった。


 今だ!!


 私は左足の痛みを我慢して、全力で駆け出すと一瞬で氷柱の根元へ到達。

 そこにいるであろうクラルテ・ウルフを目掛けて、全力の一撃を繰り出した。


「ルルシアン・パーーーンチ!」


 ドゴォ! と、音を出て私の右パンチが見事に命中。


『ギャウーーーー!』


 何も無い空間に右手がめり込むと、血飛沫を上げながら透明化が解除されたクラルテ・ウルフが激しく吹っ飛んだ。


『ガフ……。グルルルル……』

 

 クラルテ・ウルフはなんとか立ち上がるも、腹部の傷口からボタボタと血を流れている。


 姿を現したクラルテ・ウルフは、全長約二メートルほどの巨大だった。大きな口と鋭い牙。毛が無い黒い皮膚には、青い斑点が輝いている。思ったより禍々しい姿だ。


「ハァハァ……。こ、これ以上やるっていうなら、どうなっても知らないからね!」


 言葉が通じるわけないけど、啖呵を切ってみる。こういう場合、弱腰になった方が負けだ。


 クラルテ・ウルフも相当なダメージを負ったようで、内臓が損傷したのか、口からも大量に血を吐き出した。


 よし、このまま引いてくれれば……。


「っ! お嬢ちゃん後ろだ!」


 背後から聞こえたベゴニアの叫びに反応して、咄嗟に左へ回避しようとしたが、無茶をしたせいで足が言うことを聞かない。


 次の瞬間、私の右手首に激痛が走った。


「アアッ!」


 痛い! 熱い! そして右腕が重い!

 見えない何かかが噛みついている……!


「くぅ! このぉ……!」


 咄嗟に、右腕に噛みついているを左手で掴んで締め上げると、透明化が解除され幼体のクラルテ・ウルフが姿を現した。


『グルウウゥ……!』


 すごい顎の力だ。クラルテ・ウルフの顎がメリメリと音を上げて私の右腕に食い込む。ダメだ、痛すぎて左手に力が入らない……。うう、千切れちゃう……。


 その時だった。


「ルルシアンッ!! 右手を伸ばせ!」


 私は訳も分からず重い右手を伸ばすと、噛み付いていた幼体クラルテ・ウルフが、ゲルフの巨剣で両断された。


「だ、大丈夫か?! こりゃひでぇ……」


 意識を取り戻したゲルフが駆けつけてくれた。


「うぅ。痛いよぉ」


「我慢しろ! それよりも構えろ! 来るぞ!」


『グルルルル……』


 幼体を倒した事で、クラルテ・ウルフの目の色が怒りに染まる。


 噓でしょ。まだやる気なの?!

 私の左足と右手の怪我も酷く、まともに戦える状態じゃない。ゲルフも重症だ。右腕が折れており、左手で剣を持っている。


『グワォオオオーーーン!』


 遠吠えが闇夜に響き渡ると、次第にクラルテ・ウルフの姿が透明になって、姿が消えていく。


 痛みのせいで集中出来ない。

 どこ? どこから襲ってくるの……。


 そうだ。クラルテ・ウルフは相当なダメージを受けている。あの激しい吐息なら近づけばわかるかも。


 そう思って私は耳を研ぎ澄ますけど、何も聞こえてこない。


 いや、何かがおかしい。

 静かすぎる……。

 その時、視界の端で僅かに残った氷柱が


 その光景に目を見開いた。

 まさか……。周囲の音が消されてる?!


 (ゲルフ!)


 叫んだがやはり声が聞こえない。

 それに臭いまで消えてる?! さっきまでの蒸せるような獣臭が無くなっている……。


 透明化+範囲消音+消臭。

 これがクラルテ・ウルフの狩りのスタイルなんだ……。


 完全にに立たされた私は、Aランク相当のモンスターの強さに戦慄した。ズキズキとした痛みだけが身体の中から聞こえる。

 

 その時だった。

 突然ゲルフに突き飛ばされて振り返ると、ゲルフの右半身が消滅した。

 いや、正確には透明化したクラルテ・ウルフにゲルフの半身が噛まれたのだ。


 ゲルフが半身を噛まれたまま、左手に持った巨剣をクラルテ・ウルフの頬に突き刺した。


『グルゥウアアウ!!』


 ダメージを受けてクラルテ・ウルフが姿を現した。


「ゲルフ!」


 同時に、範囲消音、透明化、消臭も解除されたらしく声が出る。


 そして剣で刺されてもクラルテ・ウルフはゲルフを離さなかった。

 いや、ゲルフがクラルテ・ウルフを逃がさないように、口の中で突き出した巨剣を握っているんだ。


「ルルシアン! いまだ! やれ!」


 絶好のチャンス! 

 だったけど、私は動けないでいた。


 さっきまでは辛うじて動いた右腕は、時間が経つにつれて痺れが酷くなり、まったく上がらなくなったしまった。


 左腕でやるしかないと思って左腕に力を込めるも、空腹の狂戦士ハングリー・バーサーカーの赤いオーラが、なぜか左手に流れていかないのだ。


 ど、どうしょう!

 私は左手で、動かない右手を掴んだ。

 ダメだ。右手は全く力が入らず、手を握ることすら出来ない。


 私が回復魔法でも使えれば……! 回復魔法ってどうやって使うの?! クロリアはどうやってたっけ?!


 ぎゅるるるるるるる……。


 あああああ。こんな時でもお腹は空いちゃう自分が腹立たしいー!


『グアルゥルル!』


「ぐああああ! ルルシアンーーー!!」


 やばいやばいやばい!

 早くしないとゲルフが死んじゃう!


「回復ッ! 復活ッ! ダメ?! ええっと、治れ! !」


 その瞬間。

 私の左腕が青白い光を帯びると、それが私の右腕に流れて……。右腕が突然動くようになった。


「へ? え? なんで?!」


 考えてる暇はない!


 私は動く右足で思いっきり地面を蹴ると、一足飛びにクラルテ・ウルフへと飛んだ。

 ありったけの赤いオーラを右手に込める。


「全力! ルルシアン・パァァンチィィイ!」


 ドゴォ! と、私の全力パンチを叩き込まれたクラルテ・ウルフは、パァン!と上半身と下半身に二分され、絶命した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る