20杯目:食事とは戦いだ

「ねぇええー! もう帰ろうぉよぉ!」


『いいから黙って歩け』


 路地裏でへへへ三兄弟を倒した私は、路地裏を抜け人通りが減った大通りを歩いていて、ギルドに向かっていた。


 大通りとはいえ夜も老けており、人はまばらでどの店も閉まっている。美味しそうな料理の残り香だけが夜空に漂っている。


「やってるお店ないかなー」


『まだ食べる気か? お前の胃袋はどうなってるんだ……』


 鼻を頼りに営業している店を探す私を見て、ミストが苦言を唱えた。動いたらお腹が減るのは普通だと思うけど……。


「それでどこに向かってるの? ギルド?」


『そうだ。クロリアの名を出せば、ランクの高い武闘家に稽古をつけてもらえる可能性が高い。今のままではチンピラは倒せても、修練を積んだ者には勝てんからな』


 うーん。勝つ必要あるのかな?

 ロベリアって人の屋敷に、こっそり入って《クロノスの心臓》とやらを盗んだら、さっさと逃げるんじゃダメなのかな。出来れば戦いたくない……怖いもん。


「こっそり入って、こっそり逃げるんじゃダメ……?」


『仮に見つからずに侵入出来たとしても、万が一の事を考えると武術を体得した方が良いだろうな』


 まぁ確かに、さっきのチンピラみたいに素手ならなんとかなるけど、強い人に剣を持って襲われたら即死だもんね。


「……ん?」


 ギルドに向かうために大通りを歩いていると、私は微かに香る美味しそうな料理の匂いに足を止めた。

 最近食べた料理の中でも、群を抜いた美味しい匂いだ。


『おい、どこへ行く』


「な〜んか〜。良い匂いがするんだぁ〜。こっちから〜」


 フラフラと良い匂いに釣られる私をミストが制止するが、それどころではない。どんどんの匂いが強くなってくる。


「えへぇ、じゅるり……。ここから良い匂いがしてる〜」


 私が匂いを頼りに辿り着いたのは、一軒の飲食店だった。


 外壁はボロボロに朽ちており、店は真っ暗。古ぼけた看板は片方が外れてぶら下がっていた。


「ま……んぷ、く堂、場?」


 満腹堂の後ろにやっつけで『場』の字が書き加えられている。ドアの前には『営業中』の文字。


『おい、道草を食ってる暇はないぞ』


 もはやミストの声など聞こえない私は、匂いに釣られて怪しさ満点の満腹堂場のドア開けると店の中へと足を踏み入れた。


「こんばんはー?」


 声をかけても店内はシーンと静まり返っている。大通りから漏れた灯りが店内をほのかに照らすと、そこはイスはおろかテーブルすら無い。

 まさに道場みたいな店内だった。


「匂いは奥の部屋から強く香ってるよ。行ってみようか」


 ギィと重みでドアを勝手に閉まると、店内は本当に真っ暗だ。この店には窓すらない。真の闇だ。


『灯りすらついてない店があるか、いいから早く出……』


 その時だった。


「いらっ! しゃいませーーーー!」


 暗闇の中、若い男の人の声が頭上から降ってきて、私はとっさにバックステップ。私のいた位置にフライパンが振り下ろされ、カーン! と高い金属音を響かせた。


「ふむ。今夜の客は楽しめそうだな」


 敵意を含んだ若い男の声が店内に響くと、私は咄嗟に構えた。でも、真っ暗で何も見えない。


「あ、あの! ここって飲食店ですよね?!」


「あたりめぇだろ!」


 やっぱり飲食店なんだ?!

 でもなんで襲ってきてるの?!


「ここは満腹堂場! この暗闇で俺の攻撃を避けながら飯を食えたら、飯代はタダにしてやるよ!」


「本当?!」


「まずは前菜だコラァ!」


 正面から聞こえたその声とは裏腹に、私の左から柑橘系のドレッシングの匂いが漂ってきた。


「左?!」


 身体を捻って紙一重で回避すると、ドレッシングの香りが通り抜ける。


「そ、そこだ!」


 私は暗闇の中、繰り出されたサラダパンチを回避しながら、サラダを摘み食いした。


「ん! おいし!」


 柔らかい葉っぱは繊細な味ですごく美味しかった。掛けられた柑橘系のドレッシングと良く合う。


「やるじゃねぇか……。久々の客だ。そう来なくっちゃ面白くねぇよな! サラダ食って待ってろ!」


 コトリと何かを床に置くと、男性は厨房に戻ったのか気配がなくなった。


 私はクンクンと置いて行ったサラダを探しあて、むしゃむしゃと頬張る。


「あー。これリトルドゥームリーフだ。成長すると二十メートルくらいになる大きな木なんだけど、芽を出した直後にしか取れない貴重な葉っぱだよ。おいしいなぁ」


 それと、この柑橘系のドレッシングは、アグルムの皮を削った物だね。アグルムは苦味が強いんだけど、適度な熱処理を加えることで、苦味が消えるんだ。


「待たせたな! 本日のメインディッシュだ!」


 自信満々で戻ってきた男は、ジュウジュウと肉の焼け肉汁が流れる音と、濃厚なたれの匂いを纏っていた。


「な、なんて美味しそうな香り……。早く食べたい……」


「制限時間は二分! それまでに一口でも食えたら、全部食わせてやろう! いくぞ!」


 暗闇の中、匂いが上に伸びた。


 男が跳躍したのだろうか。私は匂いから店主の動きを予測すると、攻撃の軌道に入らないように一歩右にずれて、先ほどのように摘み食いの体制に入る……が。


 肉の焼ける匂いが、私の後の方から香ってきた。

 しまった! と思った時には遅く、店主の蹴りが私の脇腹を直撃した。


「うぐっ!」


「オラぉ! 食えるものなら食ってみろ!」


 蹴りを食らいながらも、咄嗟に手で肉を掴もうとするがその手は空を切る。


 体制が崩れたところに、さらに芳醇な香りが漂ってきた。どっちだろ?! 部屋中が肉とたれの匂いで充満していてわからない。


「簡単に食えると思うなよ!」


 右……と思って右へ避けると左から攻撃が、上……と思って闇雲に反撃をするも、下から攻撃が襲ってくる。

 縦横無尽な攻撃が、次々と私を襲った。


 ま、まずい……。

 真っ暗闇で視野は奪われ、充満する匂いで鼻は効かず、飛び散った油で足音も聞こえず足場も悪い。


「後三十秒! 失敗したら金貨百枚だからな!」


「ひゃ、百?! 聞いてないよ?!」


「嫌なら食うことだな!」


 どうすれば食べれるの?!

 一口でも良い、食べたい食べたい食べたい!


――どれを?


 ふと、私の中で私が問いかけてきた。

 どれを? って、どういうこと?

 まさか、肉料理はひとつじゃない?!


 感じろ。集中しろ。

 充満した肉の匂いのその先を、タレの奥にある肉そのもの味を……!


「左!」


「なっ……!」


 私の後ろ髪を触れながら、店主のステーキパンチが私の背後を通り過ぎた。


「避けただと……!」


 わかる……。

 右手がシェーブルの肉で、左手がティグルの肉だ。

 同じタレだけど、その先にある肉の持つ香りの違いが……! 

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