9杯目:ニールベルト散策

「ルルシアン様。換えの洋服を置いておきますね」


 一階にある広いお風呂に入っていると、すりガラス越しにクロリアが話しかけてきた。


「ありがとー! ねぇねぇ、この石鹸? 泡がすっごいね! とっても良い匂いだし!」


「よく洗ってくださいませ。酷い臭いでしたので」


 それだけ言うと、クロリアはすぐにいなくなった。余程ミストのことが心配らしい。まぁ死にかけてたもんね。


 それよりも、私はこんなに広いお風呂に入ったのが初めてで、テンションは爆上がり中!


 私の村は、基本的には川で水浴びして終わりだったから、こんな絵本の世界みたいな広くてお湯が出てくるお風呂は初めてだった。

 

「がおー! 泡モンスターだぞー!」


 私はあわあわが楽しくて、泡だらけになって遊んでいるとお腹の虫が腹が減ったと鳴き出した。


 ぎゅるる……。


「あぁ……。ごめん。こんなアホなことしてる場合じゃなかった」


 ギルドに行って身分証を作ってもらって、早くご飯を食べないと……。さっきクロリアから硬貨の入った袋を受け取った時、隙間から金貨が見えたのでワクワクしてる。


「くぅー! ニールベルトのご飯ってどんなのだろ? 楽しみすぎる!」


 私は急いで身体と髪を洗ってお風呂を出ると、脱衣所には白い厚手の布が置かれていた。


「うわぁ、もっふもふ! 気持ちいい〜。ってそうじゃない急がないと……」


 ゴシゴシと雑に拭いくと、クロリアの用意してくれたっぽい換えの洋服を手に取った。


「わぁ、可愛い……」


 青を基色とした複雑なデザインに、白いフワッとした袖の付いた洋服は、高級感が半端なかった。


「高そう……。さすが王子様の館……。どうやって着るのこれ? こう?」


 なんとか試行錯誤の末、私は洋服を着る事が出来た。

 青いひらひらのスカートが可愛い。

 なんていう名前だったかな? プリーツ?

 とにかくヒラヒラしていて可愛い。


「あ、靴まで新しいのが用意してある……。すごい、タダで貰っちゃっていいのかな……。良くないよね。働いて返さないとダメかぁ」


 後で返すために、一度袋から金貨を出してみた。

 数えると、合計で五十枚もあった。


 確かお父さんが「今月は結構良い物が収穫出来たんだけど、銀貨五枚か」って呟いてたのを聞いた事がある。銀貨五枚で金貨一枚だから、お父さんのお仕事の100ヶ月分だね!

 とんでもない金額がこの袋に入っている……。

 そして、そんな金額をポンと渡すクロリアの金銭感覚に驚いた。


「働いて返すとして、何年かかるのやら……。働きたくないなぁ。――でも」


 働きたく無くて安易に奴隷の道を選んだけど、あんな酷い目はもう二度と味わいたくない。あれなら頑張って働いて美味しいもの食べたいよ……。


「アザレア。大丈夫かな……」


 ミストは牢屋にいなかったって言ってたし、捜索してくれるらしいけど、やっぱり心配だ……。


 まぁ私が悩んでも仕方ない。

 私は今、私が出来る事をやろう。


「これでいいかな?」


 いつものように左右で三つ編みを作ると、脱衣所の大きな姿鏡で身だしなみを確認してみる。


 母譲りの青と水色の髪はまだ少し水気を含んでいて、しっとりとしている。お父さんは「好奇心に満ちた目」だと誉めてくれた大きな瞳。

 普段の私からは想像も付かないような豪華な洋服に靴。

 私は鏡の前でくるっと回ってみると、スカートがふわっと広がった。


「意外といいんじゃない?! パッと見は、どこぞのお嬢様に見えるね!」


 ぎゅるるる……。


「あーもう! ごめんって、行くってばー!」


 腹の虫に謝ると、脱衣所に置いてあった肩掛けのポーチに金貨の袋を突っ込んで、るんるん気分で脱衣所を出た。


「……出口。どっちだろ」


 左右に続く長い長い廊下を見て、私は軽く絶望した。


――ガチャ


「あ、やった。出口だ……。疲れた……」


 なんだかんだ、五分くらい迷ってやっと館を出る事が出来た。二階にいるクロリアに聞けばいいんだけど、私にだってプライドがある。


 館を出た私を迎えてくれたのは、澄み渡る青空と暖かい日差しだった。村より少し空気が悪いけど、きっと人が多くて街の中には緑が少ないからだね。


「んーーー! いーい天気!」


 私は思いっきり伸びをして、館を一歩踏み出す。


「よっし! どっちだっけ?!」


 館を出ると、左右と正面に三つの道が現れた。

 右? ……いや。左? はて、全く覚えてない。


「道具屋がどうたらって言ってたよね?」


 誰に尋ねるわけでもなく呟くと、私は勘に任せて右の道を進んだ。

 クロリアは「真っ直ぐ行って右」か「右の道を真っ直ぐ」どっちか言ってた。ならば、とりあえず右に曲がっておけば間違いない。


「うーん。これが村のみんなが行きたがってた王都かぁ」


 街の雰囲気が、私の村とは全然違う。


 街を行き交う人も全員がおしゃれだし、歩いているだけでも気品が漂う。私も外見的にはその中の一人なんだと思うと少し緊張する。


 おしゃれな塀や舗装された道。街路樹など、ありとあらゆる物が高級に見える。

 歩道一つとっても、地面には幾何学模様が彫られており、踏んでも良いのか躊躇するほどだった。


「富裕層だけが残ったニールベルトでは、使い道のないお金がこうやって、街並みの整備に使われるのかな」


 少し開けた道で立ち止まって辺りを見回していると、向かいから小綺麗な服装の若い男性が歩いてきた。


「こんにちはー!」


「……?」


 すれ違った際に声をかけたけど、男性は怪訝そうな顔をすると私を無視して立ち去ってしまった。

 村では誰でも彼でも挨拶する風習があるけど、王都では違うのかな……。もやもやしていると、今度はちょっと年配の夫婦が歩いてきた。


「良いお天気ですね」


 またしても無視された。

 なんなの? もしかして私の格好が変なの? まだ臭うのの?

 それとも、王都では他人と会話しちゃいけないルールでもあるの?


「ふふ。お嬢ちゃん。ニールベルトは初めてかい?」


 私が人々に無視されていると、シルクハットを被ったスーツ姿の白髭おじいさんがベンチに腰掛けながら話しかけてきた。


「え? あー、まぁ。そうです」


 どこから来たのかとか、余計なとこを聞かれても困るので、私は濁すしかなかった。


「どうじゃ、ニールベルトは」


「んー。すごく綺麗で華やかで、まさに王都って感じ!」


「それだけかい?」


 老人は、手に持った金の杖を撫でながらさらに聞いてきた。


「うーん。私の育った場所はもっと自然豊かで、人と人の温かみを感じられる場所だったから、王都の人って冷たいんだなーと思ったよ」


「この街の住人はな、人を信じていないんじゃよ」


「どういうこと?」


「貧困層をグローザックに追いやって二百年。富裕層だけが残ったこの街では、様々な物価の上昇が起こった。今度はそれについて来れない富裕層が、借金を重ねて貧困層へと落ちたのじゃ」


「え、じゃあこのニールベルトにも貧困層はいるの? 100%富裕層の街じゃないの?」


「次はいつ自分が貧困層に落ちるか。天国と地獄の間を彷徨ってる富裕層は大勢おる。人を信じられない。それがこの街の心の声じゃよ」


 いくらお金持ちでも、働かないとお金は減っていくばかりだよね。自分の代はよくても、その次の世代にお金が残らなければ、自分の子孫はいずれ貧困層に落ちる。

 そうした怠慢な富裕層の子孫が、さっきみたいな希薄な人間を産んじゃうのかな。


「人としての温かみを求めるならギルドに行きなさい。荒くれ者達だが生きてる実感を持てるでは、わしは好きじゃ」


 そう言って遠くを見つめるおじいさんは、どこか誇らしげで何かに恋心を抱く少年のような瞳をしていた。

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