第4話

開かれた警備室の前に行くと、警備員はそこにいない。

覗き込むようにして奥を見ると、何やらごそごそしている警備員が見えた。

僕は、意をついて警備員さんに聞けば何かボロを出すかもしれないと思い、彼女にそれを伝えようとしたが、彼女はもうすでに大声を出していた。

「すみません!」

ひっと、びっくりした表情の警備員がその動作のまま、そこでストップしてこちらを凝視する。右手になにやら大層分厚い本をもっているではないか。

「ちょっと、それなんですか?」

「え、あぁ」

警備員は、慌てて左手にもっているその本をバッグにしまおうとする。

「ちょっと、待って!」

彼女がまさしくカウンターから身を乗り出してその中に入ろうと試みようとしたので、僕は思わず制止した。

「なにするんですか!私の六法がそこにいるんです!」

「ちょっと待って、落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられませんよ!早くしないと!」

興奮する彼女、警備員は慌てるこちらを見て安堵したのか、少し余裕そうである。

「全くなんですか?急に」

「それ、私の六法です!返してください!」

「はぁ?」

警備員が右手にもった六法、それをまじまじと見て彼は余裕そうにいう。

「これ、私のですけど?」

ここまできて、シラを切るつもりだろうか。

しかし、どうやってもそれが彼女のだということを証明する手段はない。

「どうしよう……」

今にも泣きそうな彼女の横、ぼくはジッと警備員のその六法を見つめる。

と、その時、六法のページ間からペラペラと何かが落ちた。

しおり、だ。

「あ、それ僕の!」

小説に挟んだと思ってたしおり。英単語帳に代用しようと思って、挟むのを忘れてしまっていたのだろう。で、バッグをいじって彼女に見つかった時、何かの拍子でそれが落ちて六法に挟まった……。まさに、災い転じて福となす、といったところ。

警備員は慌てた様子で、僕たちを見た。もう、言い逃れできない。

「逃がさないぞ!」

警備員は観念した様子で、僕らに言う。

「すみませんでしたぁ」

そのあまりにも情けない言葉に、彼女も少し落ちつきを取り戻したのか、はぁと大きなため息をついた。

「……その、なんで盗んだんですか?」

「……この仕事、薄給料なのですがその分凄い暇で。何か面白いことないかなと探してたら六法見つけて」

「だからって普通盗みます?」

「私、前ここの法学部生だったんです。弁護士目指していたんですけどダメで。昼の見回り中、これ見つけて。この人は法律のこと一生懸命勉強してるんだなぁと思うと、なんだか妬ましく思えてきて」

「それで困らしてやろう、と?」

「はい。そうです」

「机の電波時計の時間をずらしたのもあなたですよね?」

「……はい。バレないように」

「そういうところは小賢しいんだよなあ」

それでも、僕が冗談っぽく言って少しでも恩情を見せようとしたところを彼女は、

「くだらない理由ですね」

と一蹴した。

「他人の努力とか幸せを受け入れることができない人間が法律家を目指そうとすること自体、間違ってることですよ」

全く強い言葉をいう人だと思った。

しかし確かに、その一言一句として間違いがないのもまた事実である。

「全くもって、その通りです」

警備員はうなだれたように沈む。

神聖な空間は、またいつものあの静寂を戻したようだった。




改札を出て階段を登る。

やはり週初めは、足が重たい。学校に行く気も失せる。

前を歩く大学生カップルの足取りがやけに遅い。

こいつら大学に何しに来てんだよ、なんて思う。朝だから心が幾分か狭い。

日光が差す朝、秋晴れ、といったところだろうか。外の空気は冷たい。ちょっと前は過ごしやすいぐらいの気温だったのに、あっという間にもう寒くなってしまった。

さすがに、半そでの猛者ももう見ない。

マック、吉野家、家系ラーメンが右側にずっと並ぶこの坂道、登っているだけで大変しんどい。

「よ」

聞いたことある声。

「よっ!てば」

「……?」

振り向くと、そこにあの女がいた。

「授業ですか?」

「いや、そりゃそうですよ」

「ほほーん」

彼女が得意面をしているのがなんだか気に障る。あれに多く貢献したのは僕なのだと思うのだが。

それはグッと抑える。

「あなたも授業?」

「そりゃそうですよ」

「あの、マネした口調で言うのやめてもらっていいですか?」

ははは、と彼女は大口開けて笑う。快活を通り越してもはや下品だと思う。

坂も上り終え、平坦な道に出た。太陽に反射する綺麗なキャンパスが見えてくる。

いい意味でも悪い意味でも大学っぽくない。スマートなマンションだ。

この大学は、入館時に学生証が必要である。いちいち警備員に見えるのだ。

だから一列にみんな並ぶ。今日も列をなしていた。

そこに吸い込まれるように、学生たちがみんな律義に並んでいく。

今更話すこともない。

それは彼女も同じ気分なのか、黙って法律書か何かを読んでいる。

僕も本を読もうをいじろうと右肩からバッグ紐を外そうとした時、彼女が話しかけてきた。

「そういえば、あなた名前は?」

「三矢です」

「三矢、なにですか?」

「……三矢蓮です」

「俳優みたいな名前ですね」

彼女は鼻にかけるように笑いながらそう言った。多分、馬鹿にしている。

ムカついたから黙ってやろうと思ったが社交辞令なので、一応そこは大人になる。

「あなたは?」

「日野菜乃葉」

彼女は、もう一度繰り返す。

「日野菜乃葉です!」

「野菜が好きそうな名前ですね」

少し馬鹿にしたように言ってやった。それに気づいているのか否かかわからない。

「三矢さん。あなたって変わり者ですよね」

「はぁ?」

「なんか色々、と」

「こっちのセリフですよ!」

僕は少し嫌な気持ちで入館する。彼女も続けて入館する。

「じゃあ僕こっちなので」

そう言ってそそくさと階段を登ろうとしたところを彼女は「あの」とひきとめた。

「今度はなんですか?」

「今日授業終わる何時ですか?」

「16時、ですけど」

「じゃあそのあと、部室練502号室にきてください」

「はい?」

「サークルの打診をします」

「……はい?」

「少しお話しましょう」

彼女はそれっきり、じゃあといたずらっぽお笑みを浮かべて去っていく。

正直、ちっとも可愛いとは思わない。

なんなら少し不快感すら感じる。

彼女の予定を無視しようと思って一歩目を踏み出す。しかし、まぁ一度行ってみるぐらいならどうか、そんなことを悩みながら、僕は人混みに紛れて階段を登っていった。



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