第3話

「私は、ここの席を外したのは、午前中お手洗いに行った際にあなたにバッグをいじられていたその時と、昼食時のみです。それ以外はずっとここで、債権についての勉強をしてました」

彼女はバッグの中身を全部取り出して、机にそれを広げた。味気ない筆箱と、その他法律関係の教科書などが散乱する。

「あなたのアリバイについて聞かせてください」

「アリバイって、そんな大げさな」

「六法なくなったことは大げさなことですよ!」

大きな声で言う彼女。さっきからいちいちうるさい人だ。兄のようなタイプな気がして、少し嫌になる。

「……僕はその、忘れ物かなって思ったバッグを確認してから、上で小説を読んでました。それから昼食食べにここから出て…」

「ちょっとまって!ストップ」

彼女はいきなり制止してきた。

「なんの小説を読んでたんですか?」

「それ、関係あります?」

「嘘かもしれないですからね」

どこか得意げにいう彼女に対して、僕はわざとらしく大きなため息をついてみせた。それからあの芸人の小説をバッグから取り出す。

「これですよ」

「失礼します……へぇ芸人が書いたやつなんですね」

彼女がパラパラと小説をめくりながら、そんなことを言う。まったく盗まれたものを探すのではないのだろうか。

と、彼女がページをバラバラと動かす。

そしてすぐに飽きたのか僕に返してきた。

彼女が本を取り上げ、しおりの挟まっていたページを探す。あまりにも中身がなかったもんだから、どこまで読んでいたか忘れてしまった。

「あれ、しおり入れなかったけ……。てか、ちょっと、どこまで読んでたかわからなくなっちゃいましたよ」

「失礼しました」

わざと大げさにいってみても、彼女は少し反省の色をみせただけでそしらぬ顔である。

「まぁでも、一応アリバイは成立しましたね」

「だからそうって言ってるじゃないですか」

彼女は何か考えこむように顎を手で触りながら、唸っている。幼い顔つきの彼女がそういう仕草をしても、どこか様になっていない。

「となると、あなたが席を外したのはお昼の時のみってことですか?」

「そうなりますね」

「あなた、お昼はどのくらい時間かけました?」

学校から松屋までが大体5分、そっか液晶パッドで注文してつくって待ったりなんやらで、滞在時間は大体10分、つまり……。

「大体20分くらいですけど」

「意外とかけますね、何食べてたんです?」

「牛丼ですよ。近くに松屋あるでしょ」

「あぁ、私は行ったことないですけど」

「……あなたは?」

「私は15分くらいですかね。コンビニでサンドウィッチ買っただけですし」

「あなたも同じくらい時間かけてるじゃないですか」

まるで漫才をしている気分だ。しかしどうやら、僕は意外と切れ味あるツッコミができるみたい。

「あなたと私がちょうど12時頃にここを出た、となると、多く見積もっても20分の空白の時間ができた、ということになりますね」

「あっ、ちょっと待って。僕は……12時頃、たしか12時7分くらいに出たと思います」

「あぁそうですか。私はもうちょっと早くでたかな」

その時、急に思い出した。そういえば、昼を食べ終わって階段を登る途中に見た、あの気のせいかもしれない黒の足みたいなもののこと……。

「あぁっ、そうだ。僕、お昼食べ終わって階段登る時、あなたの机のとこに、足、というか黒色のスニーカーみたいなもの見えた気がします」

「ちょっと、なんでそれ早く言わないんですか」

「そんなこと言われても今思い出しましたし……あとあなただって今黒のスニーカー履いてるし」

「……なるほど」

仮に彼女が12時7分より早いタイミングで出たなら、僕が見たあの足は、犯人のものとなる。しかし、あれは気のせいかもしれない。何より死角だったわけだから確証はない。

「すみません、もしかしたら気のせいかもしれない。ほんのチラッと見えただけだし、死角だからなんとも……」

僕がそう続けても、彼女は「あぁそうですか」と言うだけだった。またあの様になってないポーズをして考えこんでいる。

「それについて、現場検証してみましょう」



「じゃあ、はいよーい、どん」

彼女の声が聞こえ、僕はゆっくりと階段を下りる。当然昼ごはんはもうとっくに消えているから、腹に重みをもったていで、下りてゆく。

現場検証、という名の実験である。彼女が机に座っている中、僕の気のせいが本当はどうだったのか、を検証するための実験だ。

踊り場につき、左に身体を傾けながらまた階段を下りる。静寂な空間に僕の足音だけが響いている。

さぁそろそろといったところで、僕は何気なしを装いながら机の方を見た。

「……」

僕は確認してから、さらに階段を下りたところで、彼女の「カーット」が入った。

「どうだった?」

彼女は、何かワクワクするような顔で僕に聞いてくる。

「……多分気のせいです」

「見えなかったんですか?」

「いや、そうじゃないです」

僕は、机の足元から電源プラグに繋がれているコードを指さした。この黒の導線がきっと足に見えてしまったのだろう。

「多分これが、足の正体」

「なーんだよ」

がっかりした、と言わんばかりに彼女ははぁと大きくため息をついた。それと同時に、彼女はまた急に鋭く僕を睨みつけてくる。

「やっぱりあなた以外……犯人なんて」

「だから僕じゃないですってば」

「でもここには、私とあなた以外人はいません!」

「そりゃそうですけど……あっ警備員さんいるじゃないですか」

おどけた口調で言うと、彼女は冗談が嫌いなのか一層睨みを強めた。

「警備員さんがそんなことすると思います?ふざけるのやめてください」

「いやぁでもわかんないですよ。あぁそういえば、僕が戻った時警備員さんいなかったし」

「その時に盗んだって言うんですか?ていうか、私は戻る時警備員さん見ましたし。私はあなたより先に戻っているんですよ。なんですか?私の目の前で盗んだってことですか?」

彼女は煽るような口調で言う。僕はそのまま黙った。少し雰囲気が悪くなる。

もはや、僕までこの「ごっこ遊び」を楽しんでいる気分だった。しかし、行き詰った。こうなれば、僕が身に覚えのない濡れ衣を着せられ、一応バッグはいじってしまったことから冤罪を着せられる。

こういう時の罪はなんだろう。窃盗?器物破損?どちらにしても大学は退学処分になるだろう。

それでも、次は何に取り掛かればいいかわからない。

「そもそも、なんで犯人は六法全書なんて盗むんだろう」

「……そりゃ、私と同じように法律の勉強をしているけど、六法全書が高くて買えなくてもう盗むしかないってなったんじゃないですかね」

「法律を学んでるのに、盗むなんて、なんだか犯人はむちゃくちゃで面白いな」

僕が面白がって笑うと、彼女は目を丸くして僕を見ていた。何が面白いんだ、と言わんばかりの表情である。

「あっごめんなさい。面白いっていうのは盗まれたのが面白いとかそういうわけじゃなくて……」

「わかってます。そんなことじゃなくて、そういう感性があるんだな、と少し驚いただけです」

もうこれ以上お手上げだ、と言わんばかりになった。

次にどうするか、と、唸って考えていると、彼女は立っているのが疲れたのか椅子に座ろうとそれを引いた。

ギギギ、と馴染みのある不快な音が構内に響く。

「……あ。そういえばあなた、何時に出たって言いました?」

「?12時頃ですけど」

「僕より先に出てますよね」

「はぁ。そうですが……」

「あれ、僕は小説読んでる時、この世界は一人かと思うほど静かでした。椅子を引く音なんてしなかったです」

「椅子を引く音?」

「ここの椅子全部木製でしょ。だから今みたいに、椅子を引く時、ぎぎぎ、って音鳴るじゃないですか」

試しに僕が椅子を引いて見せる。静かな空間を切り裂くような音が館内に響いた。

「あぁ……え?それがしなかった。つまり私が嘘をついてるってことですか?」

「いや、そんなことは言ってないですよ。ただそしたら色々矛盾するな、と思いまして」

「……たしかに。というか、そしたらあなたが嘘ついている可能性だって!」

「仮に僕がやっとしたら、僕にとって不利になるようなこんなことをわざわざ言わないでしょ」

「それは……確かにそうですね」

「あと、そうだ。僕が戻った時すぐに、椅子を引いた音がしました……。なんか色々とおかしいな」

「……そうですね」

「その、本当に12時7分前には出たんですか?」

「出ましたよ、この時計で確認しましたし」

彼女が指したその時計を見る。この2階のところの机にも3階同様、その一つ一つに電波時計がついているみたいだ。

「これ確認したら、確かに12時前だったと思います」

「そう、ですか」

だとしたら、だ。本当に辻褄が合わなくなる。僕の見間違えだろうか、いやそんなことはない。

全く行き詰った。彼女にそのことを言うと、今にも泣きそうな顔をしている。

「ねぇどうしましょう、本当になかったら私終わりですよ」

「別に終わりはしないでしょ」

「しますよ。もう一冊六法全書買うなんてそんなことできません!」

これ以上いうと、さらにヒートアップしそうなので、ここまでにしておく。考えるよりも先に尿意が襲ってきたので、一旦離脱する。

「ちょっと、僕お手洗い行ってきます」

そそくさとトイレに向かう。角を曲がったところ、僕を察知すると、パッと光が宿った。エスカレーターといい、このトイレといい、さすが大学だ。金がある。こうなれば本当に、図書館は土日にも開いているべきだと思う。

出すものを出しながら考える。彼女と僕の話、何がおかしいのか、どこが矛盾しているのか。

お昼前の僕の行動を丁寧にトレースするように思い出す。

その時、

「あっ!」

トイレの中にも響くような彼女の大きな声がした。まさか、犯人がきたのか。急いで残りを済ませ、手を洗いトイレを出る。

「どうしたんですか?」

「これ、見てください」

彼女がそう言って手招きしてきた。2個目の机のところにいる。そこまで移動すると、彼女は電波時計を指さして言った。

彼女が指さすのは時計だ。14時27分。

「?これがどうかしたんですか」

彼女は、どうして気付かないのか、と言わんばかりの顔で、1個目の元の方の机に戻る。自分から気付け、とでもいうのかそこで無言にしているが何かわからない。

「いや、なんですか?」

「時計、見てくださいよ」

「はぁ」

時計を見る。14時34分。

「……あれ」

とっさにスマホを取り出す。時刻は…14時2分。

「ここだけ、時計が遅れている……」

この事実に気づいた彼女はどこか誇らしげである。

「あなた……これで時間確認したんでしたっけ?」

「そうです」

「え、となると、じゃあ僕の方があなたより先に出たってことですか?」

「それだと辻褄が合いますね」

「でも、なんでここだけ?」

様々な考えが及ぶ。計画的にやったのか?それともたまたま?わからない。

「っていうか、そしたら僕が行き帰りに見たものも、あなたの靴だったんですかね」

「まぁその時は私いましたからね、そうでしょう」

「……7分間、この時計は遅れてるから僕が出ていったのは12時7分。あなたはその7分後……12時14分に出ていったことになる」

「そう、あなたが松屋に行ってからここに戻るまでが約20分だとすれば、あなたがここについたのは27分、私は15分ぐらいなので、29分」

「つまり、僕があなたより先に出て、あなたよりも先に帰った、てことか」

「そうなりますね」

「……しかし、どうだ。僕が先についてから、あなたが戻ってくるまでのその時間、空白が生まれたとて、そこで何かできる者なんて……」

互いに唸る。今までのことを思い出す。僕ら以外にここにいる人なんて……。

「あっそっか!」

彼女がひらめいたように、大きな声を出した。その声がいちいち大きいので、思わず怪訝な顔をして彼女を見る。

「なにかわかったんですか……?」

「ふふ。椅子の件を思い出してください」

彼女はもうこのトリックに気づいているのか、さっきの得意げな顔で僕を見てきた。

「椅子の件……?」

「椅子の音のことです」

「……僕がここを出た時は椅子の音がしませんでしたよ。だってあなたは後に出たんだから」

「そうですよ。しかしあなたが戻った時に聞いた椅子の音はどうでしょう?」

「……僕が席に戻った時、あなたは、いない!」

「そうです。その時私は、いません」

「確かに!じゃあ、じゃあ誰が」

もう一度、思い出す。松屋から帰るまで、何か不審だった点を……。

「そうだ!警備員さんがいなかった!」

「警備員さんのアリバイは崩れますね」

「つまりあの椅子の音、そしてあなたが帰りに見た時の例の黒のコードの正体は……」

「警備員さんの足である可能性が高い」

「ええ!?でも、でも警備員さんが犯人だなんてそんなこと普通に考えて……」

「いやいや、あなた、最初から疑ってたじゃないですか」

「あんなの冗談に決まってるでしょ!しかもあなたも、ふざけるのやめてもらっていいですか、なんて言ってたし」

「私だってあの時は冗談かと思ってましたよ」

「え、それでも、それだけじゃなんとも……」

あと、もう一押し何か決定的な証拠、というかその可能性がほしい。様々な単語を考えてその繋がりを探す。

警備員、会釈、捕まる、窃盗、いなかった、警備室……。

「あぁ!」

今度は僕が大きな声を出してしまった。その声は静寂を突き破るほど大きなものだ。

「時計の電波時計をいじることができる大学のシステムが集中している場所は警備室しかない!」

二人で見つめ合う。そして同時に言った。

「警備室へ急げ!!」

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