あの日々のみどり色

タチ・ストローベリ

あの日々のみどり色

あの頃の日々はそれぞれに違った小さな鈴がついていて、ほんの数日だけの鮮やかな緑色は特に印象的だった。一方で、そっと独りぼっちになれば目の前の草原は若いのに皆スーツを着て、シリアスな妄想にふけっていたし、ピンクパンサーのお化けみたいな黄昏たそがれが、年を取ったチューインガムの様に頭にへばり付いてとれなかったりもした。おかしな時代だった。

 でもさ、ほんのわずかでも本当の本物があったさ、とフィンセントは言うだろう。

 彼は今居る場所を出て行くところだった。

 そして、あれはあの歳の秋の事だった。

 すっかりもぬけの殻になったこの場所が生まれる遥か以前、彼は大変に困惑していた。愛するという水道管がバカになり、蛇口は出来損ないの氷柱つららで塞がれたのだ。この事態は、見たことも聞いたこともない宇宙空間の様にフィンセントを取り巻き疲弊させた。原因に関しては、或いは弟のテオとの事だったかもしれない。或いは単に身から出た錆だったのかもしれない。とにかくくたびれきっていた。本人が感じるよりずっと。


 戸惑いの頂点につっ立って、自分の歴史のひもじさに冷や汗でべちょべちょのパンツになってしまった、ちょうどその時、運命を管轄かんかつする時計台がいつもより余計にお昼をお知らせしたのか、はたまた、正月に引いたおみくじが何らかの辻褄つじつまをあわせようとしたのか、気が付くとフィンセントは湖沿いのコテージで生活していた。

 そこには彼以外に、愛らしいつるがいた。彼女は湖の真中に半分沈めてある、ねじれたスペースシャトルでやって来たらしかった。らしかった、つまり、彼女から聞いたわけではない。彼女は自己紹介の定形など、まるで気にしないたちだったのだ。それに素敵な歯磨き粉の味がしそうだった。その事がフィンセントを膨らまし、バターの香りでおいしそうにさせた。

 彼はここで絵を描き、鶴はせっせとはたを織った。

 朝はにわとりの声で目覚め、昼には彼らにフライドチキンのものまねをさせた。午後、碧茶ブルーティーを火星色のポットでそそげば、二人で浦島太郎の物語を自由気ままに書きかえる、ブルーベリー味の夜が来る。

 鼻をませば何処からでも早朝のパン屋の気配がしたし、目を開けていなくても夏の一番いい時がずうっと続いてみえた。

 チカチカした星が電球になったり、太陽のゲロが暖炉のまきになったりした。


 風がクルクル走った。

 みぞれがリンリン鳴った。

 玄関がスースー息をした。


 そして次の季節を呼び込んだ。


 ある日、目覚めるとフィンセントは独りぼっちだった。ぐらぐら揺れる陽光が、消えかけて透明になったコテージを通してシャトルのいなくなった湖を伝えている。

 予兆はあったのだろうか、気付くことは出来たのだろうか。一つだけわかるのは、これからはそれぞれでやって行けるし、やって行かなければならないという事だった。

 すっかり暖かくなった外気の中で、誰かは笑い、誰かが泣いている。

 フィンセントは外へ出て、彼女の飛び立った湖を一口すくって飲んだ。


 それはとても美味しい、春のワインだった。

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あの日々のみどり色 タチ・ストローベリ @tachistrawbury

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