最後の晩餐(2)
ガシャアァン!
大きな音を立てて窓ガラスが砕ける。
巨大な熊と化した母を、見覚えのあるオレンジ混じりの黒髪の巨漢が床に叩きつけて押さえつけた。
目を見開く。
「華城さん!?」
「槙!」
冬兎の声を遮るように、華城が玄関側に叫ぶ。
テーブルから飛び上がった妖怪と白い鳥。
ガァン、という銃声。
妖怪のこめかみを貫く銃弾。
白い鳥が槙の下へと戻っていく。
「があぁ! がああああっ!」
「烏丸!」
「今や……だめだ、この人ボンド契約しているガイドがいる! 俺のケアを受けつけない……! この人のガイドは――」
「っ……」
「父さん……父さん……!」
倒れ込んだ父の背を見て涙が溢れた。
あまりにも深い傷。
それを見て、華城も烏丸もギョッと驚いた表情。
背中の傷、母の爪についた人間の血。
「そんな……ボンドを傷つけるなんて……」
「っ……槙! 烏丸を!」
「多喜!」
「うわあ!」
巨漢の華城でも、野生化した母を抑え込めなかった。
立ち上がった母は起き上がって早々に身を捻り、長い腕で華城の腕を引き裂こうとする。
だが、
軽傷のままテーブルを使ってガラス窓の枠にひっかけ、外へ放り出されるのを防ぐ。
全身の毛を逆立たせ、咆哮を上げる母。
槙に回収された烏丸が、冬兎の横に転がってきた。
「ちょっと、なんで夜凪がここにいるんだよ!?」
「か、烏丸さん! 父さんが……父さんが……!」
「これお前の親父さん!? え、じゃあまさか……アレ……」
「母です!」
「「マジか」」
槙と烏丸の声が重なる。
兎のスピリットアニマルが、薄れていく。
それは――魂が途切れるということ。
冬兎が父の手を握る。
「父さん、死なないで……死なないでよ……! こんなお別れ、いやだよお!」
「……ふゆ、と……ごめん……よわい、とうさん……で……ご……め……」
「父さんん……!」
手の中に、なにかが染み込んでいくような感覚を覚えた。
魂の一部が冬兎の中に。
それでも、父の魂の一部を得ても――父と契約している母を冬兎がなんとかすることはできない。
母のガイドは父だけ。
父のセンチネルは母だけ。
父の命の灯火が消える。
母を人に戻す術が失われていく。
「ガアアアアアアアアアアアアアアア!!」
四つん這いで突進してくる母。
本能で、父の命の灯火が消えるのを感じて駆け寄ってくるのだ。
母の目からは涙が溢れている。
――汚い。
あの妖怪の言葉が頭によぎった。
なにを今更。
父を殺したのはお前じゃないか。
父をこんなにしたのは……。
「う、うるさい。うるさい! 母さんに父さんを見送る資格なんてない!」
「ガアアアアアァァァッ、アアアアアア!」
「夜凪くん、ごめん」
槙がそう呟いて、銃口を母に向けた。
迷わずに引き金を引く槙の銃弾を、母は両腕でガードして遮る。
「ま、槙さん!?」
「ボンドを失った状態で野生化したセンチネルとパーシャルは、救う術がない。……こうなると、もう……」
「…………っ」
討伐対象。
人間であっても、コレは厄災。
唇が震えた。
「ロック!」
『ピュルル!』
槙のスピリットアニマルが、母に飛びかかり宙を舞う。
囮になっている隙に槙が球を詰め替えていく。
だが、勢いよく両腕でがむしゃらに暴れた母の腕で、槙のスピリットアニマルが壁に叩きつけられた。
「っ!」
「槙さん! くっ……
『きゅぴゅー!』
スピリットアニマルのダメージは本体にも共有される。
こちらに目を向けた母の血走った目。
口端がミチミチと音を立てて千切れていく。
人間ではなくなる。
もう、母は理性を取り戻すことはないのだと――思い知らされた。
「――――」
窓際からテーブルを持ち上げて、母の脇腹に叩きつけて引き離す華城の眼差しと交差する。
その目は「ごめんね」という謝罪。
そして、「諦めて」という覚悟を促すもの。
涙は止まっていた。
唇を噛み締めながら、冬兎が華城を見つめた。
「
キリリ……と杭が奥へと入っていく。
烏丸のスピリットアニマルが離れた瞬間、母が冬兎の方を見た瞬間、華城のパイルバンカーが母の腹へと撃ち込まれた。
派手な音と勢いのまま、母の体が二つに破裂する。
レストランの真ん中で、飛び散る血。
母の上半身は窓の外に飛び、下半身は回転しながら店の隅に滑っていく。
返り血を直に浴びた華城は、冬兎の方を振り返ることはない。
パイルバンカーからスピリットアニマルの虎に姿を戻す。
かなり小さくなって、その場に寝込んでしまった。
落ち込んでいる。
彼自身は強がっているけれど、スピリットアニマルの虎は素直だ。
「夜凪くん……」
「大丈夫です……わかって、ます……母は……仕方なかったんです……」
自分でも意外なほど冷たい声が出た。
父の手を握ったまま、父の顔を見下ろして「大丈夫」と繰り返す。
母のことは、本当に思っていた以上にショックではなかったのだ。
それよりも、ショックなのは――
(わかりあうことが、永遠にできなくなってしまったんだな)
◆◇◆◇◆
「う……」
泥のように眠った翌朝。
あとのことを警察と[花ノ宮]の処理班に任せて、白虎ビルの自室に強制送還された。
烏丸がひどく狼狽して心配してくれていた気がする。
ずっと手を握って、ケアを続けてくれた――ような。
「……父さん……の、兎……」
腹の上に、重さはなくとも違和感があった。
胸の上まで来て、鼻をヒクヒクさせている小動物。
ピンと立った耳。
赤い目の白兎。
うっすら白い膜で覆われて、半透明。
スピリットアニマルだ。
「
『ぴすぴす』
鼻を鳴らして返事をした。
これが自分のスピリットアニマルだと、魂で理解する。
母からの離脱、父の想いを受け継ぎ目覚めたのだ。
(こんな形で……)
目を閉じて、額に腕を乗せる。
でも、真っ暗闇の中で見えたのは華城の背中だ。
目を見開いて起き上がる。
しょんぼりと床に寝転がる虎の姿。
殺させてしまった。
顔を洗い、いつ着替えたのかスウェットからシャツとトレーナー、ジーンズに着替えて部屋から出る。
エレベーターに乗り込んでから、気づく。
「……っ華城くんの部屋、知らない……」
ハァーーー、と深々溜息を吐いて仕方なくエレベーターホールに降りた。
広いエレベーターホールのベンチに座る。
華城と話をした、ささやかな思い出になった場所。
まあ、昨日の話ではあるけれど。
(昨日――)
今だに現実味がない。
母も父も、死んだ。
けれど、父の抉られた背中も飛び散る母の鮮血も、鮮明に思い出せる。
(確か……父さんも母さんも、もう両親が亡くなっていて天涯孤独――とか、言ってた気がする)
だから両親にとって、お互いしかいなかった。
父も母も学生時代に怪物に両親を食い殺された、と。
母たちの世代では、特に珍しくもない。
自分も天涯孤独になってしまった。
朝の出勤時間で人の流れが増えていく。
冬兎の両親が死んだあとも、世界は何も変わらない。
そんなのは当たり前のこと。
冬兎だって、昨日誰かが死んだ翌朝も普通に出勤して仕事をしてきた。
むしろ両親が死んだ瞬間に産声を上げた赤ん坊だっているだろう。
そのくらい、死も生も当たり前。
ただ自分だけが取り残されて、自分だけ世界から切り離されているかのような感覚に苛まれる。
被害者ヅラだ。
悲劇のヒロイン脳。
(ださ……)
でも、今だけは少しだけ、悲しんでもいいだろうか?
涙も出ないのに、頭も心も空っぽだけれど――
「「あ」」
エレベーターの扉が開くと、中から出てきたのは華城。
お互いギョッとしたと思う。
華城の肩にいるのはぐったりとした子虎。
昨日の姿よりも、さらに縮んでいる。
そして華城は冬兎の肩にいるスピリットアニマルに驚いているのだろう。
居心地悪そうに視線を彷徨わせたあと、意を決したように近づいてきた。
「スピリットアニマル」
「あ、う、うん。起きたら……お腹の上にいた」
次に沈黙。
華城もどう声をかければいいのかわからないのだろう。
「……あ。感覚は……?」
「え?」
「レイタントからセンチネルか、パーシャルになった人間は、感覚が急に発達して、ビビる」
「ああ、なるほど。……そういうのはない、かな。今のところ」
「じゃあ……ガイド……?」
「なのかな?」
立ったままの華城を見上げて首を傾げると、冬兎の前に回り込んで膝を折る。
跪いて、冬兎と視線を合わせるように少し屈んでくれた。
優しい。
「どうして普通に話してくれるの」
「え?」
「俺……あなたの、お母さんを……。だから殴られても、仕方ない。責められても、詰られても……」
「あ……ああ、それは……その……」
俯いてしまう華城に、目を細める。
両手で彼の頰を包む。
その瞬間、視界が歪みそうなほど苦しくてつらい感情が入ってくる。
「あ――」
「っ、う」
ぐらっと体が傾く。
華城が抱き留めてくれたけれど、その感覚は続いたまま。
(あ……これ、華城さんの感情か……)
つらい、苦しい、ごめんなさい、また助けられなかった、殺してしまった、許してほしい、許さないでほしい、守れない、また、死んでしまう、死んでしまった――
いろんな苦しい感情が溢れて止まらない。
それを感じて、冬兎も涙が出てきてしまう。
「うっ……ううっ、ひっ……く」
「っ――く……は、離れて……」
「やだ……ヤダ……! ヤダ!!」
先程まであんなに空っぽだったのに、今は溢れて仕方ない。
彼の心、感情のはずなのに、空いた穴を埋めるように次から次へと。
「うああぁん……うああああっ!」
「…………」
彼に抱き着いて子どものように泣き叫ぶ。
いつ誰がくるかわからない場所なのも忘れて。
いつの間にか、華城にしっかりと抱き締められて頭や背中を撫でられていた。
あたたかくて、悲しくて、でも安心する。
自分が泣きたかったのか、ようやく泣けたのかと思う。
華城の感情を取り込んで、共感したおかげで。
(やっぱり悲しかったのか。僕、泣きたかったのか)
ちゃんと両親の死を嘆くことができる自分だったのだと、救われた。
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