最後の晩餐(1)

 

「冬兎、久しぶりだね」

「父さん……!」

 

 レストランに入り、真っ先に見つけた両親――父の肩には白い兎のスピリットアニマル。

 隣の席にいた母の背には、熊のスピリットアニマル。

 

(……今まで見えたことないのに……)

 

 ゴクリ、と息を呑む。

 できれば見えない方がよかった、とすら思う。

 手を振る父の姿は元気そうで、ひとまず安堵した。

 しかし――

 

(母さんのスピリットアニマル……デカくて怖……!)

 

 座っている母の真後ろに寝転がる熊はあまりにもデカい。

 スピリットアニマルは主人以外に触れることができないというが、それにしても存在感がありすぎる。

 元々母と対峙する時に感じていた緊張感が、未だかつてないほどに増す。

 

「さっさと座りなさい」

「あ、う、は、はい」

「元気だったかい? 体調や仕事は?」

「あ、う、うん。元気。仕事は……ストレスがすごいから、休むように、って……言われて……」

「そうなのか。じゃあ、休職中?」

「う、うん。つい昨日……お、一昨日からかな……」

 

 ウエイターが水を運んできてテーブルに置いていく。

 母が運ばれてきてすぐに、その水のグラスを口元へ持っていき、傾ける。

 

「どうしてそんな大事なことを親の私たちに連絡しないのかしら?」

「――っ……あ、も、申し訳、ありません。ば、バタバタしていて……」

「ま、まあ、いいじゃないか。今日は冬兎の誕生日祝いなんだ。二十五歳おめでとう、冬兎。少し遅くなったけど、これ、パパとママから」

「あ……ありがとう、父さん」

 

 リボンのついた紙袋を手渡されて、開けていいかを聞くとこくりと頷かれる。

 子どもの頃から変わらない父の手作りマフラーと手袋。

 

「わあ、今年もありがとう」

「ううん、こんなことしかできなくてごめんね」

「そんなことないよ。父さんに教わった料理のおかげで、最近……えっと、美味しいって言ってもらえて……」

「おや、料理を披露する相手ができたの?」

「あ! いや、その! ……親切にしてもらった人に、お礼としてお弁当を作って……っていう、その……まだ、そんな……はい」

「そうか! いつか紹介してくれると嬉しいなぁ」

「そ、そんな……えっと……」

 

 まさか相手が怪物討伐専門株式会社[花ノ宮]事務所、実働部隊所属のエース、華城晴虎とは思わないだろう。

 民間企業とはいえ、国家に認められている大手携帯電話会社のような国と提携した世界的視点のある大企業。

 そのエースだ。

 一部ではアイドル系ヒーローのような存在らしい。

 

(ブラック企業に勤めてからですら、たまにニュースで名前を聞いていたもんね)

 

 今更ながら自分のような平々凡々の貧弱人類が、彼のようなスーパーヒーローに二度も命を救われるなんて運がバグっているんじゃないだろうか。

 照れているとスープとサラダが運ばれてきた。

 

「生活面はどう? ちゃんと家事はできてる?」

「えーと、う、うん……まあまあ……。っていうか、最近ちょっと引っ越して……」

「引っ越したの? いつ?」

「あの、本当につい一昨日」

「ああ、休職と同時に? あれ? じゃあ、職場を辞めたの? 辞めた意味の休職? 生活費必要になるんじゃ……」

「いや――あの……実は」

 

 話していいのかな、と少し考えたけれど、家族なのだから――

 

「というわけで、今は[花ノ宮]さんの社宅が入っている本社ビルに住まわせてもらっているんだ」

「……レイタント……冬兎が……?」

「どうして……どうして私に真っ先に連絡しなかったの!?」

「え」

 

 強い眼光で睨みつけ、拳を握る母。

 絶望したかのように唖然とする父。

 困惑する冬兎に、母が怒りを露わにしたまま「レイタントは国の保護対象なのよ」と声を荒らげる。

 

「え? それは……知ってる、けど……でも、だから国と提携している[花ノ宮]が保護してくれるって」

「ええ、そうよ。でもね、国からすると[花ノ宮]は強大すぎるのよ。国民人気も、国民からの信頼も高い。政治家ですら“花ノ宮明人”にペコペコと頭を下げていた。国のパワーバランスがおかしくなったのも、あの花ノ宮明人のせいなのよ……! 討伐会社[花ノ宮]があるせいで警察や自衛隊の予算が減らされるし、センチネルやパーシャル、ガイドは[花ノ宮]が持って行ってしまう! あなたも[花ノ宮]に所属するつもり!?」

「え、え……えっ……あ……」

 

 討伐専門株式会社[花ノ宮]は――花ノ宮明人は世界を変えた。

 人類をただの“餌”から、ここ十年でこれほど繁栄させたのだ。

 海外では『人間牧場』なる餌となる人間の生育施設まであった。

 花ノ宮明人がそれを排除し、日本からも人狼や吸血鬼の支配領域を解放して、竜血鬼“折宮六花”を味方につけたのだからすごい。

 でも、見方を変えると国はその“たった一人”におんぶに抱っこ状態だったのだろう。

 国として、花ノ宮明人は目の上のたんこぶのようなものだったのか。

 国の威信などで化け物からの恐怖に立ち向かえない国民は、花ノ宮明人を英雄として祭り上げて信奉者までいた。

 冬兎もその信奉者の一人だ。

 

「そんなのは許さないわ。明日から……いいえ、今すぐにうちに帰ってきなさい。そして、警視庁に入れるようまずは警察官学校に入りなさい! 私が口添えするから!」

「痛っ……か、母さん……落ち着いて……!」

「ゆ、雪絵さん、落ち着いて……! せっかく予約したレストランなのだから、食事だけでも――」

 

 父が立ち上がった母を引き止める。

 母は冬兎の腕を掴み、立たせようとした。

 その時、冬兎の視線の先は母の肩。

 母の肩に舌の長い妖がいた。

 

「か――母さん……! 肩に……!」

「っ!?」

 

 冬兎の声に母が自分の肩をすぐ振り払おうとする。

 その手を、妖の舌が舐め上げると皮膚が剥がれて血が飛び散った。

 

「くう……!」

「雪絵さん!」

「よ、妖怪だ!」

「すぐに警察と討伐会社に連絡を!」

 

 他の客が席から立ち上がり、悲鳴を上げながら店員の指示に従って店の外へ出て行く。

 母は皮膚を削られた右手の甲を左手で押さえながら、すぐ自分の席のバッグを開けて小型の拳銃を取り出す。

 それを肩から床に飛び降りた妖に向けて発砲したが、素早くてテーブルの下をくぐって逃げていく。

 

「すばしっこい……! でも!」

 

 母のスピリットアニマルが立ち上がり、妖を追いかける。

 椅子やテーブルをすり抜け、大きく振りかぶった熊の腕が妖怪を叩き上げた。

 

『キキキキ』

 

 熊の爪に傷ついた妖怪は、今度は天井に張りつく。

 そのままじわじわと体が大きくなっていった。

 小型の妖に見えたが、そうではないのか。

 

『汚い汚い。せっかくわしが綺麗に舐めてやろうと思うたんに、これだから心根の汚れた女子は余裕がない。母としても妻としても、夫と子どもを自分の思い通りにしようという支配欲。独占欲。嗜虐性。汚い汚い』

「――っ!」

 

 喋った。

 つまり、知能がある。

 そしてこれだけスラスラと話せるということは知性が高い。

 人間の領域に入り込み、襲うのは大概知能のない低級の妖か怪物。

 討伐会社[花ノ宮]が竜血鬼と盟約を交わしてから、このレベルは珍しくなっている。

 

「お前……喋れるということはそれなりの等級だな……!? 竜血鬼との盟約があるのにも関わらず、こんな場所で人間を襲っていいのか?」

『あはははは。竜血鬼殿とてすべての人間を守るものでもない。摘み食い程度ならお目溢ししてくださる。でなくば、低級が主ら人間を食えるわけがあるまいて。そう、たとえば主のような花ノ宮明人と敵対するようなモノはな、目溢しの対象よ』

「っ……!」

 

 今し方、母に警察と[花ノ宮]との確執を聞かされたばかり。

 竜血鬼、折宮六花と盟約を結んだ花ノ宮明人との確執がある組織の人間は、その加護の対象外。

 とするならば、襲っても問題はない――などと……。

 

「舐めたことを……!」

『ふはははは。そうよ、舐めたモノよ、わしはな。我が名は“あかなめ”。人間の汚れを舐めて綺麗にする妖。わしに舐められて血を流す人間は、それだけ汚れているということよ。知っておろう? 我ら妖は中級以上はそれぞれ“謂れ”がある。わしにとって、主のような汚れた人間を食うのは世のため人のためというものよ。自覚がないのか? それとも、自覚があって傷つけているのか? 家族を』

「……っ!」

 

 立ったまま、押し黙るしかない。

 妖怪あかなめの言うことは、家族全員が気づいていたことだ。

 母も――黙って拳を握り、息を呑んだということは……自覚が、あったのか。

 

(母さん。自覚があったんだ。じゃあ、高校の時に……花ノ宮さんに助けてもらった時に確信した、うちの普通はやっぱり異常だった。それを、僕以外も……父さんも母さんも自覚していた。自覚したまま改善しようとしなかった。してこなかった。僕も……)

 

 父を、見捨てて家から出た。

 父がそれを後押しした。

 夜凪家に置いておけば、冬兎もおかしくなると思っていたから。

 ずっと目を背けていた家の異様さを、こんなところで突きつけられるなんて。

 

『お前たち人間は家族を守るために我らのような妖にも立ち向かう。いや、立ち向かってきた。なのに女、お前は家族を傷つける。わしを傷つけたよりも、もっと長く、深く。ひひひ、ははは! 汚い。汚いなぁ。そこの男もそうだ。子どもを守るためと言い訳しながら妻と戦うことを諦めて言いなりになって、自分が妻の犠牲になればいいなんて自己犠牲に酔いしれて。汚い汚い。この親にしてこの子あり。父が母の暴力に苦しんで諦めて壊れていく様を横で見て、なにもせずに家から出ていく恩知らず! ああ、なんて汚い一家。我が身可愛さに己の欲を最優先にして……汚い! 汚いなぁ!』

 

 喉がカラカラに渇く。

 なにも言い返せない。

 この妖怪の言うことは、なにも間違っていないから。

 この場の誰も、なにも、反論ができない。

 

「だ、だ……黙れ」

『汚いなぁ。汚いなぁ。目を逸らすのか? また? 今まで通り? 夫の諦めた心に漬け込んで甘えて、壊していくのか? 汚い女だ。こんなに卑劣で汚い女は見たことがない。自分でもわかっているんだろう? 夫はとっくに限界を超えている。なにかきっかけがあれば今度こそ――』

「黙れぇー!」

「雪絵さ……!」

「母さん!?」

 

 自覚があるからこそ、そこを詰められると怒りでごまかそうとする。

 母はそういう――弱い人間だ。

 熊のスピリットアニマルが母の体に覆い被さり、母の体と一体化する。

 ギョッとした。

 

「まずい! “野生化”だ! 雪絵!」

「父さん!」

「グァァァアァアァアァ!!」

「っか……」

 

 スピリットアニマルの姿が母の肉体に乗り移る。

 完全なる獣だ。

 テーブルや椅子を長く太い腕で振り払い、天井に張りつく妖に向かって飛び上がる。

 しかし、妖は素早く天井から床に飛び降りて散乱したテーブルや椅子の合間を縫って姿を消してしまう。

 姿は見えないのに、笑い声ばかりは聞こえてくる。

 汚い、汚いと冬兎の家族を貶してくる。

 悔しいのに、言い返せない。

 恐慌状態の母は、目の前にあるものを薙ぎ払うばかり。

 

「冬兎! 危ない!」

「っと……!」

 

 抱き締められ、後ろに押し倒される。

 ザクッというなにかが裂かれる音と、父の「うう」という呻き声。

 床に散らばる血。

 父の肩の兎のスピリットアニマルの背に、深い爪痕が刻まれた。

 

「嘘だ……嘘だ……なんで! ボンドはお互いのことを傷つけられないって……!」

「冬兎……逃げ、逃げるんだ……雪絵さんは、僕が……引き戻す……シールドを、貼り直して……だから」

『あははは! あははは! ほら見たことか! 唯一無二の契約を交わしたボンドも迷わず傷つける! 日頃の行いというやつだ! まさに理性のない獣そのものよ! 汚い! 汚いなぁ!』

「っ……」

 

 常日頃からボンドを傷つける母は、野生化しても本来ならば傷つけられない唯一無二の存在を傷つけられる。

 それほどまでに、母は父を日常的に傷つけてきた。

 ありえないほどに、当たり前のように。

 あまりの現実に絶望する。

 

(僕の家族……こんなに……こんなに……)

 

 妖怪の言う通り、なんて汚いのだろう。

 愛や信頼のかけらもない。

 あるのは甘えと、諦め。

 

「雪絵……」

「んがァァァァァ!」

「ああ……僕は……もっと早く君を……」

「父さん……!」


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