第42話 ……教えてよ

 ――コン……コン……コン。


「ただいまー」


 いつもよりも少し、リズムが遅いノック。

 夜に戻ってきた美雪は、もう見慣れてしまったパジャマ姿だ。

 それに加えて、着替えでも入っているのか、バッグを手に下げていた。


「おかえり」


 寒いからと先に布団に入っていた貴樹は、顔を向けて声をかけた。

 美雪はバッグを置くと、一直線にその同じ布団に潜り込む。

 そして、うつ伏せでぐいっと身体を寄せると、適当に動画を見ていた貴樹のスマートフォンの画面を覗き込んだ。


「……それ、なに?」

「なんか流行ってるらしいボカロ曲」

「ふーん……」


 いまいちよく分からなかったが、最近はこういうものが流行っているのか。

 流行り物に疎い……というよりも、美雪にはそんな時間がなくて、追いかけられていなかった。


「もう慣れたもんだよな」

「……へ? なにが?」


 貴樹に言われて何のことかキョトンとする。


「そりゃ、美雪が。勝手知ったる我が部屋……というか、自分のベッドみたいな感じ」

「そ、そうかな? そうかも……」


 言われてみれば当然だ。

 自分の部屋には、ここにない服や勉強道具はあるけど、それだけ。

 一番大事な彼がいないのだから、ここに来る頻度が高いのも当たり前のことだ。

 寝ている時間も考えると自分の部屋にいる方が長いが、起きている時間に限れば、最近は彼の部屋にいる方が長いかもしれない。


「まぁ、貴樹は私のものなんだから、この部屋も私の部屋……みたいな?」

「はは、なんだそりゃ」


 美雪の言い分に笑うと、貴樹は動画を閉じて美雪に顔を向けた。

 同じく顔を向けた彼女の髪がサラッと揺れて、いつものシャンプーの匂いが広がる。


「……美雪ってほんと可愛いな」

「――ふわっ⁉︎」


 唐突に言われて、素っ頓狂な声を上げると同時に、もともと少し緊張していた胸が、更にドクンと跳ねた。


「――あ、あ、当たり前でしょ!」


 精一杯強がって答えた美雪を見て、貴樹は「ぷっ」と吹き出した。


「はは、それめっちゃ美雪っぽい。久しぶりに聞いた」

「――は? なによそれ」


 意味がわからずに聞き返すと、貴樹は美雪の頭に手を伸ばして、髪をくしゃっと撫でた。


「……そういう、強気でぐいぐい引っ張ってくれるとこに助けられてるからさ」

「そっかな……?」

「昔は美雪が心配で、俺が何とかしないとって思ってたんだ。逆に今は美雪に尻叩かれて、休まずに学校行って、何とか勉強もついていけてる。……たぶん、美雪がいなかったら、俺やる気なくてダラダラしてるだけだったよ」


(そんなこと……思ってたんだ……)


 貴樹の話を聞いて、美雪は彼がそういうことを思っていたのだと初めて知った。

 自分は貴樹に一方的に助けられてばかりだと思っていたけれども。


「……でも、時々やっぱ女の子なんだなって。前はあんま思ったことなかったけど、ころころ変わる猫みたいで見てて飽きない」

「…………そ、そう?」

「ああ。……だからさ、これからも俺の近くでいてくれよな」


 恥ずかしいのか、少し目線を逸らした彼が愛おしくて――美雪は彼の頭にゴツンと頭をぶつけた。


「――いてっ!」

「そういうのは、ちゃんと私の目を見て言いなさいよね。……逃げないから」


 美雪がそう笑うと、貴樹は吹っ切れたように言った。


「へいへい。――だから、俺は美雪がいないと困るの。頼むよ」

「し、仕方ないわね。頼まれてあげるわよ。……これからも、ずっと」


 そして、今度は優しく頭を寄せて、そっと彼に寄り添う。


「……私も、貴樹がいないと無理。死んじゃう。そんなこと想像したくもない。……だからね」


 美雪が口を閉じたとき、自然と目が合って――キスを交わした。

 互いの想いを感じながら。


 暖かい布団に入ったまま、彼の背中に手を回して強く抱きしめながら、美雪は呟く。


「……教えてよ。私の知らないこと」

「俺だって知らないんだけど」

「あはは。もし知ってたら、私貴樹を刺してるかもね」


 そう言いながら、美雪は貴樹の脇腹を指でブスッと突いた。


「……刺されなくて良かったよ」

「むふふ。たぶん、生まれたときからこうなるって決まってたんだよ、きっと……」


 照れながら笑う美雪に、もう一度キスをしてから、改めて確認する。


「……本当に良いのか……?」


 そして、少し身体を離して正面から美雪の顔を見た。

 すると、湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして、美雪は視線を泳がせる。


「な、何度も言わせないでよ。……は、恥ずかしいんだか――んっ!」


 強がる彼女の口を塞いで、そっと髪を撫でる。

 しばらく目は開いたままだったけれど、ゆっくりと閉じて……身体から力が抜けるのがわかった。


「……貴樹……大好き」

「俺も好きだ」


 キスのあと、ほうっとした顔で美雪が呟くと、すぐに貴樹も応じる。

 そして――。


 ◆


「すーすー……」


 いつものように、隣で気持ちよさそうに寝息を立てている美雪の髪をそっと撫でる。


 初めてだったから、痛かったりもしたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。

 でも、心配させないようにと、そういう素振りも見せなかった美雪が愛おしい。

 何よりも、幸せそうな顔が目に焼き付いていて。


(ほんと、美雪はいつも我慢してばっかりだな……)


 そういう振る舞いも含めて、美雪の全てが可愛いと思えた。


「……んぅ……。たか……き……」


 美雪が寝言を呟く。

 自分の名前を呼ばれて気恥ずかしく思うけれど、夢の中でさえ想ってくれているのか。

 そのうち美雪はごろんと寝返りを打ちながら、自分に足を絡めるように抱きついてきた。


 貴樹は起こしてしまわないように、慎重に彼女の首の下に腕を入れ、抱き寄せる。

 仄かな吐息が、自分の首筋に伝わってこそばゆいが、彼女の温もりが確かに感じられて。


 たぶん、これからもこうして一緒に過ごすことはいくらでもあるのだろう。

 それでも今日は特別で、忘れられない日になったと思う。


 きっとそれは美雪も同じだと信じて――貴樹は彼女の頬に軽くキスをしてから目を閉じた。

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