第39話 私から見たら、玲奈のほうが……
先ほど別れたばかりの玲奈に呼びかける声――怒鳴るような大きな――を聞いて、貴樹と美雪は顔を見合わせた。
「なんだ……?」
「知り合い……にしては……」
ここからでは玲奈が見えなくて、どうするべきか考える。
プライベートなことに首を突っ込む訳にはいかないと思っていると、今度は玲奈の声が響いた。
「――やめてよ! 離して!!」
それを聞いて、貴樹は慌てて声のする方に走り出した。
「ま、待ってよ!」
その背中を美雪もすぐに追いかける。
ふたりの速度差は大きいけれど、もとより遠くなかったから、大きく離されることはなかった。
貴樹が建物の角を過ぎて視線を向けると、すぐに玲奈の姿が見えた。
――無精髭を生やした見知らぬ中年の男に腕を掴まれているのを、玲奈が振り払おうとしていて。
貴樹は大きな声で叫んだ。
「何やってんだ!」
その声に、玲奈と男はビクッとしたかと思うと、すぐに振り向いた。
「貴樹くん!」
「何だお前!」
同時にふたりの声が響く。
騒動の気配に、近くにいる雑踏たちが遠巻きに見ているが、スマートフォンのカメラを向ける者はいても、近寄る者はいなかった。
玲奈たちから5mほど離れたところまで歩み寄り、貴樹が険しい顔を見せる。
その少し後ろに美雪も到着しては、隠れるように様子を見ていた。
「――その子は俺の友達なんだが、何の用事だ?」
男は玲奈の腕を掴んだまま、貴樹をじっくりと舐めるように見た。
「友達だと……? 他人が家族の話に首を突っ込むな。邪魔だ!」
「家族……? どういうことだ?」
「しつこいな。そのままだ。俺が娘に何をしようが、お前らには関係ないだろ」
貴樹は男と玲奈へと交互に視線を向けるが、全く似ている様子はない。
ただ、玲奈は黙って俯いていて、否定はしなかった。
「玲奈、そうなのか?」
確認するように玲奈に聞くと、俯いたままで「うん……」と小さな声で頷いた。
「そうか……」
父親だという男――隆太と玲奈は、傍目からも良好な関係には見えないが、部外者である自分が手を出すわけにはいかないと踏みとどまる。
「わかったらさっさと帰れ。……お前らもだ、何見てんだ!」
隆太は野次馬のように視線を向けていた群衆に対しても、大きく手を振って威嚇する。
そして、玲奈の腕を引っ張った。
「おい、行くぞ! 聞きたいことが山のようにあるんだ」
「嫌よ……。やめてよ……」
しかし、玲奈はその場を動かずに、首を振った。
それが癪に障ったのか、隆太は「……チッ」と舌打ちすると、片手を大きく振り上げた。
一瞬、目を見張った玲奈がビクッと体を竦めたとき――。
――パァン!
甲高い音が響き、玲奈は顔を手で押さえて蹲った。
「玲奈、行くぞ」
すぐに隆太が玲奈を立ち上がらせるように腕を引っ張ったが、彼女は呆然としたまま動こうとはせず――その目からは、とめどなく涙が溢れて地面にポタポタと染みを作った。
「――くそッ」
その様子にもう一度舌打ちした隆太は、再度手を振り上げた――。
「もうよせよ……!」
だが、貴樹が後ろから咄嗟に手を伸ばし、隆太の手を掴んで引っ張ると、隆太は玲奈の腕を離して貴樹を睨む。
「しつこいな。邪魔するな……!」
「……
「しつけだよ、しつけ。出来損ないの娘に親が手を出して何が悪い」
開き直る隆太に、貴樹は「ふぅ」と息を吐いた。
(貴樹……怒ってる……)
少し離れて後ろから見ていた美雪は、貴冷静に見えても、貴樹が本気で怒っていることに気づいていた。
美雪ですら、貴樹が怒るのを見るのは久しぶりで――そう、この前に美雪が学校で襲われそうになったときですら、ここまで怒ったりはしていなかった。
「……いつの時代だよ、それ」
「ふん、ガキが知った口叩くな。……そもそもさっきも言ったが、お前には関係ない。――玲奈、立て。行くぞ」
隆太は貴樹の手を振り払って、玲奈に促すが、彼女は蹲ったまま首を振る。
「……嫌。……お母さんと離婚したとき、もう会わないって約束したでしょ……」
その言葉に、隆太は玲奈を睨みつける。
「約束なんて知らんな。いつの話だよ」
「そんな……」
そこでようやく貴樹にも背景が徐々に理解できてきた。
恐らく、この男は以前に母親と離婚していて、別々に住んでいるのだろう。
そして、街で偶然にも玲奈を見かけた、ということか。
となると――。
「……待てよ。これ以上
貴樹が割り込むように声を掛けると、ぴくっと隆太は目を細めた。
「ち……。お前の名前と顔は覚えたからな。次会ったらどうなるか、わかってるだろうな?」
(……なんかゲームか小説の悪役の台詞まんまだな……)
隆太の台詞に、貴樹はそう思って心のなかで苦笑いする。
貴樹が「ほざいてろ」とだけ返すと、隆太は相当イライラしていたのか、肩で風を切ってその場を後にした。
◆
「玲奈、大丈夫……?」
美雪が蹲ったままの玲奈に声をかけると、まだ涙で目を腫らしたまま、小さく「うん……。ありがとう」と返した。
そっと手を取って立ち上がらせると、無言で汚れたスカートを手ではたく。
「さっきのが玲奈のお父さん?」
「……小学校のときまでだけどね。ゴミクズみたいな男。家ではお酒飲んで母さんや私に怒鳴ってばかり。自分は天才だなんて自慢してたくせに、仕事で横領して、クビ。それで母さんと離婚したんだよね」
「そうなんだ……。ごめん、嫌なこと聞いて」
美雪が謝ると、玲奈は少し落ち着いたのか「ふっ」と笑った。
「ううん、良いの。離婚してお母さんから引っ越しするよって聞いたとき、胸がすーっとしたもの。ざまあみろって。……言葉悪いけどね、あはは」
玲奈の話を聞いていて、美雪はなんとなくこれまでの話が繋がってきたような気がしていた。
「え、それじゃ、玲奈が中学で引っ越したのって、そのせいだったの? ……もしかして、小学校のとき――」
それ以上は聞かなかったが、玲奈と話をしたときに『八つ当たり』と言っていたのが頭に残っていて。
そういうことなのかもしれない、と思った。
「……それは秘密。さっきも言ったとおり、私が弱いだけよ」
吹っ切れたようにそう言う玲奈に、美雪は呟いた。
「ううん……。私から見たら、玲奈のほうが……ずっと強いって思うよ」
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