30~39

第30話 ……べ、別に隠してないし?

 それから1時間ほど、美雪は自分よりも大きな抱き枕を充分に堪能したあと、体を起こした。


「んんー、満足満足」


 ベッドの上に座ったまま、背中を反らして伸びをしながら、美雪は満足げに呟く。


「もうこんな時間か」

「だねー。ちょっと残念」


 美雪は立ち上がると、貴樹の手を取って同じように立ち上がらせる。

 そして、ぐいっと引っ張って引き寄せると、ギュッと抱きついた。


「じゃ、私帰るね。……また明日」

「おう」


 名残惜しいが仕方ない。

 美雪が上を向いて目を閉じると、それを察した貴樹が軽くキスをした。


「……ん、ばいばい」

「じゃあな」


 少し頬を染めたまま美雪が小さく手を振って部屋を出ていくのを、貴樹はじっと見送る。


 ドアが閉まるのを見届けたあと、貴樹はもう一度ベッドに腰掛けて天を仰ぐ。


「……俺、もうそろそろ理性が限界だよ」


 それが今の素直な心境だった。


 ◆


「あー、私……ヤバいかも……」


 自室に戻った美雪はコート姿のまま椅子に座ると、勉強机に突っ伏して、火照った頬をそのひんやりとした天板で冷やす。

 今はその冷たさが気持ちよかった。


 もっと甘えたいし、いつまででも側にいたい。


 昨日付き合うことになってからというもの、彼の顔を見ていると自分が抑えられない。

 これまでずっとずっと我慢してきたのだ。

 その壁が急になくなって、ブレーキが壊れたように、歯止めが効かなくなってしまっていることを自覚する。


「……親しき仲にも、って言うけど……今は無理だよ……」


 さっきまで顔を合わせていたばかりなのに、もう会いたい。

 でも、我慢しなくては。


 両側の頬を冷やして少し落ち着くと、美雪はコートを脱いで部屋着のフリースに着替えた。


 ◆


 翌朝――。

 少しでも早く会いたくて、いつもよりも20分ほど早く、美雪はこっそりと彼の部屋に忍び込む。

 とはいえ、一応ノックはした。それは最低限のマナーだ。……聞こえないほど軽くだけれども。


「ふふふ……」


 しっかりメイド服を着込んできた美雪は、コートを脱ぐと、まだぐっすりと寝ている彼の横に、起こさないようにそーっと潜り込む。


(あー……気持ちいい……)


 自分の部屋を出て、一度外の冷たい風に当たったあとだから、その温もりが尚更ありがたい。

 そして、まだ時間が早いこともあって、しばらくぼーっと彼の寝顔を眺めていた。


 ――。


 ……ピピピ……ピピピ……!


 部屋にアラームが鳴り響く。

 その音で目を覚ました貴樹は、手を伸ばしてアラームを止めようとして――。

 驚いた声を上げた。


「――おわっ! み、美雪っ!」


 すぐ自分の横に、爆睡している彼女がいたからだ。しかもメイド服姿で。


「……ん……? あ……貴樹、おはよう」


 眼鏡越しに寝ぼけ眼で貴樹の顔を見ながら、美雪が呟く。


「い、いつからいたんだよ。全然気づかなかった……」

「……んー? ついさっき?」


 言いながら時計を見て――美雪は目を見開いた。


「――ふわっ! もうこんな時間⁉︎」


 しばらくして彼を起こそうと思っていたのに、その間に自分が寝落ちしていたことにようやく気づく。


「もう急がないと時間ないぞ。俺、顔洗ってくるから」

「うん。……ごめんっ!」


 急いで着替えを持って出ていく彼のすぐあと、美雪もコートを羽織って部屋を飛び出した。


 ◆


「やー、びっくりしたー」


 駅への道を歩きながら、美雪は悪びれもせずに言う。

 これまでのように彼の前を歩くのでも、後ろを着いていくのでもなく、並んで歩調を合わせて。


「起こしに来てそのまま寝るとか、ミイラ取りじゃねーかよ」

「まあまあ。遅れてないんだから、文句言わないの」

「美雪は家だと目覚まし掛けてんの?」

「うん。……無いと起きれないし」


 そりゃそうかと、貴樹は心の中で思う。

 このところ勝手に入ってきては好きに寝ている美雪を見ていると、それまで持っていたきっちりとしていたイメージは崩れていた。


「意外だったよ。案外、寝るの好きなんだな」

「……あはは、バレた? 私、眠気にはちょっと弱いのかも」

「ちょっと、ってレベルじゃなくないか?」

「そ、そうかな……? ま、まぁ、貴樹よりはマシだと思うし、そんな細かいこと気にしたらダメ」


 このところ繰り返した失態を思い返しながら、美雪は苦笑いをしながら弁明した。


 ◆


「おっはよーう!」

「おはよう、亜希ちゃん」


 学校に着くと、亜希が声をかけてきた。

 相変わらず朝から元気だ。

 美雪がロッカーに荷物を置いて席に着くと、すぐに亜希が寄ってきた。

 そして、耳元でこそっと囁く。


「おめでとう、かな?」

「――え? なに……――っ!」


 美雪は一瞬なんのことかと思ったが、ハッとして亜希の顔を見た。

 その顔はなにやら含みのあるような表情で。

 ……にんまりと笑っていた。


(――ま、まさか……!)


「にっひっひ。見ーちゃった」


 そう言いながら、スマートフォンの画面に一枚の写真を表示させ、美雪の眼前に差し出した。

 それは紛れもなく、彼に手を引かれて笑顔を見せている自分の写真だった……。


(いっ、いつの間に――っ!)


 心の中で叫びながらも、なんとか声を出すのは耐える。

 背景をよく見ると映画館の前のようだ。

 確かにあのときは浮かれていて、周りのことなんて全く気にしていなかった。


 しかし、美雪は必死で落ち着かせて、平然とした顔で答えた。


「……べ、別に隠してないし? 幼馴染なんだし、手くらい繋いでも……」

「ふぅん……。じゃ、コレは?」


(まだ何か……?)


 戦々恐々としながら、スマートフォンを操作する亜希を見ていた。

 次に映し出されたのは、歩道を歩く自分たちの写真。デートの帰りだろうか。

 それだけなら普通だが――美雪が彼の腕をしっかりと両手で掴み、抱き寄せていることを除けば。


「…………」


 もう何も言えず、美雪は青い顔をして黙った。

 完敗だった。


「よかったね、美雪ちゃん」

「…………うん」


 いや、さっき言ったとおり、別に隠してはいない。

 とはいえ、こんなに早くバレてしまったことに関しては、ただただ驚きを隠せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る