第25話 ……もう疲れちゃったよ

 土曜日、貴樹は朝ゆっくりと10時ごろに起きると、私服に着替えて部屋を出た。

 そしてすぐに隣の美雪の家のチャイムを鳴らす。


「はーい」


 インターフォンから可愛らしい声が聞こえた。

 美雪の母の雪子だ。


「こんにちは。貴樹です」

「貴樹くん、久しぶりねー」

「ご無沙汰してます。美雪はどうですか?」


 貴樹が聞くと、雪子が答えた。


「美雪ねぇ、さっき出かけたのよ。てっきり貴樹くんのところに行ったんだと思ってたんだけど……違うの?」

「え? ええ……。うちには来てませんけど……」

「あら……どうしたのかしら」


 どうやら美雪は家にいないようだ。

 ということは、風邪は良くなったということかと、それには少し安堵した。


「わざわざごめんね。電話してみてくれる?」

「はい。ありがとうございました」


 貴樹は自分の家の玄関に戻って、美雪に電話をかけてみた。


『……この電話は、電波の届かないところに……』


 しかし、繋がらない。

 電波が届かないような場所はそうないだろうから、電源を切っているのだろうか。

 仕方なく、一度自室に戻った。

 午前中まだ時間があったことから、週末の宿題を先に済ませておこうと勉強机に向かう。

 美雪のことが気になって、なかなか集中できなかったが、なんとか昼までに終わらせることができた。


 昼にもう一度電話をかけてみる。

 しかし、またしても繋がらなかった。


 この3日間、メールのやり取りはしていたけれど、美雪の顔を見ていなかった。

 なんとなく、このままもう二度と会えないような気すらしてきて、居ても立っても居られず、貴樹は家を出た。


 特に予定もない1日だったこともあり、もしかしたらどこかでばったり会うかもしれないと、彼女が行きそうな場所をふらついてみることにした。


(どこ行ったんだ、美雪のやつ……)


 貴樹は時折電話をかけてみては、繋がらない電話に不安を募らせる。


 美雪が普段買い物に行く駅前の店を回ってみても、いない。

 ひとりで行くとは思えないながらも、亜希のバイト先のメイド喫茶も見てみたが、当然いなかった。


 15時ごろ、一度雪子に電話をしてみたけれど、家にも帰っていないようだった。


 ――そろそろ日が傾いて、一段と寒さが増してくる時間。


 何事もなくふらっと家に帰ってくるのかもしれないが、貴樹にはどうしてもそう思えなかった。


 闇雲に探しても見つからないと思った貴樹は、少しでもなにか手掛かりがないか、考える。


(美雪はそもそも風邪だったのか……? 3日も休んだあと、すぐに長時間出歩くか?)


 自分が風邪を引いたとき、治った翌日にせっかくの休みだからと遊びに行こうとしたら、美雪に「バカじゃないの⁉︎」と説教されたのを思い出す。


(変といえば……玲奈と会ってからか)


 先週、ケーキバイキングの帰りに玲奈の顔を見て、美雪は過呼吸で倒れたのだ。

 そして玲奈が隣のクラスとはいえ、同じ学校に転校してきて――。

 その翌日から、美雪の様子がおかしかったような気がした。


(まさか……休んだのは玲奈に会いたくなかったからか……?)


 その可能性は十分に考えられた。

 それほど、美雪にとって玲奈は禁忌なのだ。


 ――なにしろ、美雪をため池に突き落としたのが彼女なのだから。


 貴樹はそこまで考えて、まさかとは思いながらも、ひとつの可能性に思い至る。

 季節は違うけれど、あのときもこんな時間だったな……と思いながら、貴樹は走った。


 ◆


「――美雪!」


 冬枯れの雑草が生えた土手に座り込み、ぼーっとフェンス越しにため池を眺めていた美雪を見つけた貴樹は、息を切らしたまま声をかけた。


「……ねぇ。ここってフェンスができたの、私が落ちたからって知ってる?」

「ああ……。ニュースにもなったからな」


 背後に立った貴樹には振り返らずに美雪は聞いた。

 4年前、美雪が突き落とされたため池は、落ちたら大人でも這い上がれないということがわかり、程なくフェンスに覆われる工事が行われた。


「よく……ここがわかったね」

「まさかとは思ったけどな。……もしかしてって」

「……うん。やっぱり、私の思った通りだった」


 そこで初めて美雪は彼のほうを振り返った。

 その顔を見て、貴樹ははっと息を飲む。

 作ったような笑顔ではあるものの、目の下には隈ができていて、たった数日会っていないだけなのに、ひどくやつれたように見えた。


「美雪……」

「あはは、酷い顔でしょ? ……あれから、どうしても寝られなくて。寝ようとすると浮かぶの。あの時のことが」

「…………」

「……考えないようにしようって思えば思うほど、消えてくれなくて。そのうち起きててもそればっかり。……もう疲れちゃったよ」


 目に涙を溜め、辛そうな顔で苦笑いする美雪を見ていられなくて、貴樹は何も言わずに彼女の隣に座り込んだ。


「だからここに来たの。……不思議だよね。夢だとあんなに怖いのに、来てみたらただの見慣れた池なんだもん」

「そうだよな……」

「でも……目を閉じたらやっぱり怖くて。また夜が来るんだって思ったら怖くて怖くて……。いっそのこと、飛び込んだら楽になるかなって考えたりもしたけど……そんなことできるわけないし……」


 そう吐露しながら、美雪はため池の方に視線を戻して、大粒の涙を溢した。


「……もう、どうしたらいいか……わからないの」


 ◆


 挿絵を以下に置いています。


https://kakuyomu.jp/users/naganeshiyou/news/16817330668548303357

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