第22話 そ、そっかぁ……

「ん……」


 小さな声とともに、美雪はゆっくりと目を覚ました。

 視界がぼうっとして、色以外の情報はほとんど何も入ってこない。眼鏡がないと、本当に何も見えない。

 ただ、ここがどこかはすぐわかる。

 自分の部屋と同じくらいか、もしかしたらそれよりも落ち着く場所。彼の部屋だ。


「――美雪、大丈夫か?」


 耳元で大好きな彼の声が響く。

 起きて一番最初にその声が聞けることが嬉しい。


「う……うん……」


 体を起こそうとするけど、まだ重たい。

 ――そうだ。

 お腹いっぱいケーキを食べたからだ。

 ということは、まだそれほど時間が経っていないのか。


 美雪は重い体を起こして、ベッドに座った。


「急に倒れたから心配したよ。今はどうだ?」


 ぼやっとした視界の中から、はっきりと見える距離まで彼の顔が近づく。

 いつもの軽い調子じゃなくて、真剣な眼差しだ。


「私……なんで……?」


 レストランを出て、帰ろうとしてたはず。

 なぜ気づいたら貴樹のベッドで寝ているのか。


 必死で記憶を辿っていくと、美雪はハッと思い出した。

 思い出した途端、胸がドクンと悲鳴を上げる。


「あ……」


 そうだ。

 あの子が……いたからだ。


玲奈れな……」


 つい、その名前を口に出してしまう。

 そのとき、また意識がふわっと離れていくような感覚が美雪を襲った。


「お、おい……!」


 ベッドに倒れそうになる体を彼の腕が支えてくれて、なんとか倒れずに済む。

 自分が折れてしまいそうになったときに、いつも側にいてくれた彼。


「……ごめん。貴樹にお願いがあるの。……少しの間でいいから、そのままギュッてして」

「美雪……」


 貴樹は少し躊躇していたが、潤んだ美雪の目を見て小さく頷くと、彼女の背中から包み込むように細い身体に腕を回した。


「ありがとう。安心するよ……」


 いつもの美雪なら、彼とこうして触れ合っていると緊張するだろう。

 ただ、今はそれ以上に護ってくれている気持ちが大きくて、心の底から安心できた。


「大丈夫か?」

「うん。……たぶん、もう大丈夫」


 ふぅ、と美雪が息を吐く。

 胸の動悸は収まっていた。

 それに安心したのか、貴樹も彼女から体を離そうとして――。


「あ、待って。もうちょっとだけ……」


 美雪は彼の腕を掴んで、強引に自分の体に巻きつけた。

 落ち着いたとともに、せっかく彼が抱きしめてくれているのだからと、もう少し堪能したくなってしまったのだ。


「まぁ、良いけど。……玲奈のヤツ、戻ってきてたんだな。確か、九州のほうに引っ越したって聞いてたけど」

「うん。ビックリした。でも、どうして私ここに?」

「過呼吸……ってヤツか? 救急車呼ぼうかって思うくらいだったけど、しばらくしたら落ち着いたっぽいから、背負って帰った」

「え……」


 駅前からここまで、いつも通学してるけど結構な距離だ。

 その間、意識のない自分をずっと背負って帰ってくれたのか。


「そのままにはしとけないだろ?」

「うん。……本当にありがとう」


 美雪は彼の腕に頬を擦り付けて礼を言ったあと、そっと彼の腕から手を離した。

 それとともに、貴樹も美雪から体を離す。


「ほら、眼鏡」

「うん」


 机に置いていた眼鏡を手渡すと、美雪はそれを掛けてから笑顔を見せた。

 これならもう心配ないだろうと安心する。


「えっと、まだ2時半かぁ……」

「そうだな。寝てたの30分くらいじゃないか」

「んー、まだお腹重たいし、このまま昼寝させてもらってもいい?」

「まぁ良いけど。俺のベッドは美雪の昼寝用かよ」

「あはは、寝心地いいんだよね。このベッド」


 そう言いながら美雪はベッドに寝転がる。

 そして、布団から片手をちょいっと出して手招きした。


「ほらほら、おいでよ。どうせやることないでしょ?」

「食べて寝ると太るぞ?」

「そのぶん、しばらく控えめにすれば大丈夫だよー」

「へいへい」


 呆れながらも、貴樹は美雪の手招きに応じて、横に並んで寝転がる。

 これまで彼女に温められていた布団が気持ちいい。


 そして、なぜか横から顔に突き刺さる視線を気にしつつ、貴樹は大きく深呼吸して目を閉じた。


 ◆


「オッス、陽太」

「ああ、おはよう」


 月曜日、いつものようにふたりで登校していると、駅のホームで陽太と顔を合わせた。


「でさ、見たよ。写真」

「え、マジか。もう載ってるの?」

「そりゃ土曜日のことだからね。ほら……」


 陽太がスマートフォンを取り出して、一昨日行ったレストランのSNSを開いた。

 そこには、ばっちり肩を抱かれた美雪と、顔を寄せる貴樹の写真と名前。コメントには「初々しい高校生カップル、ご来店いただきました!」と書かれていた。


「――美雪、載ってるみたいだ」

「え、ホント?」


 貴樹が美雪を呼び寄せて、陽太が画面を見せた。


「うっわ……! はずい……」


 写真を見た途端、美雪は両手で顔を押さえて真っ赤になっていた。

 その様子を見ていた陽太が話しかける。


「なぁ、なんでふたり付き合ってないんだ? そのへんのカップルなんて目じゃないくらい、一緒にいるじゃん?」

「――え……?」


 唐突に聞かれた美雪は固まった。それはもう見事に、ピクリとも動かない。


 ――きっかり1分後。

 急に金縛りから解けた美雪は、ぎこちない口調で貴樹に聞いた。


「な、なんでって……。なんで?」

「……それ、俺に聞いて答えわかると思うか?」

「じゃ、じゃあ誰に聞いたらいいのよ?」

「……自分に聞くしかないんじゃね?」

「そ、そっかぁ……。なるほどなるほど……」


 彼からは答えが得られずに、今度は腕を組んでひとり唸り始めた。

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