第15話 ……起きてる?
ごくり……。
美雪は彼がケーキを口に運ぶのを緊張した面持ちで見守っていた。
そして、貴樹はその視線を感じながら最初の一口を食べて、小さく頷いた。
「へー、普通にうまい」
それを聞いて、美雪はホッと胸を撫で下ろしつつも半信半疑で聞いた。
「ほ、ほんとに⁉︎」
「美雪に嘘ついてもすぐバレるだろ? ……自分で味見してないのか?」
「う、うん……」
そういえば、確かにまだ自分で食べてみていなかった。
呆れた顔の貴樹は、一口ぶんをフォークに刺して、美雪に差し出した。
「ほら、食べてみろよ?」
「え、あ……うん」
一瞬戸惑ったが、美雪は素直にそのケーキをかぷっと食べた。
「どう?」
「うん。ちょっと甘み少ないかもだけど、ケーキっぽい」
「なんだそれ」
貴樹は笑いながらも、ケーキが刺さっていたフォークを無意識に口に含んで、残った生クリームを舐め取った。
(あ……それ、私が舐めたフォーク……)
じっとその様子を見ていた美雪は、そのことに気づいて顔が熱を帯びるのを感じた。
そういえば、自分も彼が食べた後のフォークそのままで、ケーキを口に入れたことに気づく。
彼と間接キスなんて、何年ぶりだろうかと思うと、記憶にないほどだ。
(……って、今朝、頬にキスをしちゃったし、それに比べたら……)
些細なことな気がしてきた。
そのまま貴樹が気にする素振りも見せず、ケーキを食べ切るのをぼーっと眺めていた。
「俺はこのくらい甘さ控えめの方がいいよ。売ってるのは甘すぎるから」
「うん、ありがとう! 参考にするねっ」
貴樹の感想に、美雪は満面の笑顔で応えた。
◆
「よかったー」
美雪は夕食後、ベッドに寝転がって、まだ興奮していた。
家に帰ってすぐ、雪子に「『次は私を食べてー』って言えばよかったのに……」とか言われたけど、そんなことができればそもそもこんな苦労なんてしてない。
手作りのケーキを美味しいと言って食べてくれただけで大満足だった。
「明日からも頑張るぞー」
そう誓って、美雪はベッドから起きると、着替えを持ってお風呂に向かった。
◆◆◆
それから数日経ち、ちょうど期末テスト前の期間に入った。
テスト期間の美雪は普段以上に忙しくなる。
自分の成績は落とせない。
それは維持したまま、少しでも貴樹の成績を上げるために時間を使うからだ。
だから、テスト期間は連日遅くまで、貴樹の部屋で集中講義が開催されるのが日常だった。
「ほら、またそこ同じ間違い! 一度間違えて覚えると修正するの大変だよっ!」
美雪は自分の勉強もしながら、目の前で問題を解いていく貴樹の解答を見て、すかさず指摘をしていく。
期末テストは教科数も範囲も広いから、時間がなくて大変だった。
「あ、もうこんな時間……」
美雪が時計を見ると23時を回っていた。そろそろ自分の家に帰らないといけない。
「あとはちゃんと復習しなさいね。また明日も来るから」
「おう。任せてくれ」
「やる気だけは認めてあげるわ。……それじゃ」
「またな。おやすみ」
美雪は帰ると急いで服を脱いでお風呂に入る。
どんなに忙しくとも、お風呂はゆっくり入るようにしていた。
特にこの寒い時期はなおさらだ。
「ふー。今日も疲れたー」
温かい湯船に肩まで浸かって、大きなため息をつく。
彼に言われてから、毎日6時間寝るようにしていたが、テスト期間中は別だ。
このあともギリギリまで勉強をしてから寝ようと思っていた。
ただ、今はお風呂で疲れを癒したくて――ゆっくりと目を閉じた――その一瞬で美雪は眠りに落ちていた。
◆
……
…………。
――だれか助けて!
それは二度と思い出したくなかった記憶。
――痛いよう……。
苔むしたコンクリートを必死で掴もうとしたけれど、何度も手を滑らせて、膝も手も擦り傷だらけだった。
――苦しい……。
這いあがろうとしても、すぐに滑ってはまた水の中に落ち、何度も水を飲んだ。
ああ……。あの時の夢か。
美雪は夢を見ながら、自分で夢を見ていることを認識した。
ただ、目を背けたい夢だったにも関わらず、自分の意志ではどうすることもできなかった。
小学校6年の夏休みのあの日のことだ。
あの頃、美雪はクラスで虐められていた。
運動が苦手で、自分に自信がなくて。
勉強は好きだったからテストの点は良かったけど、それだけ。
なまじ成績が良いだけに、周りからはいつも冷たい目で見られていて、いま思えば虐められるのも当然と言えば当然だった。
でも――隣に住む貴樹だけは、そんな自分を気にかけてくれ、いつも庇ってくれていて。
――ただ、その日、彼はいなかった。
プールからの帰り、いつも自分を虐めていたクラスの子に突き飛ばされ、美雪は淵のコンクリートを滑って、ため池に落ちた。
突き飛ばしたその子はそのまま帰ってしまった。きっと怖くなったんだと思う。
美雪はひとり必死で這いあがろうとしたけれど、淵のコンクリートには苔が生えていて、滑って這い上がれなかった。
何度も何度も何度も――同じことを繰り返す。
落ちては汚れた水を飲み、もともと少ない体力が失われていく。
途中、助けを求めて叫んでみても、その声は誰にも届かなかった。
――もう限界。
そう思ったとき、ぷつんと糸が切れたように、意識がなくなった――。
◆
「――はあっ! はあっ!」
美雪は荒い息をしながら、ハッと湯船から顔を上げた。
お湯で濡れているのか、汗なのかもわからないけど、額から嫌な汗がだらだらと流れているように感じた。
「最悪……」
お風呂の中なんかで寝てしまうものじゃない。
水繋がりで、夢に見てしまったのだろうか。
思い出したくないあの時の恐怖は、しかし未だ美雪の頭の奥底にこびりついていた。
「貴樹……」
自分は意識がなかったけれど、あのときなかなか帰ってこない自分を心配した貴樹が、わざわざ探してくれたと後から聞いた。
それで自分は一命を取り留めた。
そのとき、自分が変わらないといけないと気づいた。これ以上、彼に迷惑はかけられない。
こんな自分だと、そのうち愛想を尽かされる未来しかないと。
這いずるようにお風呂を出た美雪は、まだ彼の部屋に灯りが点いているのを見た。
ひとつ心に決めて、ゆったりとしたパジャマを着ると、もう一度彼の家に向かう。
普段はあまり使わないようにしているけれど、家族同然の美雪は合鍵を預かっていて、自由に出入りができた。
その鍵で玄関を開けて、彼の部屋の扉をノックする。
「……起きてる?」
「どうしたんだ? 忘れ物?」
「ううん。……貴樹の顔が見たくて」
テスト勉強を続けていた彼にそう話して、部屋に入れてもらう。
そして、いつものように彼のベッドに腰掛けた。
「あのね……あの時のことを思い出しちゃって。怖くて寝られそうにないの……。だから……今晩だけ、一緒に寝て欲しいの……。お願い……」
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