ももんがの毛

Tempp @ぷかぷか

第1話 モモンガの毛

 ぱちんぱちん。

 小さな柏手が響く。

「かみさまかみさま、ぼくにかみのけをください」


 清麗な冬の早朝、声に気づいて雲のすき間から見下ろしてみると、掌を広げたくらいの大きさのモモンガが目をつぶってなむなむと呟いた。

 モモンガはそろそろと目を開けて、きょろきょろと周りを見て落胆し、またぱちんぱちんと手を叩いた。

「かみさまかみさま、ぼくにかみのけをください」

 そしてまた、なむなむと呟いている。


 わしの祠は放置されて久しい。もちろんモモンガが参りに来ること自体も初めてだが、その賓客はなにやら必死で、面白かった。

『これ、お主。なぜ髪の毛がほしい』

 モモンガは、ひゃあ、といってころりと後ろに倒れた。

『大事ないか』

「は、はい。だいじょうぶです。あの、かみのけがほしいのです」

 モモンガは自らの頭を指し示す。頭頂部の毛はすでになく、ペトリと頭の脂がかたまっていた。


『そなた、雄であろう? 雄は臭線があるものだから、毛がなくなるのは致し方あるまい?』

 モモンガは頭をぺちぺち叩きながら言う。

「そうなのですが、わたしはもてないのです。ほかのおすとなにか、においでもちがうのでしょうか。もてないなら、かみのけをもとにもどしてほしいのです」

 そう言って、そのモモンガはフンフンと頭の脂を引っ張りはじめた。わしには自分でうぶ毛を抜いているようにしか見えぬ。

 その様子はなにやらやぼったく、もてないだろうな、と思わせた。


『それならば、もてるようにしてほしいとか、別に願うべきことがあるのではないか』

 モモンガはその小さな首を傾げた。

「あなたはかみさまではないのですか? かみさまでないとかみははやせないですよね」

 うん? 

 まあ、暇な神でもなければわざわざモモンガの頭に毛をはやそうとはしないだろうよ。

 モモンガはまた頭頂をぺちぺち叩きながら、はあー、と白いため息をついた。

 なんだか小馬鹿にされているような、奇妙な気分になった。


『神といえば、神である』

「それなら、かみのけをはやしてもらえないでしょうか」

 ごそごそと頬袋から小さななにかの実を出す。

 モモンガは今度はひげをひっぱりながら、上を向いたりきょろきょろと見回しながら呟く。

「おれいです。とてもおいしいです」

 なにかものすごく得意そうな表情だが、べとついた実を持つ手はぷるぷるしていて、またきょろきょろと辺りを回し、スンスンと実のにおいを嗅いで、残念そうに顔から離す。

 ずいぶん未練がありそうだ。

 正直、いらぬ。

 だがわしのところに願掛けをするものなど久しいな。たわむれに、目の前のモモンガの遺伝子情報を少し改変する。


『実はいらぬが、そなたの願いは叶えよう。3日もすれば毛は生えてくるはずだ』

「ほんとうですか、ありがとうございます」

 礼を言う前に実は口の中に収められたものだから、その礼はもごもごと曇って聞こえた。

「あっでも、かみさまのはなしをきいたときに、おれいをするようにききました。どうしましょう」

 モモンガは口の中にいれた実を出そうとし、また引っ込める。

 礼と言われてもな。その小さな手にできるものも思い浮かばぬ。

『そもそもわしには欲しいものなどないし、そなたにできることもないだろう?』


 なぜか、その言葉は俄然モモンガのやる気に火をつけたようだ。

 小さな目にメラメラと闘志が燃え上がった。

「そこまでいわれると、ももんがのこけんにかかわります」

 おお、難しい言葉を知っておるものだな。

 妙に感心した。しかし、そもそもわしに欲しいものなどない。


『物を積めば願いが叶うと思われるのも不本意だ。不要なものを持ち込まれても迷惑である。用が済んだなら去るがよい』

「そうですか、たしかにかみさまですものね」

 モモンガはそう言いながら、ひどく残念そうにとぼとぼと立ち去った。

 その背にはなにやら哀愁すら漂っている。

 願いはかなえたのに、解せぬ。


 そんなことをすっかり慮外においていた10日ほど後、またぱちんぱちんと音がした。

 清爽な早朝、見下ろすと、いつのまにやらうっすらと雪がつもっていた。

 その中で小さな足跡をつけながら、くだんのモモンガがきょろきょろとまわりを見渡していた。

「かみさまかみさま。おれいにきました。すこしけがはえました」

 よく見ると、たしかに少しだけ毛は増えているようだった。

 ただ、想定より少ないな。

 見るともなく見ていると、小さな手で何か栗色のものを差し出した。


「かみさまですから、かみがいいとおもって、おれいにもってきました。はやしていただいた毛です」

 わしは神様ではあっても髪様ではないのだが。

 ……所詮はモモンガか。

 願った毛を自分で抜いてどうする。

 しかしその表情はひどく満足そうでもあった。


 成長した雄のモモンガの頭頂の毛が抜けるのは世の理でもある。

 これはこれでうまくおさまったのかもしれない。

 まぁ、良き哉、良き哉。

 それから、そのモモンガの寿命がつきるまで、祠には定期的に栗色の毛がささげられた。


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