第43話 奇跡みたい

 大沢先生が、『この子はピュアピュア』の歌の編曲を手伝った。


 もちろん、そんなこと思ってもみなかったから、これにはすっごくびっくりした。


 いったいどしてそんなことになったのか。聞いてみると、大沢先生はその経緯を話してくれた。


「休み時間に、有馬君が譜面を見ながらノートに色々と書き込んでたの。文化祭前だったし、最初はそこで弾く曲かなって思ったんだけど、よく見たら全然知らないやつだったのよね。それで、いったいどうしたのかって聞いてみたら、これをベースで弾けるようにしたいんだって言ったの」


 そこまで話したところで、ユウくんは照れくさそうに笑って、大沢先生にお礼を言う。


「あの時は、手伝ってくれてありがとな」


 もちろんそれは大沢先生には聞こえないけど、それでも、言わずにはいられなかったみたい。


 それにしても、今の話を聞いていたら、色々気になることがあるんだけど……


「あ、ありがとうございます。あの、けどそれって、文化祭前だったんですよね。それって凄く大変……って言うか、迷惑だったんじゃ?」


 ベースで弾けるように編曲する。

 なんて一言で言っても、簡単なことじゃないよね。


 ベースで出せない音を変更するのはもちろん、曲のイメージを崩さないようにするためには、細かい調整や思い切ったアレンジも必要になってきそう。


 ユウくんも大沢先生もそんなことしてたんだ。


 それに、たとえ曲ができたとしても、弾けるようになるには、当然時間をかけて練習しなきゃならない。

 けど、文化祭前ってことは、もちろんそれに向けての練習だってしているはず。


 ユウくんは、そんな文化祭に向けての練習とは別に、『この子はピュアピュア』歌の練習までしてたってこと?


「私は、いつもと違うことができて楽しかったわ。それに有馬君だって、二倍頑張るから大丈夫だって言ってたわよ」

「それって、二倍頑張らなきゃだめだったってことですよね」


 ユウくんがどれだけ練習してたのかは知らないけど、ものすご〜く大変だったろうなってのは、簡単に想像がついた。


「お前なぁ……」


 うぅ……

 三島も呆れ顔で私を見るけど、無理ないよね。


「ユ、ユウくん、本当はすごく迷惑だったのかも。それに、『この子はピュアピュア』の歌の編曲頼むのって恥ずかしかったんじゃ……」


 独り言みたいに呟きながら、ユウくんに向かって小さく頭を下げる。


『この子はピュアピュア』は、どっちかっていうと、小さい女の子向けのアニメ。

 同級生にその歌の編曲を頼むのって、男子高校生としては恥ずかしいんじゃないかな?


「わ、私、なんてことを……」


 改めて、当時の自分がいかに考えなしだったかを思い知って、頭を抱える。

 大沢先生がいなかったら、今すぐここで土下座して謝りたいくらいだ。


 だけどそこで、ユウくんがそんな私に向かって優しく言う。


「俺がやりたいからやったんだ。もしきついと思ったら、後に回してたよ」


 そして大沢先生も、ユウくんの声は聞こえていないはずなのに、まるでそれを引き継いだみたいに言った。


「有馬君がやりたいって言ってたんだから、あなたが気にすることは無いわよ。実際、編曲も練習も、凄く楽しそうにしてたわ。あと、特に恥ずかしそうにもしてなかったわよ」


 それを聞いて、うんうんと頷くユウくん。


 そ、そうなの?

 でも、ユウくん優しいから、私のためを思ってそう言ってるだけなんじゃ……


 そんなことを思っていたら、そこで大沢先生は、少し寂しそうな表情を浮かべて声の調子を落とした。


「実はあの頃の有馬くん、何だか普段は少し元気が無いようにも見えたの。笑っていても、どこか無理してるみたいだった」

「えっ……」


 静かに告げられた言葉に、私も思わず、緊張した声をあげる。


 ユウくんに元気がなかった。

 その頃の私は、そんなことになっているなんて気付きもしなかった。


 だけど、今ならその理由もなんとなくわかる。

 ユウくんの両親が揉めていたのが、ちょうどその頃。

 さっきの話を思い出すと、実際は、少し元気が無いなんてもんじゃなかったと思う。


 大沢先生、ユウくんのそういう事情、どこまで知ってるのかな?


 少し気になったけど、大沢先生は、しんみりした空気を再び変えるように言葉を続ける。


「だけどね、私達と一緒に部活をやっている時や、あなたの事を話している時は違ったの。その間だけは、本当に心から楽しんでいるように見えた。まあ、全部私の想像なんだけどね」


 それを聞いたユウくんは、何も言わなかった。

 だけど、大沢先生を見たまま、優しそうに微笑んでいる。


 それを見て、なんとなく、大沢先生の言う通りなんだろうなって思った。


「結局、文化祭を迎える前に有馬君は亡くなったけど、藤崎さんにこの曲を聞かせることはできたのね。本人からは何も聞いてないから、てっきり聞かせられないままだと思っていたけど、違ったんだ」

「えっと……そ、そうですね」


 本当は、大沢先生が思ってた通り、ユウくんは私に曲を聞かせることなく亡くなってしまって、私は今日まで、練習してたことだって知らなかった。


 もしもこれを大沢先生に話したら、さらに、ユウくんが幽霊になってここにいて、私に取り憑いて演奏してましたなんて言ったら、いったいどんな顔をするだろう?


 そんなのを想像すると、今ユウくんがここにいるのが、本当にすごいことだと思った。


 幽霊になるってのは、決して良いことじゃない。

 三島はそう言ってたし、私だって、幽霊に対してそんなイメージはある。


 けど再びユウくんの出会えたのも、こうして演奏を聞けたのも、私にとっては、まるで奇跡みたいに思えた。

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