第42話 約束の演奏
ユウくんが取り憑いたからって、その瞬間、今まで見えていた景色や聞こえてくる音がガラッと変わるわけじゃない。
その辺は、さっきまでとまるで一緒。
だけど、体の自由に限って言えば全然違った。
自分の体のはずなのに、指一本だって私の意思じゃ動かすことができない。
今、この体を動かす主導権は、私じゃなくてユウくんにあった。
「どうだ、もう取り憑けたのか?」
私たちを見守っていた三島が言う。
すると、私の口が勝手に動く。
「ああ、上手くいったみたいだ」
返事をしたのは私。
ううん。正確には、私の体を操って、ユウくんが喋っていた。
「藍、疲れたり気分が悪くなったりはしてないか?」
今度は、頭の中にユウくんの声が響く。
最初に取り憑かれた時もそうだったけど、どうやらこの状態では、私たちは念じさえすれば、頭の中で話ができるようになってるみたい。
「辛かったり、嫌だって思うようなことがあったら、すぐに言ってくれ」
「わかった。けど、今はなんともないから」
ユウくんが心配するようなことは、今は何も起きてない。
三島も言ってたけど、やっぱり私とユウくんなら、取り憑いても特に問題はないみたい。
「藤崎は、なんて言ってるんだ?」
「なんともないって。少なくとも、今は大丈夫そうだ」
ユウくんの言葉に、三島もホッとする。
次にユウは、私の体を操って、手足を上下左右に振りながら、本当に自由に動かせるか確かめていた。
「どう? 動き難くなって無い?」
「ああ。目線がいつもより低いくらいかな」
私とユウくんじゃそもそもの身長が違うから、そこは仕方無い。
けどそれ以外に、特に不自由なところはないみたい。
「それで、ユウくんのやりたいことって何なの?」
今まで詳しくは聞いてなかったけど、実はずっと気になってた。
ユウくんのやりたいこと、いったいなんだろう。
それに協力できるのが、すごく嬉しい。
するとユウくんは、部室の隅に置いてある、私のベースに目をやった。
「借りてもいいか?」
「もちろん。元々ユウくんのものだよ」
むしろ私からすれば、今までユウくんから借りてたものを返すって感じがする。
ユウくんは、ケースから取り出したベースを肩にかけると、張られた弦を一本一本丁寧に確認していった。
元々の持ち主だけあって、その手つきはとても慣れていた。
「俺が使っていた頃とほとんど変わらない。大事にしてくれてたんだな」
「うーん、そうかな」
確かに、ユウくんが使っていた頃と比べても、傷や汚れはほとんど増えてないと思うけど、それって長い間使わずに部屋に飾っていたからなんだよね。
けど、おかげでほとんど当時のまま、こうしてユウくんが持つことができたんだから、それはそれでよかったのかも。
「弾くのか?」
「ああ、そのつもりだ」
三島も、ユウくんがベースをいじってるのを見て興味が出てきたみたい。
ユウくんは、それからさらに何度か弦を弾いて、音を確かめる。
「それって一人でできるやつなのか? ベースって、音域狭いだろ」
ベースは、ギターと比べて出せる音が少なくて、バンドでも主に縁の下の力持ちみたいな役割になることが多い。
だから、一人で弾ける曲ってなるとある程度限られてくるんだけど、ユウくんは笑って頷いた。
「大丈夫。ちゃんとソロで弾けるやつだ」
そう言うと、改めてベースを構えて、本格的に弾くための体勢に移る。
(いよいよ弾くんだ。ユウくんの演奏、まだ聞くことができるんだ)
ユウくんの演奏を最後に聞いたのは、もう六年も前。
もう、二度と聞けないって思ってた。
しかも、私の体に取り憑いて演奏するなんていう、とんでもない状況。
ワクワクなんて言葉じゃ言い表せないくらいの高揚感が、胸の奥から込み上げてくる。
「ユウくん、頑張って」
「ああ。それじゃあ、いくぞ」
そしていよいよ、私の体を使って、ユウくんの演奏が始まった。
ベースに繋いだスピーカーから、緩やかなテンポの、明るい雰囲気の曲が流れてくる。
同時に、自分の体が勝手に動いて、指が全く知らない動きをしているっていう、今まで経験したことのない、不思議な感覚だ状態になる。
今弾いているのかどういう曲かはわからないけど、流れる音と指の動きから、私よりもはるかに上手に弾いているのはすぐにわかった。
そばで聞いていた三島も、上手いってのはすぐにわかったみたいで、ただ音を聞くだけでなく、指の動きに見入っていた。
その時、曲の調子が、それまでとは少し変わる。
そこで私は、あることに気付く。
(あれ? これ、私の知ってるやつだ)
この曲、最初はわからなかったけど、よくよく聞いてみたら、どこかで聞いたことがある。
けれど、それが何なのか、すぐには思い出せない。
(ユウくんが、昔文化祭で弾いてた曲だっけ? ううん、違う。それよりも、もっともっとよく聞いてた気がする)
だけど、曲が進んでサビの部分に差し掛かったところで、閉じていた記憶の扉が、一気に開いた。
(あぁっ! これ、『この子はピュアピュア』の歌だ!)
思わず叫びそうになるけど、その言葉は声にはならずに、相変わらず頭の中に響くだけ。
だけどそれはユウくんにはしっかりと届いていて、僅かに口元が緩むのがわかった。
〜ねえユウくん、弾いてほしい曲があるの。『この子はピュアピュア』の歌って弾ける?〜
昔、私はユウくんにそうお願いして、ユウくんは弾くって約束してくれた。
その約束を果たす前にユウは亡くなったけど、ユウくんは今、私の体を使ってその曲を演奏している。
(ユウくん──)
この曲は、私が好きだったアニメの主題歌。
っていっても、それは昔の話で、アニメのシリーズは今も続いているけど、あんまり見なくなってからずいぶん経つ。
それでも、ユウくんが約束を覚えていて、それを果たしてくれたんだって思うと、たまらなく嬉しかった。
まるであの頃に戻ったみたいに、声を上げてはしゃぎたくなる。
けれど、驚くのはそれだけじゃない。
(これ、編曲されてる)
よくよく聞いてみると、ユウくんが弾いているこの曲は、元の曲からアレンジが加えられてて、昔聞いていたものとは少しだけ違ってる。
それも当然だ。
ベースっていうのは、さっき言ってたみたいに音域が狭くて、元の曲のままだと出せない音もあったから。
昔の私はそんな事も知らずに、無邪気に弾いてほしいなんてお願いしたけど、今ならかなり無茶を言ったんだってわかる。
(無理なら無理って、断ってくれてもよかったのに)
なのにユウくんがそうしなかったのは、私を喜ばせたかったから、なんだよね。
そう思うと、この演奏がより一層嬉しく思えた。
出来ることなら、このままずっと聞いていたい。
だけど、いつの間にか曲はもう終盤に差し掛かっていた。
間もなくして最後の音が鳴らされ、それで終わり。
部室には、その残響だけが響いていた。
そこまで長い曲じゃないから、弾いていた時間は5分くらい。
けど私には、その全てが心に突き刺さって、残響が完全に無くなった今だって、まだ胸の奥に響いているような気がした。
頭の中に、ユウくんの声が聞こえてくる。
(どうだった?)
期待と緊張と、それから少しの茶目っ気が混ざったような声。
どうだったかなんて決まってる。
良かった。ありがとう。そんな言葉をいくら重ねても、きっと足りない。
それでも、何か言わなくちゃ。
「ありがとう。本当に本当に、ありがとう」
精一杯の感謝と嬉しさを込めて言う。
こんなんじゃ、とても全部の気持ちなんて伝えられないけど、それでも私に言える精一杯の言葉だった。
ユウくんは、それを聞いて嬉しそうに笑っている。
するとその時、不意に部室の扉が開いた。
「遅くなってごめんね。職員会議が長引いちゃって」
そんな言葉と共に入って来たのは、大沢先生。
その姿を見た途端、ユウくんが、私の体から抜け出した。
また、私の自由に体を動かせるようになる。
事情を知らない大沢先生の前でいつまでも取り憑いていたらまずいって思ったのかも。
本当は、ユウくんに言いたいことがもっとたくさんあったんだけど、大沢先生の前で大っぴらに話をするわけにはいかない。
軽く目配せだけをして、大沢先生の方を向く。
「今の曲、有馬くんに教わったの? 昨日の部活動紹介の時よりも上手じゃない。まるで、有馬君本人が弾いてるのかと思ったわ」
さっきの演奏を聞いていて、私が弾いたものって思っているみたい。
そうだよね。
まさか、ユウくんが藍の体に取り憑いて演奏したなんて思わないもん。
だけど私は、今の言葉を聞いて、それよりも気になるところがあった。
「先生、この曲のこと知ってるんですか?」
さっきの口ぶりだと、そんな風に聞こえる。すると、大沢先生は、クスリと笑って答えた。
「ええ、もちろんよ。だって、私もそれの編曲を手伝ったんだもの」
えっ……?
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