第25話 付き合わなかった理由

 その日の夜。私は自分の部屋で、学校で出された宿題をやっていた。

 ううん。やろうとして机に向かってはいるんだけど、全然集中できなくて、さっきからちっとも進んでない。


 頭の中は、問題でなく別のことでいっぱいだった。


(ユウくん、告白されたことあるんだ。カッコいいし、好きになる人がいてもおかしくないよね。しかも何度かって言ってたから、相手は一人じゃないんだ。全部断ったって言ってたけど、どうしてだろう? 一人くらい、付き合ってみようって人いなかったのかな? ……まあ、いても困るけど。もしかして、誰か他に好きな人がいて、だからみんな断ったんじゃ……)


 学校で大沢先生からこの話を聞いて以来ずっと気になっていたけど、今のところ、それをユウくんに聞いてはいない。

 聞くのが怖い気もするし、そもそも聞いていい話かどうかもわからない。


(けどこんなに気になるなら、思い切って聞いてみた方がいいのかも)


 ずっとこんなこと考えてるんだから、宿題になんて集中できるわけないよね。

 なんて思ってたら……


「どこかわからない所でもあるのか?」

「ひゃあ!」


 突然、今まで考えていたユウくん本人に声をかけられて、素っ頓狂な声をあげる。


 ユウくんは、私が宿題をする邪魔にならないように押入れの中に引っ込んでいたから、全くの不意打ちだった。


「ごめん、脅かした? ずいぶん唸ってたから、よほど苦手な問題があったのかなって思って」

「私、そんなに唸ってた?」

「けっこう。押し入れの中でも聞こえるくらい」

「~~~~っ!」


 そうなの!?

 恥ずかしくなって、思わず顔を覆う。

 そんなことになってたなんて、全然自覚が無かった。


「わからない所があるのは悪い事じゃないよ。これからゆっくり解き方を覚えていけばいいんだから」


 本当は、ずっとユウくんのことを考えてたんだけど、それを知らないユウくんは、私がちゃんと宿題をして悩んでるんだと思ってる。


 ごめん。宿題のとこは、二の次みたいになってました。


 それでも、なんとか話を合わせるため、適当な問題を指さす。


「これ。これがどうしてもわからないの」

「ああこれか。教えてやろうか?」

「いいの?」

「どうせやること無いし、構わないよ」


 適当に言ったことなのに、これで手伝わせるなんてなんだか申し訳ないけど、ここで断ったら変に思われるかも。


 ここは、素直に頼ることにする。


「お願いします」

「わかった。じゃあまずはここだけど……」


 わからないって言った問題は適当に指しただけだったけど、今やってるのは私が一番苦手な数学で、真面目にやろうとしても苦戦しそう。


 ユウくんは、そんな問題を覗き込みながら、一つ一つ解説していく。


 ユウくんが生きていた頃も、こんな風に宿題を見てもらうことは何度もあった。

 ユウくんはただ答えをそのまま言うんじゃなくて、どうやったら解き方がわかるのかを考え、丁寧に教えてくれていた。

 そしてユウくんが教えてくれるなら、私も、学校の授業よりもずっとずっと張り切って勉強できた。


「よく頑張ったな」


 全ての問題が終わってシャープペンを置くと、ユウくんはニッコリ笑って、私の頭を撫でる仕草をする。

 勉強を教えてもらった後、いつも最後はこうして褒めてくれた。


「もう。またすぐに頭撫でて。私ももう子供じゃないんだから」

「あっ、ごめん。つい癖になってるみたいだ」


 ユウくんの感覚からすれば、私が小学生だったのも、こうして頭を撫でていたのも、つい先日のこと。染みついた癖は、なかなか消えてくれないみたい。


「ううん。ありがとう。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいから」


 私だって、小学生の頃と同じ対応ってのは色々思うところがあるけど、褒められることや頭を撫でてもらえることは、決して嫌じゃなかった。


「それにしても、藍の解く問題も難しくなったな。もう少ししたら、俺が教えるのも無理になるかも」


 ふと、ユウくんがポツリと言う。

 それを聞いて、私は少し切ない気持ちになった。


 昔は、高校生のユウくんが、小学生の私に勉強を教えていた。

 それが今は、高校2年生のユウくんが、一年生の私に教えてる。

 学年で言えば、わずかひとつ差だ。


 もしもこのまま一年も経てば、私はユウくんの年齢に追いつく。

 生きている人間と幽霊とでは、時の流れが違うのだと、改めて思い知らされた気がした。


 っていっても、ユウくんがそんなに長い間この世にいられるかなんてわからない。

 どうやったら成仏するのかなんて知らないけど、もしかしたら、明日になったら消えてしまうことだってあるのかもしれない。


 そう思うとなんだか焦りが出てくる。今のうちに、もっとたくさん話をしておきたくなる。

 聞きたいことは、全部聞いてみたくなる。


「ねえユウくん、聞いても良い?」

「なに? 他にもわからないところがあるのか?」

「違うの。学校で大沢先生が言ってたことなんだけど……」


 話したいことなんて沢山あるし、きっと一日中話をしても無くならない。

 だけど、今一番聞きたいのは、やっぱりこれだった。


「告白されたのに、どうして誰とも付き合わなかったの?」


 その瞬間、ユウくんは少しだけ困ったような顔をした。


(やっぱり、聞かない方がよかったかな?)


 勢いにまかせて聞いてしまったのを、早くも後悔する。

 だけど一度言ってしまった以上、なかったことにするのは無理だった。


「その話、気になる?」

「えっと……どうしてかなって、少し気になったんだけど、話したくないなら別にいいから」

「いや、別にそういうわけじゃないんだ。聞いてもつまらないって思っただけ。それでも聞きたいなら話すけど、どうする?」

「えっと……」


 どうしよう。

 もちろん、ユウくんが話したくないなら、無理言って聞こうなんて思わない。

 けど、聞きたいと言ったら、意外とすんなり話してくれる?


 それに、知りたいか知りたくないかと問われると、やっぱり知りたかった。


 ちょっとの間に、迷って迷って、それでも結局こう言った。


「……うん。聞いてもいい?」


 それを聞いて、ユウくんは一息ついてから話し始めた。


「わかった。って言っても、大した話じゃないんだけどな。特別、その子達とは付き合いたいって思えなかった。それだけなんだ」

「でも、告白されたのって一度じゃないんだよね。付き合いたいって思った人、一人もいなかったの?」

「ああ。相手がどんな人かじゃなくて、俺自身の問題かな。そういう風に思ってくれたのは嬉しかったけど、俺には誰かと恋愛する気なんてなかったんだ」


 ユウくんは、特に感情を見せること無く、淡々と話してる。

 だけどそれを聞いて、私はなぜか不安になった。


 誰かと恋愛する気はない。その言葉に、酷く胸がザワザワする。


 これ以上聞いちゃいけない。頭の中でそんな警鐘が鳴る。

 だけどその一方で、もっと知りたいという思いも、より一層膨れ上がっていた。


「じゃ、じゃあ……どんな子なら付き合いたいって思うの?」

「相手が誰でも、そんな風には思えないかもしれないな。もし付き合ったとしても、いつまで続くかわからない。いつかは別れるかもしれない。そんな風に、つい考えるんだ。というわけで、恋愛として誰かを好きになるってのが、よくわからない」


 その瞬間、今までほとんど無表情だったのが、僅かに揺らいだ気がした。


 ユウくんの言ってることは、ただ恋愛に無関心なだけのようにも思える。


 でも、本当にそれだけ?


 もし付き合ったとしても、いつかは別れるかもしれない。


 多分だけど、ユウくんがどうしてそんな風に考えるようになったか、その理由に心当たりがあった。


 それに気づいて、後悔する。


(これ、聞いちゃダメなやつだった)


 どうして迂闊に、聞きたいなんて言ったんだろう。途中で話を終わりにしなかったんだろう。


 ユウくんは、私が聞けばきちんと答えてくれる。そんなの、わかってることだ。

 だからこそ、軽い気持ちで聞くべきことじゃなかった。


「何だか、藍相手にこんな話をするのは、変な感じだな……藍?」


 気がつけば、私は小さく俯いていた。

 それを見て、ユウくんは不思議そうに声をかける。


「……ごめんなさい」

「なにが?」


 ユウくんは、どうして私が謝るのかわかっていない。

 けど私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。


「だって、急に変なこと聞いちゃって……」

「何だ、そんなこと? 別にいいよ、これくらい」


 本当にいいの?

 私は、そうは思わない。


 だってユウくん、今は気にしないでって言って笑ってるけど、話している途中、時々悲しそうな表情を浮かべてた。

 もしかすると、ユウくん自身は、それに気づいてないのかもしれない。


「俺こそ、つまらない話でごめんな。そういうわけだから、俺が誰かを好きになるのなんて、イメージできない。もしかしたら、俺は人より冷めたいのかもしれない」


 ユウくんは相変わらず笑いながら、冗談っぽく言う。

 けれど、その瞳は微かに揺れていた。笑っているはずのその顔が、ちっとも楽しそうには見えなかった。


 そんなユウくんを見て、胸の奥がズキリと傷む。そして、気が付くと叫んでいた。


「そんなこと無い! ユウくんは、冷たくなんかない」


 突然叫んだ私を見て、ユウくんは目を丸くする。


 私だって、こんなこと言うなんて自分でも思っていなかった。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 自分のことを冷たいと言ったユウくんの言葉を、否定したかった。


「ねえ、私でもだめ?」


 どうしてだろう。気が付くと、さらにそんなことを言っていた。


 どうして今これを言ったのか。それは私にもわからない。

 けど今のユウくんを見ていると、ユウくんの抱えていたものを思うと、いても立ってもいられなくなって、勝手に言葉が出てきてた。


「私がユウくんのことを好きって言っても、ダメ?」

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