第3話
「恋なしで一体どうやって生きていくっていうの――?」
それはまだ、薫が高校生の身分だった頃。
二人きりの軽音部の部室で、白いアコースティックギターを抱えた
唯花先輩は歌がうまい。呆れてしまうぐらいうますぎた。隣で聴いていて、プロの歌手より凄いんじゃないかなと思うこともしばしばだったので、その後卒業して歌手になった――という知らせを聞いても薫は別に驚かなかった。今思えば、そんな彼女にギターの弾き方を教えてもらっていたというのはえらく贅沢なことだったのかもしれない。しかし、当時の薫にそんな意識はあんまりなかった。
なにしろ唯花先輩は、歌う以外のことがまるでできない人でもあったのだ。
勉強はまるでできないし、素行もよくない。性格だってお世辞にも社交的とは言えない。面倒くさがりだし、相手に気を遣うということをしないし。はっきり言ってしまえばわがままの部類だ(当然のように友達は少なく、そこが薫との共通点でもあった)。
その中でも特にダメなのが恋愛事情。
いつもいつもどこで知り合うんだか、年上のバンドマンだとかスーツを着た大人の人とかに手を出しては、その関係を
もはや中毒と言ってもいいほどの有り様。そんな彼女の生き様を、薫は少し離れた場所から呆れたように眺めていた。
「普通に呼吸して生きていけばいいじゃないですか」
「一人で?」
「ええ」
「そんなの、寂しくて死んじゃう」
「死なないですよ」
ウサギとかじゃないんですから、と薫は笑う。
思うに、私たちはあまりにも価値観が違いすぎるから、逆にこうして気を許して付き合えているんだろうなあ――と薫は自分達のことを分析していた。
恋愛中毒な唯花先輩と、それと真反対な自分。
恋というものは、薫にとって食べたことのない外国のお菓子のようなものだった。未知のものに憧れる気持ちはままあれど、それ以上に得たいが知れぬ。経験豊富な唯花先輩の話を聞いているのは興味深いけど、自分がそれをしたいとは思わない、と薫は本当にそう思っているのだった。
そしてそう思うのはなにも薫に限った話ではない。
時は西暦22××年。
日本の人口は順調に減り続け、恋愛だとか結婚だとか家庭だとか、そう言うものを重要視する考えはもはや多数派と言えなくなっていた。
「死んじゃうよ」
唯花先輩が言う。
その予想外の言葉と、低いトーンの声に薫が向き直ると、唯花先輩は普段不真面目な彼女らしくない、ずいぶん真剣な表情でこちらを見ていた。
「……唯花先輩?」
「いいこと、薫ちゃん。よく聞きなさい」
「な、なんですか、改まって」
「あのね、恋をしろなんて、そんなこと言うつもりはないけどね」
でもね、と唯花先輩は抱えていたギターの六弦をぽろり、と鳴らした。
「人は寂しかったら死んじゃえる生き物なんだ――ってことはちゃんと覚えておいて」
「……」
そんなことを言う。
なんですかそれは、と笑い飛ばしたかったけど、相手が真剣な表情を崩さなかったので自重した。
唯花先輩には父親がいない。昔、彼女が幼い子供だった頃に自らその命を絶ったらしい――という出所も真偽も不明の噂話を、薫はまだ本人に確かめられずにいた。
気がつくと唯花先輩はギターの練習に戻っていた。
まるで魔法のように動く指。
溢れ出る感情をそのままメロディにしたような声。
彼女が作ったオリジナルの曲だろうか。薫の知らないフレーズを歌うその姿に、しばし見とれる。
「……」
しかし、やっぱりどう考えてもうますぎるその歌声は、恋をせずには生きていけないと語るその生き様は、それに必死にすがっているようにも薫の目には見えてしまうのだった。
★★★
それから十年以上の時が経ち、お互い多忙な大人の身となった。
高校を出てからの彼女の恋愛事情について、薫は詳しく知らないけれど。しかし結婚というお知らせを聞く限り、唯花先輩は寂しさで死ぬことなく無事に今日まで生き延びて、すがるための相手をついに見つけたというわけなのだろう。
それはだからおめでたいことだし、お祝いする気持ちもあるけれど(一方で置いていかれたような気持ちも)。でもなにより、先に連絡ぐらいくれてもよかったのになあ――と思うのだった。
「……まあ、先輩らしいっちゃらしいけどね」
『なにか言いましたか?薫さん』
「何でもない、さあ、行こう」
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