第4章 悪意なき殺意
第6話 言葉が人を殺した
「別に不幸自慢じゃないんだけど、僕も親が居なくてね。」
「そうなんですか…」
俺らの世代になると、親の離婚は特段珍しいことではない。しかし、やはり他人の両親との仲睦まじい話を聞いたりすると、心がざわつくのは事実だ。
「僕の父親は元々パイロットで、小さい時から転勤族だったんだけど。まぁ、そうなると、友達らしい友達も出来なくてさ。…あ、結構重い話しちゃうかもしれないけど、大丈夫?」
「先生が、辛くなければ知りたいです。」
俺は考えるよりも先にこの一条薫という人間を知りたいと思い始めていた。
「で、高校の時だったかな。転勤して落ち着いた頃に、父親が操縦事故で亡くなった。」
「……。」
俺の親は離婚したが、母はもちろん健在だし、連絡は取ってないが、多分父も健在だろう。既に物心ついた時に家族を失う辛さが、俺には想像もできなかった。
「僕はその時、父親が操縦事故を起こしたと思えなかった。何十年もパイロットをしていたし、厳格な父親だったからね。何か、機体に不備があったんだと、そう思い続けてた。今もそう思ってるけど。」
一条先生は立ち上がり、ポットでお湯を沸かし始めた。俺は視線を追いながら、聞いて良いのか躊躇いながらも聞いてしまった。
「実際、どうだったんですか。」
「それが今もわかってないんだ。機体が破損して、詳しい当時の状況が掴めなかった。」
一条先生は俺に背を向けながら、そう告げた。
「当時その機体には乗客もいてね。助かった人もいたし、重症で今も治療している人もいるし、もちろん亡くなった人もいた。」
ふと、数年前のニュースが朧げに脳内に思い浮かんだ。
断片的ではあるが、飛行機の事故、機長の家に押しかけるレポーター…
「お母さんは…」
俺がそう口に出すと、一条先生は振り向いて「死んだよ。自殺だ。」と悲しそうに微笑む。
「マスメディアは父親が飲酒していたんだじゃないかだとか、怠慢があったんじゃないかって推測を報道してね。まぁ、ネットも普及していたし。被害者や遺族からしたら、亡くなった父親になすりつける方が、自分の精神を保てたんだろう。」
青いマグカップにお湯を注ぎながら淡々と話す一条先生に俺は、なんて声を掛ければいいのか分からなかった。
「いくら釈明しても火に油を注いだ。理性を失った匿名の人間の大量の誹謗中傷に耐えられなかったんだろう。僕が学校から帰ってきた時には、母は死んでた。」
―――「というか、一条先生って、怖いもの無いんですか?」
―――「制御を失った人間の言葉、かな。」
あの時の憂鬱な目は、この事だったのだろうか。
「だからね、僕はどんなに理不尽なことがあっても、自分の学生には理性なく責任も取れないような発言はしてほしくないと思うんだよね。」
そう言って俺を見つめる一条先生の顔は、夕日で逆光でよく見えない。でも、心なしか、目元が潤んでいる気がする。
その時、頬を伝う温もりを感じた。
「寺下くんは優しいね。」
一条先生は俺にそっと近寄り、ハンカチで俺の頬を拭った。
「僕なんかのために泣かないで。」
「すみません…」
俺はその瞬間まで、自分が泣いていたことにすら気づかなかった。
この人は、そんな壮絶な過去を抱えながらも、道を外さず、真っ当に生きてきた。
そして常にいつも微笑んでいた。いつも子どものように笑っていた。俺たちのしょうもない話にもいつだって否定せず、相槌を打って聞いてくれた。
どうしたら、そんなに強い人になれるんだろう。
顔を上げると、至近距離に一条先生の顔があった。
夕日に照らされているからだろうか、先生の目は色素が薄い茶色で、ビー玉のような、穢れのない綺麗な瞳だった。
「僕まで泣いちゃうよ。」
パッと俺から離れた先生は、また温かい眼差しで微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます