第5話 ポルターガイストが止まらない
「じゃあ、あの家で聞いたラップ音はポルターガイストじゃないんですか?」
「それについては、寺下くんが調べてくれたよ。」
「え?」
一条先生は、先ほど渡した用紙を俺たちの前に差し出した。
それは、横山さんが住んでいる家の空き物件をネットから印刷したものだ。
「とても綺麗な部屋だったけど、リノベーションされているだけで、家自体は木造なんだろう。」
一条先生は、物件情報の『木造』の部分をボールペンで囲った。
「雨の湿気や乾燥で、木の膨張や縮小が起きる。そうするとあの時聞いたような音が鳴るんだ。」
「へぇ…。」
「どっちみち、木鳴りがする家にいるより、総合的に引っ越しした方がいいと思ってね。横山さんにはそう告げた。」
一条先生は、民俗学や宗教学を専門としているはずなのに、建築分野や心理学までもを熟知している。これは、人文学部に必要なのか、はたまたこの人があまりに秀才が故なんだろうか。
「今回のようなポルターガイストに関しては、本人に行動を指摘すると精神的に苦痛を与える場合がほとんど。僕らにできることは、ここまでで、あとはこういう超心理学に詳しい精神科医に適切な治療を受けてもらうしかない。」
俺は正直、怪異だとか、ミステリーなんてものは一種の噂や種仕掛けのものだと思っていた。しかし、一条先生の表情からすべての謎には、俺や後藤先輩はもちろん、一条先生ですら限界がある領域なのだと思い知らされた。
「それに、今回の件は僕にも非がある気がしてね。」
「そうですか?」
「横山さんには、僕なら分かってくれるだろうと、理解者になってくれるだろうと思わせてしまったのかもしれない。」
思い返せば、初回の授業で恍惚な表情を浮かべる女子学生とは明らかに違う、横山さんの表情に違和感があった。常に一条先生の傍に居ることで、何か安心感を得たような、あるいは優越感のあるような表情、それが俺の中で気になっていた横山さんへの一種の恐怖心かもしれない。
「学生たちとの付き合い方も、考えないとね。」
机の上で、顎に手を当てながら何かを考える様子の一条先生の表情を見ると、今回の件に自分の責任感と罪悪感を感じているのだろうか。
俺は正直、この大学に入って、この一条薫という先生に出会えて、人文学の価値観が変わった。
しかし、一条先生の優しさは時に誰かの依存心の隙間に入り込んでしまうのかもしれない。
「でも、先生が冷たくなったら、私も冷たくなりますよ。口きかないかも。」
後藤先輩は久しぶりに、いつものような調子で口をとがらせている。
一条先生は一瞬驚いたような表情をした後、ふふっと笑った。
その笑顔は俺が最初に見た、いや、何度も見た安心感のある笑顔だった。
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その日は、予定があると言って、後藤先輩は早めにミステリーサークルを出た。
俺はサークル内でレポート課題をし、一条先生は授業の資料を作成し部屋に残っていた。会話はなく、ただお互いのキーボードの音が響いていた。
「先生。俺、なんとなく横山さんの気持ち、わかる気がします。」
気づけばそう口にしていた。
一条先生は、手を止め不思議そうに俺を見つめた。
「俺も、小さい時に両親が離婚してて、今は何とも思ってないですけど、やっぱり親の喧嘩とか、父親についていくのか、母親についていくのかとか、なんかいろいろ思い出したら、なんか…」
その先の気持ちをなんて言葉にすればいいのか。
別に辛かったから同情して欲しいわけでもない。なぜ、俺は自分の身辺話を始めてしまったのか。
「そっか、じゃあ。今回の件は寺下くんにもとっても、辛い調査だったんじゃないかな。」
「…いえ、なんというか……。」
「僕は辛かったよ。」
「え?」
一条先生を見ると、あの時見た憂鬱と悲しみが入り混じった切ない目をしていた。
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