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 シスターヘレンは口をゆがませ、目を細めた。


「女神を成仏させるには、女が求めるものを与えるのがいいと思うんです」

「なるほど」

「シスターヘレンなら人生経験豊富ですし、なにか分かりませんか」

「何か引っかかりますが、まあいいでしょう」


 そう言うとシスターヘレンは湖に向かって歩き出した。


「ヴァレリア、大人になった貴女が私を頼るのなんて、初めてですね」


 記憶を辿りながら、本当にそうなのか考えてみたが、確かに、幼い頃以降ほとんど頼った記憶は無い。


「いいでしょう。私のもつ知恵が役に立つなら、引き受けましょう」


 振り返った彼女は屈託のない笑みを浮かべていた。

 眩いばかりのその笑顔は、私の中で何かを動かしたが、それが何か分からない。


「ありがとうございます。シスターヘレン」

「ありがとうヘレン。それで、君はどうするのがいいと思う」


 私の隣に立った彼が彼女に尋ねた。


「女神が欲するものをお渡しするのが一番でしょう。一つ心当たりがあります」

「本当ですか」


 彼女は黙って頷くと続けて口を開いた。


「物語の中では、女神はある花を好んだといわれています。それが仮に真実であれば、いえ、真実でなくとも、探す価値はあるでしょう」

「花ですか」

「もっとも、私もその花の名前は知りませんが」

「えっ、じゃあ」

「安心してくださいヴァレリア。咲く場所は知ってます」

「どこですかそれは」


 シスターヘレンは深く目を閉じると、ゆっくりと瞼を開けた。


「エテノラ火山、はるか北の国に存在する火山です」


 その名前を聞いても、全くピンと来なかった。


「知ってますかマロシュ様」

「うーん。名前は聞いたことあるけど、花のことは知らないよ」


 本当に頼りにならない神様である。


「あの、マロシュ様の瞬間移動で取りに行くことは」

「それは無理だよ」


 彼は簡潔に言うと、不敵な笑みを浮かべた。


「僕がここを離れたら、死ぬよ。君以外」


 彼の冷たい声を初めて耳にし、背筋が凍りつくようだった。


「なぜ、私以外」

「女神から僕が守れるのはひとりだから。自分を含めてね」


 女神の力の恐ろしさを想像し、息を飲んだ。

 やはり、そんな恐ろしい女神には成仏していただくのが一番いい。


「で、その火山までどのくらいかかりますか」

「歩いて一週間くらいでしょうか」

「じゃ、じゃあ馬車なら」

「さあ、多少は早くなると思いますが、そんなお金はありませんよ」

「マロシュ様⋯⋯」


 彼に縋ってみると、彼は直ぐに目を逸らした。


「が、頑張ってねヴァレリア。離れすぎると僕の力は使えないから」

「⋯⋯もういいです」


 ────


 この日の夜、シスターヘレンは私と共にある国を訪問するため教会を離れると皆に告げた。

 皆は私がついて行くことに驚いていたが、シスターヘレンが私の精神修行だと言うと、あっさりと納得した。誠に遺憾である。

 皆から特に質問を受ける訳でも無く、自室に戻っても、シャーロンも何も聞いてこなかった。

 

 夜のうちに度の準備を済ませ、翌朝、日が昇る頃に、私とシスターヘレンは教会を後にした。

 一応、私たちは2人とも修道服を着ているが、正直少し暑い。

 多少の旅費を背中のリュックに入っているか確認し、北へ向かって歩き出した。

 まず教会を囲む森を抜けると、広い野原が広がる。

 そこでは牧畜が行われ、馬や羊達がちょうど飼育小屋から現れた。

 横目に動物たちを見ながら、すでに面倒になってきた旅の癒しとした。

 しかしすぐに野原ばすぎ、何も無い一本道が続いた。

 前方に小さな街が見えている。

 空を見上げると、かなり日は登っていた。

 お腹が減ったとシスターヘレンに伝えると、前方の街まで待てと言われた。

 街にたどり着くと、小さな公園のベンチに待つように言われ、待っていると安そうなパンを彼女は持ってきた。


「どうぞ」

「これだけですか?」

「まだ初日の昼ですよ。節約しなければ」


 そう言って隣に座り、共にパンを齧った。

 朝から歩き続けて、既に足が重くなっている。

 これが一瞬間も続き、さらに火山で花を探して帰らなければならないと思うと、もうやめたくなる。

 パンを直ぐに食べ終え、また歩き出す。

 シスターヘレンが言うには、もうひとつ先の街に安い宿があるということだ。


 結局、夕方まで歩き続け、私の足は棒のように固まった。

 泊まる宿も、小さなボロい宿でシスターヘレンと同部屋だ。

 夕食を食べ、風呂に入ってすぐ眠りについた。


 翌朝もその翌日も同じように進み、6日目、前日の雨が止み、ついに目の前に連なる山脈と、その中でも極めて大きく目立つエテノラ火山が見えた。

 黒い表面は周りの山と比べても顕著で、存在を知らなくても、ひと目でそれが火山だと分かるだろう。


「あそこですね」

「ええ」

「それで、花はどの辺に咲くのですか」

「さあ、知りません」

「じゃ、じゃあまさか頂上に行く可能性も⋯⋯」

「はい」

「おお⋯⋯」

「貴女が言い出したことですよ。シスターヴァレリア」


 シスターヘレンに背を叩かれ、私は覚悟を決めた。

 私たちの度は始まったばかりだ。

 現にあの山に着くまで、一日はかかるだろう。


「今日はもう少しいいもの食べません?」

「そうですね。じゃあ体力をつけますか」


 夕食の約束にこぎ着け、小さく拳を握った。


「ところで、いつシスターヘレンはマロシュ様とどうして出会えたのですか」

「それは⋯⋯後に機会があれば話しましょう」



 

 

 


 

 

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囚われの神は女神を求めた 姫之尊 @mikoto117117

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