一時の別れ
1
「女神を成仏させるにはどうしたら良いのでしょう」
「いや、なんで俺に聞く?」
翌日、私は朝からシスターヘレンの父の元へやってきた。
連日の夜更かしのせいで、朝から頭が痛かった。
私はそれを利用し、街に薬を買いに出かけるといって強引にお爺さんの家を訪ねた。
お爺さんは昨日と同じように、決して快く迎え入れてくれた訳では無かったが、なんだかんだ私を家へ入れてくれた。
朝食の途中だったお爺さんは、肉厚なベーコンを飲み込むと、呆れた様子で口を開いた。
肉厚で表面が油で艶々になったベーコンはいかにも美味しそうで、私は唾を飲み込んだ。
教会では私達はほとんど肉を食べられない。
制限されている訳では無い。ただ、できる限り子供達に行き渡らせるため、必然的にシスターの分が減ってしまうのだ。
普段暮らしていて、それほど不自由を感じることは無いが、こうして他所の食事を見ると、教会の内情がよく分かる。
「いや、お爺さんくらいしか頼れる人いないので」
「それで俺か。あの女には相談したのか」
首を横に震えると、お爺さんはまたベーコンを齧った。
老人が胃もたれしそうなものを朝から食べて大丈夫なのかと思ったが、お爺さんは頑丈そうだ。
「まあ、なんだ」
お爺さんはパンを齧り、コーヒーを飲んだ。
朝は食べてきたというのに、いちいち食べ物が美味しそうに見えるのはなぜなのだろうか。
「あの女に相談しないのはよかったな。俺に聞きに来るのも目が高いとも言える」
お爺さんは小さく鼻息を漏らした。
別に尋ねる人を厳選した訳では無いのだが、まあ黙っておくとしよう。
「だが残念ながら俺も知らん。そんなことは専門外だ」
「そんな、なにか書物に書いていたり」
「いや知らんな。女神の話もたまたま見つけただけだしな」
お爺さんはそう言うと立ち上がり、空になった食器を台所へ持っていった。
お爺さんが知らないとなると、誰を頼ればよいのか、詳しい人を教えて貰わなければいけない。
テーブルにもどってくると、お爺さんはポケットか火打石を取りだし、慣れた手つきで机に置いていたパイプを加えながら火をつけた。
煙草の匂いが鼻を着く。慣れていないせいもあるが、あまり好きな匂いでは無い。
しかし文句を言ったり、嫌な顔をすれば、機嫌を損ねてしまう恐れがあるので、表情を変えずにお爺さんを見た
「じゃあ誰か、そういうことに詳しい人は居ませんか」
お爺さんはパイプを離すと、天井に向かって煙を吐いた。
その煙を追うと、天井にシミができていた。
顔を戻すと、お爺さんはパイプを突き出しながら、口を開いた。
「居るじゃないか。お前のすぐ近くに」
「へえ?」
言われて考えてみたが、そんな人思い浮かばない。
「お前を育てた女が信仰している存在はなんだ」
「神マロシュ·····あ」
「女神やその神の神話は繋がっている。それが分かったら今日はもう帰れ」
お爺さんは煙を勢いよく吐き出し、顔に煙がかかってむせた。
早く帰れという合図だろう。
「ありがとうございました。しかしまさかここでシスターヘレンが出てくるとは思いませんでした」
席を立って玄関へ部屋を出る直前、私は頭を下げて礼を伝えた。
「全く、何がお前を掻き立ててるのかはわからんが、危険な真似はするなよ」
玄関に手をかけ、去り際のお爺さんの言葉を胸に刻み、家を出た。
────
シスターヘレンに協力してもらうとなると、まず大事なのは彼女に疑われないことだ。
彼どころか、神話にも一切の興味を示さなかった私がいきなり尋ねたら、彼女は疑うに違いない。
もっとも、シスターヘレンが彼が案外近くにいた事なんて知るわけもない。
「さてどうしたものか」
アリバイ用の頭痛薬を持って歩いていると、教会がだんだん大きくなってくる。
ちょうど皆は勉強中なのか、外には誰も見えない。
別に堂々と入ればいいのだが、なぜだか緊張してしまい、教会のすぐ目の前で足を止めてしまった。
「あら、おかえりなさい」
不幸か幸いか、タイミングよくシスターヘレンが入口から姿を現した。
「た、ただいまです」
「どうなの、頭の方は」
「あ、これから薬を飲むので、今はまだ少し痛いです」
「そう、無理しないで休んでもいいですよ。なんだか顔色も悪いですし」
シスターヘレンの優しさが身に染みる。
顔色が悪いのは十中八九寝不足と彼女にどう尋ねるか思案しているせいだ。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですから」
笑顔を作り、シスターヘレンに小さく頭を下げた。
彼女の横を通り、玄関を跨いで私は足を止めた。
私の中にひとつの案が浮かんだ。
「あの、シスターヘレン」
「どうしました?」
私は両手で太もも部分の服を掴んだ。緊張するといつも掴んでしまう。
「実はシスターヘレンに紹介したい殿方がいるのです!」
「へっ?」
シスターヘレンは戸惑った様子で口を半開きにして首を傾げた。
私の作戦とは、ただ彼とシスターヘレンを対面させることである。
決してシスターヘレンの白目をむくところが見たいとか、狼狽えるところが見たいわけではない。
ただシスターヘレンに協力してもらうとなると、彼女が最も信仰している存在に仲介してもらうのが1番いいだろう。
「貴女、そういう相手がいたのですか」
「えぇ」
「そうですか。私はてっきり貴女はずっとこの教会にいるものだと思っていました」
何故だが、私の頬を生ぬるい水が流れた。
雨など降っていない。空を見上げると、雲ひとつない青空とは反対に、私の顔がさらに濡れた。
「もしかしてヴァレリア、朝からその人に会っていたのではないですか」
「いや、それは違います。その人はそもそも街にいないので」
シスターヘレンの探るような目を躱しながら、深呼吸した。
「すぐにでも彼にあってもらいたいので、一緒に来てくれませんか」
彼女は腕を組んで俯き、首を何度も横に振った。
目線だけを上げると、しっかりとその目は私を捉えた。
「いいでしょう。少し待ってなさい」
彼女が教会に入っていったので、私は急いで教会の隣の住まいに入り、医療品を常備してある倉庫に薬を置いて教会の入口に戻った。
「お待たせしました。では行きましょうか」
シスターヘレンは一瞬、私の手を見たが、その事には触れなかった。
「ええ、こっちです」
私はシスターヘレンと共に東へ向かって歩き出した。
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