6
宿舎へ戻ると、シスターヘレンが入口の前に立っていた。
すでに日が暮れ、シドも帰ってきているというのに、どうやら私達を待っていたようだ。
シスターヘレンは私達が玄関に入ると、お疲れ様と言って労ってくれた。
そして彼女は私の肩に手を置き、口を耳元に近づけた。
「湖でなにかありましたか」
私の瞼が小さく跳ねたが、何とか平静を装いながら、小さく首を振った。
「何もありませんでしたよ」
「そうですか」
彼女は顔を離すと、じっと探るように私の目を凝視した。
何とか目をそらさないようにじっと無心で彼女を見つめ返していると、諦めたのか納得したのか、ヘレンは振り向いて去っていった。
「どうしたのヴァレリア」
「別に⋯⋯」
ロージーに声をかけられたが、私の視線は立ち去っていくシスターヘレンに集中した。
曲がり角を曲がって姿を消すまで、彼女を注意深く観察した。
結局その後、シスターヘレンが私の様子を探ることも、話を聞きに来ることもなかった。
色々あった1日だったが、何とか終わりが近づき、私は自分達の部屋へ入った。
部屋は薄暗くふたつのベッドの間にある台上のランプだけが光っている。
部屋にはベッドとタンス、そして机がそれぞれ2つづ初期設定として置かれている。
それぞれ部屋は思い思いに模様替えするものだが、私と相部屋の奴はとくに内装を弄ることなく、もう何年も前からの質素な白を基調とした部屋になっている。
子供達は基本大部屋だが、成長すると女子はそれぞれ二人部屋があてがわれ、男子は皆都の学校に入るため、この施設を去っていく。
都の学校に入る女子もたまにいて、昔同部屋だった同い年のローズという女の子は都の学校に編入してこの施設を去った。
そうして少しの間、私は1人の空間を楽しんでいたが、それも直ぐに終わった。
2歳年下のシャーロンという亜麻色のショートカットで眼鏡をかけた後輩が部屋へやってきたのだ。
シャーロンは普段は大人しいのだが、どこからかうんちく話やゴシップなんかを仕入れると、いつも寝る前に私に話してくる。
「ねえ知ってますかヴァレリア。蜂蜜って腐らないんですよ」
早速私がベッドへ足を入れると、同じようにベッドに入ったシャーロンがくだらない雑学を言った。
「そうなの。なんでなんだろうね」
「さあ。理由は知りません」
せめてそういうものは理由も一緒に言いなさいと、口に溜まった言葉を飲みこみ、枕に頭を乗せた。
今日はとんでもない体験をしたというのに、あまり眠たくない。
むしろそのせいで目が覚めてしまったのかもしれないが、きっと一番は昼寝のせいだろう。
「ねえシャーロン」
私は珍しく、彼女に話しかけた。
私が彼女に話しかけるのは、毎日の朝と夜の挨拶と、時々物を借りる時だけだ。
とくに彼女はやけに羽根ペンを多く所持しているので、私のが紛失した時はよく借りた。
「なんですか」
返事をしたシャーロンに顔を向けると、彼女も枕に頭を乗せ、天井を眺めている。
眼鏡をかけたままになっているが、面白いから黙っておくことにするか、それとも高価な眼鏡を壊させないために教えるか、私の中で選択が渦巻いた。
考えた結果、彼女が寝る寸前に教えてあげることにして、今は無視することにした。
もし私が先に寝たら、その時は自己責任だ。
「あの湖に行ったことある?」
「ないですよ」
シャーロンは簡潔に答えた。
「あっちに行く用ってありませんし、昔からきつく言われてますし。そういえばヴァレリア今日行ったんですよね」
「うん。初めて行った」
「どうでした? 湖は」
「あーうん」
私は今日見た湖の景色を脳内に浮かび上がらせた。
彼の姿が現れたが、なんとかして綺麗さっぱり消し去り、純粋な湖だけを写す。
そういえば彼は今夜待っていると言っていたが、どうするべきなのだろう。
まだ日をまたぐまでは時間がある。
まさか彼が12時ちょうどに居なくなるどこぞの童話の登場人物ではあるまい。
多少日をまたいでも、あの湖に居るはずだ。
「一言で言えば、そうだね、霊妙かな」
「はぁ、霊妙ですか。それはまたどうして」
「あの場所だけ隔離されたような、まるで別の世界にいるかのような感覚に襲われるの」
「ほぅ⋯⋯」
シャーロンは興味を持ったのか、顔をこちらに向け、目が合った。
「隔離とは具体的には?」
「そうだね。あそこには何も無いの」
「何も無い?」
「うん。森の中にいた生き物も喧騒も、あの場所に立つと全てがどこかへ行ってしまうかのように静かになった。あの湖自体にもその周りにも生き物の姿は見つからないし、ずっと水も凪いでたの」
「なるほど、つまり森の中にあるのに森と状態が異なるわけですか」
「まあそんな感じ」
シャーロンは目線を下げて眼鏡を外してランプのそばに置いた。
できるなら寝る直前までそのままにして欲しかったが、最悪の事態を回避出来たのでここは喜ばねばならない。
「そんな話聞いたら行ってみたくなりますけどね」
「やめといた方がいいよ。そもそも遠いし」
「じゃあやめておきます。疲れるのは嫌ですし、今回は特例でしたけどヘレンに知られたら雷が落ちそうですしね」
シャーロンはそう言うと前髪を指で流し、体を反転させて壁側を向いた。
「じゃあおやすみなさいヴァレリア、灯り消しといてください」
「う、うん」
私も目を閉じて眠ろうと思ったが、やはりどうしても彼のことが気になった。
「ねえシャーロン」
私は上体を起こして声をかけた。
「今度はなんですか」
シャーロンは大きな欠伸をしながら目を擦っているのが後ろ姿でもわかる。
「もし気になってる人が夜遅くに遠くで自分を待ってるとしたら、シャーロンならどうする」
シャーロンは体をこちらに向けた。
随分と眠たそうに目がしょぼしょぼとしているが、たまには少しくらい話に付き合ってくれてもいいだろう。
「気になってるの内容によります」
「じゃあ好意なら?」
そう尋ねると、シャーロンの目が大きく開いた。
「そりゃあ行きますよ。相手さえいればすぐにでもここを出て子供達のために部屋を空けなきゃいけませんから」
「そんな理由で?」
「まあそれもありますが、やっぱり私も出来れば意中の殿方は逃したくないですし、ヘレンもきっと喜んでくれるでしょうから」
シャーロンの声に少しづつ活気が出てきたように思えた。
普段大人しく、あまりそういった浮ついた話の兆候を見せない彼女だが、しっかりと願望は持っているようで何故か安心した。
「とくにヴァレリアは早くその人に会いに行った方がいいですよ。今は好きでなくとも会いに行けば案外好きになってそのまま⋯⋯てことも考えられますし。
べつに一生この教会で働くことも悪いことではないですけど、ヴァレリアみたいに信心の欠片もないシスターが居たら周りに悪影響ですし」
眠たいからなのか、ただ普段は包み隠しているものをさらけ出しているのか、随分と刺々しい毒舌口調で彼女は語り、また背を向けた。
しかし、やはり突飛押しも無さすぎたのか、しっかりと心を読まれていたようだ。
「後半は置いておいて、ありがとねシャーロン。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
私はランプの灯りを吹き消した。
いいのか悪いのか、シャーロンの言葉で少し背中を押された気がする。
彼が気になるというのは、それが好意なのかただの得体の知れない存在への興味なのかはまだ分からない。
だがシャーロンの言う通り、また会えばそれは分かることだろう。
シャーロンが寝静まったのを確認して、私は部屋を飛び出した。
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