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「皆、湖の方に行っちゃダメよ」


 お昼過ぎ、私はシスター達と子供達を連れて教会のすぐ近くの森へやって来ていた。


「はーい」


 子供達は皆元気よく答えると、一目散に皆森へ消えていった。

 朝から私達は子供達に手習いを教え、今はその休み時間だ。

 自分の幼少期もそうだが、皆森に入ると思い思いにかけっこや木登りをしたり、花や木の実を摘んだりした。

 森の中では基本的には自由だが唯一、東の湖に近づくことが禁止されていた。

 これは私の子供の頃から変わらず、話によると遥か昔に作られたルールらしい。

 それはまだこの森に熊や猪が生息していた時代のことらしく、私の何代前のことだかよく分からない。

 シスターヘレンは昔、湖で溺れた子が居たからと言っていた。

 禁止する理由としてはそれで十分だろう。

 湖は子供の足で行くにはかなり辛い距離があり、さらにたまたま偶然、東に行く用事がこの協会に来てからなかったこともあり、私はそもそもその湖を見たことすらなかった。 


「そういえばサラは湖を見た事ある?」

「無いと思う。小さい頃は禁止されてたし、大人になってからあっちに行く用ってなかったから」

「私も同じ」


 すぐ近くに居たサラに問いかけると、サラは左手の人差し指を顎にあてながら答えた。

 湖の向こうにも街は存在するが、湖の周りを回っていく程の用事は教会の人間にはほとんど無く、すべて近くの街で事足りるせいか、その禁止されている湖を見た事すらないシスターも私だけでは無いらしい。


「私この間行ったよ」


 私達の後ろからそう答える声がして、確認してみると、ベールを脱いだ黒い短髪の、私とサラより少し歳上のシスター、ロージーが立っていた。


「え? 本当ですか」

「うん。湖の向こうの村に珍しい菓子があるって教えて貰ってね」

「ああ、もしかしてちょっと前におやつに出たケーキですか」

「そうそう。それだよ」


 ロージーと話しながら、以前食べたケーキの味を思い出していた。

 自分のよく知っているケーキとは違って濃厚なコクのあるチーズの味がした。

 思い出すと涎が垂れそうになり、私は咄嗟に、まだ何も垂れていない口元を拭った。


「ヴァレリア⋯⋯想像で涎が出るくらい美味しかったんだね」

「ええまぁ。あれは美味しかったですね」

「うんうん。買いに行った甲斐があったよ。さすがに子供らの分は確保できなかったけど」


 そのおやつというのは子供達には内緒でシスター達に分けられていた。

 まあ子供にはまだあの味は早いだろうし、ぞもそも教会暮らしの子供にそんな贅沢させてられないのだ。

 

「悪い大人ですよねぇ。私達」


 長い髪先を指でくるくると巻きながら、サラは微笑んだ。


「まあこの話は子供らとヘレンに聞かれると不味いからいいとして、あの湖本当に何にもないよ」


 ロージーが湖の話に戻したが、その一言で私は呆気にとられた。


「何もない?」

「うん。すっごい静かでね。水面に顔を近づけても生き物の気配もほとんどしないし、水はすごく綺麗だったよ青すぎて深さもわからなかったけど」

「へぇ⋯⋯」


 頭に湖の情景を思い描きながら、目を瞑った。

 大きな湖が脳裏に浮かび、周りには鳥すらも飛んでいない。

 想像の中の湖は水面が動くことも無く、全体が凪いでいる。

 それなのに、湖のどこかで誰かいる気配がした。

 その気配はどこか探しても、上手く場所が掴めない。

 それなのに気配は段々と大きくなり、ついには見たこともない青年の姿が浮かび上がってきた。


 咄嗟に私は目を開き、今のはなんだったのかと訝しんだ。



「ねぇロージー、一緒に遊ぼ」


 知らない間に少女がふたり、私達のそばにやって来てロージーの腕を引っ張った。


「わかったわかった。だから引っ張らないで。じゃあねふたりとも」


 ロージーは少女達に両手を引かれながら、森の中へ姿を消した。

 ロージーの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、今度は私の服の裾が後ろから引っ張られた。


「ん? ああカーティアじゃない」


 振り返った先には、私の腰の位置くらいの身長の、亜麻色の癖毛の少女カーティアが立っていた


「ヴァレリア⋯⋯行こ」


 最近教会にやってきた引っ込み思案な少女は友達を作るのが苦手だったが、何故か私にはよく懐いていた。

 私になにかシンパシーを感じていたのだろうか。


「うんいいよ、行こっか。じゃあサラ、また後で」


「うん。ばいばいカーティア」


 サラがカーティアに手を振ると、小さく振り返した。

 前を歩くカーティアを見守りながら、私も森の中へ入っていく。

 広葉樹が広がる森の中は陽の光が遮られ涼しくなっているおかげが少し肌寒い。


「先生、これなに」

「木いちごだよ。食べれるから食べてみる?」


 しばらく歩いていると、カーティアは足を止め暗い紅色の小さな木の実を指さして尋ねた。

 それにサッと答え、食べてみることを進めた。

 カーティアは頷くと恐る恐る木いちごの実をひとつつまみ、口に含み、顔をすぼめた。

 美味しくないだろうとは思っていた。

 この辺りには栄養になりそうな物があまりないし、何より木いちごが大量発生しているせいで一つ一つの身が貧しい。

 それでも食べることを勧めたのは、私の性格の悪さだろう。


「すっぱいよ先生」

「そっかぁ。あんまり育ちが良くないのかもね」


 私は自分でもわかるくらい分かりやすく首を傾げて笑みを浮かべ、木いちごを摘みはじめた。


「じゃあこれは持って帰ってジャムにしよう」


 実を摘むと、何も言わずにカーティアが服の裾をつまんで実を受け止められるように広げた。


「ありがとう」


 くすくすと笑いながら、摘んだ木いちごを広がった服に乗せていく。


「1度戻らなきゃね」

「うん」


 服に両手を取られ、遊ぶ余裕もないので、私達はいちど教会へ戻ることにした。

 足早に歩くカーティアの服には木いちごが大きく盛られ、時々零れ落ちている。


「ほら落とすともったいないよ。慎重にゆっくりね」


 私が言うと、カーティアは足を緩め、バランスをとるように体を揺らしながら歩き出した。

 愛愛しい姿を見ながら教会へ戻り、調理場の空っぽの籠に木いちごを入れ、ジャムにしてくださいとメモ書きを添えた。


「どうするカーティア。森に戻る?」

「ううん。本でも読んで待ってる」


 カーティアは首を横に振って調理場から駆け足で去っていった。

 ひとりになり、森へ行くか同じくカーティアのように残っている子達の様子でも見に行くか、頭を捻った。

 結局面倒くさいので聖堂のベンチで休むことにした。

 1番後ろの席に寝転がり、ハンカチを顔に被せて目を閉じる。

 それだけで簡単に、私は夢の世界へ誘われて行った。




 

 


 


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