囚われの神は女神を求めた
姫之尊
邂逅
1
「ああマロシュ様、我らが今日を迎えられたのは貴方様のお力あればこそ。罪深き我々が生きることを許したまえ」
今日も今日とて、日が昇り始めるとともにシスターヘレンの祈りに合わせて私達も目の前の像、神マロシュへ祈りを捧げる。
白い彫刻で掘られた男の神の後ろからステンドグラスを通して朝日が差し込み、神々しさを醸し出している。
胸の前で手を合わせ、皆はただひたすらに心を無にして祈るのだが、いつも私の内心は余計な考えで溢れている。
4歳の誕生日を迎える頃、気がつくとこのクローベト教会に拾われていた。
小さい頃から有無を言わさず、毎朝の祈りと神への奉仕という名の、人々への治療や教育法を叩き込まれたが、別にそれが嫌ということは無かった。
この教会に拾われなければ私はもう既に死んでいたと思うし、むしろ教会や親代わりとして育ててくれたシスターヘレン達には感謝の気持ちしかない。
しかし小さい頃から、神の存在が信じられなかった。
神の存在も、見えもしない神に従事するシスター達も、1個人として付き合う分にはなんの問題もないのだが、シスターとして、神への奉仕者として見ると、気持ちの悪いものに思える時があった。
「ヴァレリア、シスターヴァレリア!」
祈りの最中後ろから名前を呼ばれ、振り返えると、私と同じ藍色のローブに身を包んだシスターヘレンが様子を伺っていた。
「どうしましたシスターヘレン」
「何か悩み事でもおありですか、先程から心が揺れているように思えますよ」
顔のシワが目立つようになったこの淑女は、歳をとる事に人の感情の動きに敏感になっている。
昔から私や他の女子たちに何かあると、すぐに気がつく人ではあったが、それが近頃は凄みすら感じるほどに増している。
「いえ、特に悩みといったものは」
「ではまたいつものですか」
「はい⋯⋯」
頷くとシスターヘレンは小さくため息を着いて首を横に振った。
「貴女がどう考えていようが私は何も言いませんが、その状態を周りには悟られないように気をつけるように。特に子供達には」
「承知してます」
小さく頭を下げると、彼女は黙ってその場を立ち去って行った。
シスターヘレンは信仰を他人に強要しない。
それがたとえ、幼い頃から自分が育て成り行きからシスターの道を進んだ人間であっても。
それが本当にいい事なのかは分からないが、私にとってはとてもありがたい。
朝の祈りが終わると、子供を含めた全員で教会の掃除を行う。
誰かが目覚めの鐘を鳴らすと、子供達は眠たそうに目を擦りながらそれぞれ部屋から出てくる。
私は協会の隣にある、シスターや子供達の住む建物の玄関の掃除を請け負ったのだが、玄関は物が少ないのは良いが、案外広くて面倒だ。
ズル休みする訳にもいかないので、ホコリや外から入り込んだ葉を箒で掃き出し、雑巾で床を拭いた。
黙々と掃除していると、不意に自分はいったいいつまでここにいるのだろうと考えた。
振り返って幼馴染のシスター、サラに目を向けると、余計にこの時間がいつまで続くのか気になってきた。
サラは金色の長い髪を揺らしながら、振り向いて首を傾げた。
「どうしたのヴァレリア」
「ううん。なんでもないの」
サラから顔を逸らし、掃除に戻る。
サラは今度、結婚を機会に教会から出ていくことになっている。
教会では男女の恋愛に関する禁止事項は無い。
無断外泊を禁じるルールは存在するが、それは男女関係に関わりなく、たとえひとりでの外泊だろうと適用される。
模範的な私はもちろんそのようなルールを破ったことは無いが、時々誰かにルール破りを黙っているように頼まれたりもする。
教会でいると出会いが少ないという問題はあるが、街の人間と恋に落ちるシスターも少なくない。
サラも同じく幼い頃にこの教会に拾われた身だが、街の八百屋の青年と恋に落ち、いよいよ外の世界へ旅立つ時が来ていた。
いつか自分にも愛し、愛される殿方が現れる時は来るのか。私はため息をついて小さなホコリが転がるのを眺めた。
「そういえば結婚式はいつだっけ」
「1週間後よ」
掃除を終え、教会へ戻る道すがらサラに尋ねた。
「そっか。そうだったね」
「もう。忘れないでよ」
「ごめんごめん」
サラは微笑を漏らしながら私の肩を叩いた。
「結婚したらあの人と店の野菜を届けに来るからね。もちろん代金は頂くけど」
「それは私に言われてもねぇ⋯⋯ヘレンに言いなよ」
「それももちろんだけど、ヴァレリアに個人的によ」
「いいよ。私今の食事で十分だし」
私達は笑いながら会話し、聖堂へ戻った。
戻っても特にこれといってすることはない。
サラと一緒に長椅子にもたれ掛かり、当番の者たちが朝食を作り追えるのを待つことにした。
眠気に襲われながら、ぼんやりと正面のマロシュ像へ目を向けると、教わったマロシュの話の一端が浮かび上がってきた。
マロシュは古来から、人間を立場や性別、人種に関係なく愛し、救いの手を差し伸べてきたと言われるが、その実は大変な女好きで、何人もの女を妻に迎えているという、なんとも不埒な一面を持った神であるという。
そのせいか一部の信者からはマロシュに使える人間も、教えを広める人間も女でなければ怒りを買うことになると言われている。
が、それらは全部人間のくだらない妄言であり空想の形でしかないはずだ。
「ねえサラ」
マロシュ像を見つめたまま、サラに声をかけた。
「どうしたの」
「ここを出ても、朝の祈りや行事のことを忘れない?」
「当然でしょ。ここから出たからってマロシュ様に使える身であることに変わりないもの」
サラに顔を向けむとちょうど目が会い、お互い小さく口角を上げた。
「でも無類の女好きのマロシュ様は人妻に感謝されても喜ばないんじゃない?」
私の言葉に驚いたサラは目を見開き、口元を手で抑えながら小さな笑い声を上げ、体を丸めた。
「あはは⋯⋯。だったら結婚したシスター達は皆今頃不幸な目に会ってるはずじゃない」
サラは私の膝を何度も叩きながら、お腹を抑えて笑った。
「どうしたのヴァレリア。真剣な顔して神様のこと考えるなんて貴女らしくない」
私は腕を組み、首を捻って唸り声を上げた。
「うーん、違うの。どちらかと言うとこれは否定なのよサラ。その確認みたいなもの。よくよく考えてみたら、人妻に信仰されるのも許せないくらいの女好きなら婚約者が居る時点でダメなはずよね」
「ヴァレリアらしい物言いね。でもマロシュ様はそこまで器は小さくないわよ。だって神としては人を区別して扱わないもの。女好きはあくまで個人としての1面ね」
笑いが収まったサラは姿勢を正して正面のマロシュ像を見ていた。
その様子を隣から伺いながら、私は口を結んで上を向いた。
「そんな神様存在するのかなぁ」
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