第53話ギルド戦7
「外しても文句は言わないでね」
束の間、セイラが表情をなくし、集中状態に入る。
「――っ」
瞬間、周りの空気が変わった。
セイラの弓道姿を見たことがあるイリアさえも、そのぴりついた空気に笑みを失う。
美しい立ち姿。弓に手を掛ける動作はゆっくりとしているが滑らかで、まるで川のせせらぎを見ているかのよう。
呼吸の音すら許されないような静謐。
しかしそれは芸術作品を見ているときのような、心地のいい静けさ。
余りの緊張感に口の中が乾くような感覚を得て、唾を飲み込んだのは一人ではなかっただろう。
――固いな。
弓を引いたセイラの最初の所感だ。
ステータスで強化された右腕でも固く感じる弦。弓道では正しい姿勢でやればそれほど力は必要ないはずだが、この弓はそれだけでは足りない。間違いなく、リアルであれば引くのも一苦労だ。
弦の固さから威力は容易に想像できる。
弓道では、星羅の行っていた近的競技であれば二八メートル、遠的競技であっても六〇メートルまでしか想定されていない。
だが、この弓はそれを遥かに超える射程範囲を持つだろう。
もちろん、狙った場所に射れるかは別物だが。
本来その大きな弓の違いは、弓道をやっていたからと言って簡単なものではない。
弘法筆を選ばずと言うが、これは筆というよりクレヨンを持たされているようなものだ。
そもそも用途が違う。
普通の人間であればそうだっただろう。
いや、セイラ自身もそうだと考えていた。
けれどセイラは――否、一兜星羅は弓道においては天才だった。自分が思う以上に。少なくとも地元の有名でもない道場から全国有数の存在になるくらいには。
ゲーム内では事故で生じた右腕の違和感もなくなっている。ゲームの障碍者用の措置がセイラの右腕にも適用された形だ。
失われたはずの弓道へのモチベーションも、弓を持ってみれば不思議と嫌な感じはしない。
弓を手放す原因がすべて取り除かれれば、残るは圧倒的な天賦の才のみ。
――静かに右手を放す。
光の矢は木に向かって小さな弧を描きながら飛んでいき、直撃と同時、木に大きな穴を開ける。穴の開いた木は重さに耐えきれず、穴の開いた場所より上を地面に叩きつけた。
魔法のような正確性。
一切命中補正のない武器で放ったとは言えない、美しい射線。
「ごめん、あんま上手くいかなかったや」
「どこが⁉」
フレデリカが反射的に反応する。
素人から見れば上出来すぎる結果だ。
「いや、本当はもう少し下を狙ってたんだけど全然上行ったし、弦が結構固くて少し左にぶれちゃったんだよね」
セイラが指をさした木は、確かに左から7割ほどが綺麗に刳り貫かれ、残った右側が重さに耐えきれずへし折れたようだった。
この結果にセイラは満足が行っていない様子だったが、しかし久しぶりの弓、慣れない固い弦、普段とは異なる環境というディスアドバンテージを背負っていても命中しているという結果は、到底常人に成し得られるものではないだろう。
「何か武道をやっているとは思っていたけど、弓道だったんだね。しかもかなり上手い方の」
ユキナは得心がいったというように頷いている。
この一本の矢でセイラがどれだけ凄いのかは素人のユキナにはわからない。
だがこんな風に周りを圧倒する空気をつくりだす人間は、同じ武道を志してきた者として何度も見てきた。彼らが一人残らずその道の一流だったことは言うまでもない。
そしてそんなフレデリカとユキナの、セイラから見れば過剰にも見える反応に、しかし誰も異議を唱える者はいない。むしろ周りも同じように圧倒されている。
しかしただ一人、真っ先に何か反応しそうなのにもかかわらず未だ一言も発していない人物がいた。
「えと、お姉ちゃん。どうしたの?」
セイラが声を掛けると、固まって一切の反応を見せなかったイリアが似合わない緩慢な動きでセイラを見る。
「お姉ちゃん、泣きそう」
そこには今にも泣きそうな、口をへの字にした姉の姿。
「ゲーム内では泣けないんじゃなかったっけ」
「だから泣けなくて困ってるんだよお!」
「泣く要素あったっけ?」
「だってセイラちゃん弓道辞めちゃってからあんま楽しくなさそうだったし、最初は笑顔も少なかったしさあ!最近ようやく笑顔も増えて良かったなって思ってたけど、やっぱり弓道楽しくやってた頃のセイラちゃんの笑顔ほどじゃなくてさあ!」
「そうかな?」
「そうだよお!本当はミストルテイン渡すときもドキドキだったんだよお!セイラちゃん嫌な思いしないかなとか、お姉ちゃんのこと嫌いにならないかなとか!」
「別に弓道は嫌いになったとかじゃないからね、好きじゃなくなっただけ。ってつもりだったんだけど、今は再開してもいいかなって少し思ってたりもする。まだ案外好きなのかも」
「そっか、そっかあ!」
「思いださせてくれてありがとね、お姉ちゃん」
「良かったよお!」
弓道を辞めた頃とはいろいろと違う。
あの頃は上ばかりを目指していた。
勝つことが目的だった。
大会が近づくほどに、純粋な気持ちで弓を楽しめなくなっていた。
そんな中で、大会での悔しい結果や事故での怪我は、上を目指す理由を失うにはあまりにも当てはまりすぎていた。
しかし今は違う。
上を目指すためでもなく、自身が勝つことが目的でもなく。
仲間のため。みんなで強くなるため。
目的の代わったセイラには、もう一度弓を手にする理由が生まれた。
それはまるで弓道を始めたばかりの頃のような気持ち。あの頃のような純粋な気持ちをもう一度思いだせた。
「ねえみんな」
だからこそ――
「私、今回のレベリングはしばらくソロでもいいかな。ミストルテインを実践レベルに仕上げるためには、たぶん時間がかかるから」
今回のレベリングは性急に行わなければならない。セイラの弓の練習に他のメンバーが付き合えば効率よく経験値は稼げないだろう。
「わかった。――セイラ、強くなって帰ってこい!」
フレデリカがドンと肩を叩く。
「頑張れ」
そう続くのはユキナ。
「これで実践じゃ使えませんでしたは許さないんだからね」
ツンデレ口調だが言葉尻はどこか優しげなサイカ。
「これで我がグリダヴォルと二つ目の神器が揃ったか」
いつもと変わらないラフィ。
「これからはセイラさんが後衛火力エースかもしれないですね!本物の神器も持っていますし!」
「我のも本物だし!?」
やっぱりラフィを揶揄うハンナ。
それぞれ彼女たちらしい言葉ではあったけれど、総じてそこにあったのは期待と信頼。
「うん!」
みんなの思いに応えるように強く頷くと、最後に一番頼りになる姉に目を向けた。
「お姉ちゃん、みんなのレベリングの方は頼んだよ」
「任せてよお!」
未だ涙が出ないなりに泣いているような姿を見せる姉に、セイラは苦笑を浮かべた。
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