第31話予定調和の戦い1
セイラは絶句していた。
伝えるはずだった指示も、唱えるはずだった魔法の詠唱も、すべて忘れてしまって。
否、言葉だけではない。動きさえもどこか緩慢だった。
本来なら責められてもおかしくない怠慢。
けれどセイラが誰かに叱責されるようなことは起こらなかった。
怠慢はセイラだけではなかったのだから。ラフィもハンナも、言葉を、動きを失ってしまっていたのだから。
――白銀の蝶が躍っていた。
そう形容したくなるほど美しかった。
彼女の髪はセイラの『ライト』に照らされ、まるでスポットライトを当てられている舞台の主人公のようにキラキラと輝いていて。
言葉を尽くして綺麗だと伝えたかった。そう思ってしまった。
そんなのを初見で、どうして見惚れずにいられよう。
視線を釘付けにされずにいられよう。
世界が彼女を祝福している。その言葉は決して過言ではないはずだ。
もしも彼女が舞台に立っていたのなら、セイラの感動も、感傷も、感慨も、感銘も、感嘆も、感激も、何も間違いではなかったけれど、ここは戦場で、今はモンスターと相対していて、仕方がなくてもやはり間違いではあっただろう。
では当の蝶の方はどうなのかと言えば。
相も変わらず美しく舞い、予定調和に動きを連ね。
セイラたちの怠慢さえも予想していたというように、一分の隙もないモンスターとの舞を続ける。
セイラたちは戦場というよりも観劇を見せられていたのだろう。魅せられていたのだろう。
綺麗な夜のお花畑にいる、月明かりに照らされた一匹の美しい蝶。
だが美しく舞う蝶と異なり、彼女は敵を翻弄し、躍らせる側だったのだ――
【追憶の森】に入っておよそ一時間。
ハクアは前衛として、想像を遥か上回るレベルで活躍していた。
いつも通りセイラがオーダー、ラフィが火力要因として働き、ハクアのレベルが高いために回復の必要がなくなったハンナは『鑑定』を使ったいつものサポートに加えセイラやラフィの補助に回る。
《Valkyrja Wyrd》でのいつもの戦闘光景に近い。
当たり前のように見えるそれは、現実には後衛の三人と初めてパーティーを組んだばかりの女性で成り立っている。
すなわち今セイラたちの動きがすべて予定調和に回っているのは、ひとえに敵を華麗に手玉に取る蝶――ハクアのお蔭だろう。
俊敏かつ無駄のない動き、視界が狭まる前衛にもかかわらずこちらの状況を理解している把握能力、セイラの指示を想定しているかのような早い動きだし。
モンスターを引き付ける腕も一級品だ。
フレデリカやユキナが攻撃によってヘイトを買っていたのとは違い、ハクアはほとんど攻撃らしい攻撃をせずにモンスターからのヘイトを買い続けている。
その姿は敵も味方をも掌で転がし、すべてを自分の思いのままに操る神のごとき。
「どうやってモンスターからのヘイトを買い続けてるの?」
休憩となった瞬間、理解できない事象についてハクアに訊ねる。
同じように思っていたのはセイラだけではなかったようで、ラフィとハンナも興味深そうな眼差しを向けていた。
ハクアは「ああ」と一言、持っている杖で図を書き始める。
「まずモンスターからのヘイトを買う手段というのは大まかに三つあるんです。一番はもちろん攻撃をすることで、わかりやすく大きなヘイトを買うことができます」
攻撃をすればモンスターはその人物に対して警戒を増す。特にダメージを与える量が多い相手に対してのヘイトは大きくなる。
ハクアは三人が頷いたのを見て、話を続ける。
「二つ目がそもそもの実力差です。今回私がヘイトを買える理由の一部になりますね。モンスターと遭遇したときの初期ヘイト値というのが決まっていて、パーティー間に大きなレベル差があると一番レベルの高い人物がヘイト値の高い状態から始まります」
ミノタウロス戦でのフレデリカがこれだ。あのときフレデリカは戦う前からミノタウロスに警戒されているようだった。
「最後がモンスターのヘイトを買うスキルを使用することです。わかりやすいものだと『デコイ』がこれにあたりますね」
敵からのヘイトを大きく買うスキル『デコイ』。このスキルの使用中スキル使用者へのヘイト値が大きく上昇し、モンスターの攻撃がそのプレイヤーに集中する。タンクのような壁役となる人物が使用するスキルである。
「でもハクアは攻撃もしてなければ『デコイ』も使ってなかったよね?」
しかしセイラが把握している限り、ハクアはほとんど攻撃もしていなければ『デコイ』らしきスキルを使っているようなこともなかった。何かしらのスキル名を言っていた記憶がまずない。
「はい。攻撃をしたり『デコイ』系統のスキルを使用したりすると大きく貢献度が加算されてしまいますから。みなさんのレベル上げをしている中、私が経験値を奪ってしまうのでは意味がありません」
ハクアの言う通り、経験値のほとんどはハクアを除く三人に入っていた。
一番は攻撃をしていたラフィ、サポートのセイラとハンナがだいたい同じくらいの経験値をもらっている。
対してハクアへの経験値はセイラやハンナを大きく下回る数字。実際の戦闘の貢献度は一番ながらもシステム上での貢献度は最低値だ。
「いったいどうやっているんですか?」
目をキラキラさせるハンナ。
好奇心旺盛なハンナは未知の技術に強い興味を持っているようだ。もちろんセイラやラフィも表には表していないものの、とても気になっている。
ハクアは先ほどから地面に書いていた図を示す。
「簡単に先ほどの戦闘でご説明します。この丸がモンスター、モンスターと対峙している三角が私、攻撃役であるラフィさんが星、サポートのセイラさんとハンナさんが四角です」
図は記号で簡易的に示されている。さっき行ったばかりの戦闘を思い返しながら、確かにこんな位置関係だったなと思いだす。
「この場合の問題はラフィさんがヘイトを買いやすいということですね。攻撃をしていない私ではいくらレベル差でヘイト値が上昇しやすいと言っても、ダメージソースとなっているラフィさんよりも通常ヘイト値が小さくなってしまいます」
三人してこくこくと頷く。
この説明の通りならラフィが大きなヘイトを買うはずだ。だが実際はラフィには一度たりともモンスターの攻撃は向いていない。
「そこで私は二つのヘイトを買う行動をしました。一つは攻撃モーションを入れるということです」
「攻撃モーション?」
「はい。実際に攻撃するわけではありません。しかし攻撃モーションを入れれば一時的にモンスターのヘイト値を上昇させることができるんです。このとき貢献度はほとんど加算されません」
モンスターは攻撃されてから動くものではない。
ミノタウロス戦でラフィが魔法の詠唱に入った時点でミノタウロスの警戒が強くなったように、攻撃モーションの時点でモンスターは一時的に警戒を上げる。
ハクアはこれを利用して、ミノタウロスのヘイトがラフィに向く前に攻撃モーションを取り、モンスターのヘイトを管理していた。
「二つ目はこの図を見ていただくとわかりやすいと思うのですが、私がラフィさんとの間に入るような立ち位置をなるべく心がけていたということです」
「我との間だと?」
「はい。モンスターのヘイト値が上昇する要因として、視覚情報での認識というのがあります。どれだけ攻撃されていても、敵を認識できなければ警戒は上がりますがヘイト値は上昇しにくいんです」
モンスターの丸とラフィの星の間、そこの意図するようにハクアの三角の記号の頂点がモンスターに向かい、底辺はラフィに向いている。
「ラフィさんのヘイト値をなるべく上昇させない方向ですね。ラフィさんが狙いをつけ、攻撃する瞬間のみ射線から外れれば、ラフィさんへのヘイトが最低限で済みます」
「凄い……」
感嘆の声が漏れる。
言っていることが簡単そうだが、攻撃をしないでヘイトを買い続けることも、常に動き続けるモンスターとラフィとの間に入り続けることも簡単ではないだろう。
「たいしたことではありません。慣れですから。それにみなさんが速やかにモンスターを倒してくれなければヘイトを管理し続けることは難しかったでしょう」
「上のレベルのプレイヤーってみんなそんなことしてるの?」
だとしたらレベルを上げるというのはただ経験値を溜めればいいというわけではないということになる。凄まじい練度が必要だ。
「ポジションにもよるでしょうか。だいたいオーダーを担うプレイヤーは状況把握のスキルが重要になってきますね。逆に壁役となる前衛なんかだとどんな指示も考えずにすぐ行動に移せる能力の方が必要でしょうか」
もしもここがゲームの世界でなかったなら、セイラの額に汗が伝ったことだろう。現在オーダーを担っているセイラは誰よりも状況把握が重要になってくるということなのだから。
少なくとも正しく状況把握ができているかと訊かれれば、まったく自信はない。
「ハクアは普段はどこのポジションにいるの?」
「私はオーダーをやっていますね。おおまかにはセイラさんと同じポジションでしょうか」
「私、ハクアのレベルまで届く気がしないんだけど」
「大丈夫ですよ、やっていればそのうち慣れますから。私とセイラさんにはプレイ時間に随分な差があるので、私たちの差は経験でしかないでしょう」
「そうかなあ?」
本当に経験だけでここまでになれるだろうか。
少し考えてみるも、ハクアのような立ち回りをする自分が想像できない。考えれば考えるほど気を遣うことが多すぎる。
しかもこれはきっとハクアの技術の一部でしかないのだ。そう考えると時間を掛けたからと追いつける気はしない。
「セイラ、やめておけ。あれは我と同じ天才タイプだ」
「え、ラフィちゃん天才だったんですか?」
「まだ我の才能を発揮するわけにはいかないだけだもん」
ラフィの発言に、いつも通りハンナが突っ込む。
そんな二人を見てハクアが声をあげて笑った。今まで上品に笑っていただけに、抑え気味ではあったものの声をあげて笑った姿はなんだか意外だ。
「いえ、すみません。ラフィさんが知り合いに似ていたもので」
「我がハクアの知り合いだと?」
「どんな方なんですか?」
ハクアはひとしきり笑い終えると、息を整えて「そうですね」と一言、
「私よりも強い人ですよ。本人の前で言うと調子に乗るので言えませんが、私では勝てる気がしません」
「確かに本人を目の前に褒めると調子に乗るところは似ているかもしれませんね」
「そうですね。凄くよく似ていると思います」
そう言って、ハクアはもう一度声に出して笑う。
知り合いの様子を思い返して笑いが止まらないと言ったところだろう。それほど似ているのかもしれない。
セイラもふと頭の中に姉の姿が浮かんで、思わず笑いそうになった。こういう部分は姉とラフィはよく似ている気がするのだ。
「我はハクアよりも強いプレイヤーによく似ているか、そうか…………ふふふ」
やっぱり似ている気がする。
「笑ってしまってすみません。それではそろそろ戻りましょうか」
ハクアの言葉に、三人が気合充分に立ち上がる。
さあ、ここからがレベル上げ本番だ。
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