第23話紅の館4
どれだけ走っただろう。
もう随分と走っているはずなのに終わりが見えない。
館の外の庭で見通しもよいはずなのに、行き止まりに突っかかることもなければ館の端すら最初見た位置からほとんど変わっていないような気がする。
「これが幻覚ってこと?ねえ、サイカ!」
必死に逃げている間ずっとサイカの手を引いていたが、よく考えればなぜセイラがサイカの手を引いているのか。素早さを示すAGIの数値は圧倒的にサイカの方が上なのだ。
サイカの方を見ると、目を回しながら走っていた。かろうじて意識は残っているようだが、手を離せばまともに走ることもできないだろう。
――ぜんっぜんホラーいけないじゃん……
確かに怖い。怖いが、気絶するほどかと言われればそんなことはない。
セイラのホラーに対する耐性は一般的だ。
そのセイラがまだ走れるというのに、ほとんど泡を吹きかけているサイカのホラーに対する耐性が一般的とは思えない。
「サイカ、ほら起きて!このままだと私の体力なくなって化け物に襲われるんだけど!」
走りながらできるだけ大きな声で伝える。
幸い、サイカはその声に反応し、半分失っていた意識を取り戻した。――そして背後を見て、再び気絶しかける。
「こら、起きろ!私の体力は無尽蔵じゃない!」
何が悲しくてゲームの先輩を引っ張らなければならないのだろう。
年齢だってサイカの方が上なはずだ。
オーダーを任されているとは言え、セイラはリーダーでもなんでもないただの新入り。どうして面倒を見る側なんだ。
今度は声だけでは意識を戻さないと判断したセイラは、最終手段、繋いでいる手を思いっきり握る。
紅の館はかつて「村」だった場所の中にある。そのためフィールドの条件は「村の中」という判定になっており、館の外は非戦闘エリア、モンスターなどが現れないようになっている。
このような村タイプの特殊イベントではダメージ判定が普段とは異なるルールで行われ、「プレイヤー同士による攻撃にはダメージ判定がない」という処理になるのだ。
これがバグなのか設定ミスなのか予めの仕様なのかは運営のみぞ知るところだが、これが未だかつて修正されたことはないため、実質的には仕様となっている。
そしてこのようなダメージ判定のない状況において、力はATKやDFの数値ではなくリアルの力が参照される。
セイラは弓道をやっていただけあって、握力が意外と強い。少なくとも男子の平均は上回っている。
そんな人間に力の入っていない人間が手を強く握られたら……
「痛い痛い痛い、死ぬ死ぬ死んじゃうから!」
「ダメージはないんでしょ?死なないから」
「そういうことじゃないわよ!」
なんだかすっと心が沈静化してきた。隣であまりにも怖がり慌てている人間がいるからだろうか。
サイカが自分で走りだしてくれたこともあって冷静に周りを見て分析を始める。
「ねえサイカ」
「絶対振り向かない絶対振り向かない絶対振り向かない」
「ちょっといいから聞いて」
自己暗示のように「絶対振り向かない」を繰り返すサイカの手をもう一度強く握る。
「
「サイカがちゃんと話を聞いてくれるなら」
「わかった、わかったから手に力を込めるのをやめなさい!」
どうやらサイカが意識をちゃんと向けてくれたようだ。
「で、なんなの。打開方法があるの?」
「いや、これって幻覚なんだよね?」
「知らないわよ。でも状況的には幻覚なんじゃないの?」
「じゃあ今って館の中?」
「う、そういうこと、になるわね」
さっき外に出られたことを大喜びしていたからか、自分が今まだ館の中だと知ってサイカが顔を青くする。
「それでさ、さっきから走っても走っても行き止まりがないんだけど、館に近づくことはできるんだよね」
サイカがセイラの言わんとしていることを察したのだろう。口をわなわな震わせながら訊ねてくる。
「ねえ、まさかもう一度館の中に入ろうってんじゃないわよね」
「でも実際はたぶん館の中だよ?ここも。幻覚を見せられているだけで」
「そう、だけど。そうだけど!」
「じゃあ一気に飛び込もう。窓とか割りながら入れないかな?」
「ねえ、本当に入るの?」
「だってこのままだと打開策ないし」
「あんた急に冷静ね!」
「ほら、近くに過剰に怖がったり慌てたりしている人がいるとなんか冷静になるよね」
「ああ、もう!」
サイカも諦めたのだろう、今度はサイカが手を引くように低い窓へと突っ込んでいく。
「覚悟を決めたわ!後悔はしないから、絶対に!」
「ちなみにあの後ろのもモンスターじゃないから放っておいても怖いだけなんだけどね」
魔法を使ってくるわけでもないし、とも付け加える。
モンスターではないため物理攻撃もしてこないし、魔法ギミックもないとなればあの黒い影は本当にただ「怖いだけ」のものでしかないのだ。
「……突っ込むわよ!」
しかしよっぽど怖いのが嫌だったのだろう、セイラの鑑定結果を聞いてなお、サイカの選択肢に「何もしない」は存在しなかった。
目でタイミングを合わせ。
足に力を込め、力強く窓に突っ込む。
窓とは違うパリンと割れた音とともに、二人は新たな部屋に突入した。
***
転がりながら部屋に入るセイラとサイカ。
感覚的には窓を割った気分だったが、後ろを振り返っても人が通れないほどの小さな窓があるだけで、割れた形跡もない。
見つめた先は不格好に整えられたレンガ造りの壁。
けれど赤褐色のレンガは、今まで見てきた血のような赤とは違う。どこか安心感のある古いヨーロッパの一軒家のような印象すら抱かせて――。
「ねえ……」
その言葉とともに、握っていたサイカの手に力がこもる。
「どうした、の」
通ってきた道を見ていたセイラは、そのサイカの声まで気づかなかった。
前を見て、一つ、息を吐く。
息を吐いたところで、冷静になれる気はしなかった。
「ちちち血いいいいいぃぃ!」
驚きの声を上げる前にサイカが叫び声をあげる。
その声に掻き消されるようにセイラの喉から声が出なくなる。
二人が新たに入った部屋はキッチンのようだった。
火を熾す場所があり、釜戸もあり、端には火にくべるためだろう木材が置いてある。加えてまな板、様々な種類の包丁、水場など、おそらく中世から近世くらいのお金持ちのキッチンが参考になっているのだろう。
問題は紐で吊るされている食材らしきものだった。
それらは肉だった。
なんの肉かはよくわからない。あまりわかりたくもない。
ただそれよりも、紐に吊るされている肉に交じって、生首も吊るされていた。
それらはまだ血が抜けきっていないのだろう、ぽたぽたと地面に赤い液体を一定の間隔で落としている。
「紅の館とか魔女の館じゃなくて、普通にホラーの館でよくない?」
「あんた冷静ね!」
――違うよ、もうだいぶおかしくなっているんだよ。
そんな言葉が心に浮かぶが、口にはしない。
代わりに次のことを予想する。
「何が出てくるのかな。キッチンだから包丁を持ったおじさん?おばさん?少女と化け物は通ってきたからそのあたりだよね」
「知らないわよ!は、早くここから出るわよ」
幸いにしてここはキッチン。今までの部屋と違って広さはほとんどない。出口のわからない迷路だなんてことはない。
――でも出口も一つしかないんだよなあ。
嫌な予感は的中してしまうものなのか。
セイラがそう思った瞬間、ダッダッダッ、とキッチンに近づく大きな足音。その音に出入り口に向かっていたサイカの足が止まり、後退りを見せる。
足音はやがて間近にまで迫り。
部屋の入り口には、唸り声をあげるマグロでも捌けそうな大きな包丁を持った血塗れの大男が現れた。
「ひっ」
サイカの小さな悲鳴。
大男はセイラたちを視認するや否やぎょろっとした目を向け、持っていた包丁を手に二人に襲い掛かる。
その速さはまるで何かのブーストが掛かったかのように物理法則を無視し、一瞬でサイカの懐まで迫る。
「あ、サイカ。それはモンス――」
「いやああああああああああああああ!」
それはモンスターだよ。だから攻撃できるよ。
まだギリギリ残っていた『鑑定』のスキルタイムで見えたものを伝えようとするが、そんな言葉が跳びかかる大男よりも早いわけもなく。
また、サイカの手より早いわけでもなく。
サイカの手が容赦なく大男の顔面に突き刺さる。
ぐちゃっ。
嫌な音とともに崩れ落ちる大男。
大男は顔面にサイカの拳が突き刺さったままゆっくりと崩れ落ち、拳が抜けR18指定がかかりそうなグロ映像が現れる直前に、ようやく青い光となって消える。
攻撃力のそれほど高くないサイカの素手の一撃で光となってくれるのだから、どうやらHPは極端に低かったようだ。
ただ後味はひどく悪い。
「……大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫なわけないでしょうがあああああああ‼」
感触が生々しかったのだろう。サイカは大男の血で汚れた手を何度もさすり、ぶるぶると震える。
ああ、可哀そうに。
そう思っている間にも、キッチンだった景色は溶けるように違う場所へと変化を見せた。
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