第22話紅の館3

 視界が奪われるというのはこんなにも怖いものなのか。

 今なら目の見えない人の気持ちを理解できる気がする。あるいは星明りもない日の田舎の夜だろうか。

 視力はいい方で、ずっと都会住みのセイラにとってはどちらも想像でしかない。だが、そう思ってしまうほどに周りは何も見えなかった。

 光の完全に奪われた世界。完全な黒――闇。

 ほとんど経験のない世界だ。

 自分が今目を開けているのかもよくわからなくなって、何度も瞬きをする。もちろん目を閉じようと開けようと、見える世界は変わらない。

 硬く冷たい地面から逃れるように、手で辺りを探る。

 地面はとても平坦でどこを探ろうとも手に伝わる感触は変わりなく、そのせいで女の子座りのままに少しずつ動くけれど、自分が本当に動けているのかも感じられない。

 そんな不安と恐怖の最中さなか、正面、何か柔らかいものに当たった。

 視界は真っ暗、音もなく、匂いもない。

 冷たい地面は変わり映えしなくて、初めて当たった熱を持った柔らかいもの。

 セイラはそれを確かめるように両手で何度も感触を確認する。

「あんっ」

 唐突に聞こえたのは何者かの嬌声。

 今までホラーを経験してきたからかそれが何かのホラーイベントに思えたセイラは身体を震わせ、触っている柔らかい物を自然と強く握る。

「ちょっ、誰よ!私の胸を揉んでるのは!てか痛いんだけど!」

「え、サイカ?」

「まさかセイラ?」

 何も見えない中確認した、今日一日で随分と慣れ親しんだ声。

 時間にしてみればまだ二人はそれほど交流していないが、ホラーを一緒に経験しているせいか慣れ親しんだと言っても過言ではないくらいその声が耳に馴染む。

「ちょっと待って。この柔らかいのはサイカの……胸?」

「わかったならさっさと離しなさいよ!てか胸を触るのは同性でもアウトにしなさいよ……」

 サイカがため息を吐くように愚痴を吐く。

 現代完全没入型ゲームというのは感触や温度、匂い、味など五感含むその他感覚において、ゲーム上の弊害がなければ現実と相違ないほどに完全再現されている。

 それは今までのゲームと違う大きな変化であり、そこに利点もあれば欠点も存在する。

 欠点として予想された問題がセクシャルハラスメント行為だ。これらはゲームによって様々な違いがあるが、それぞれなんらかのシステムで禁止されている。

 ただしこれが『Nine Worlds』の場合判定が甘い。

 『Nine Worlds』における相手の身体に触れるときの制限は、二つに分かれる。

 ①デリケートゾーンへの異性の接触の不可。

 ②性的欲求による相手への接触の不可。

 セイラがサイカの胸に触れたときはこの二つのルールに抵触しなかった。そのため触れることができたのである。

 しかしなぜ接触全面禁止などのルール設定をしなかったのか。

 理由は格闘も攻撃手段に含まれる『Nine Worlds』では、相手に触れる行為そのものを禁止にすることは難しいことだ。

 加えて戦闘だけなら感覚を無くすことだけで未だしも理解が得られるだろうが、『Nine Worlds』は決して戦うためだけに生みだされたゲームではない。

 接触禁止というルールを、ゲーム性を損なわずに行うことがシステム上難しいのだ。

 そうして設けられたのが二つのルール。

 もし異性がデリケートゾーンに触れようとすればシステムにより弾かれ、それが攻撃であればダメージは与えられるもののデリケートゾーンの手前で固いものに当たったような感触があるのみ。

 もし触れるのが同性だとしても性的欲求を感知すれば異性が触れるときと同じような判定になる。

 運営はこれでセクハラは防げる、と見込んだ。

 『Nine Worlds』は性欲関知のシステムを独自で作ってしまうくらい、作りこまれたゲームなのもまた人気の理由なのである。

 セイラは先ほどまでの感触を思いだし、手をグーパーしてはあ、とため息を吐く。

「大きかったなあ……」

「あんたコンプレックスなの?」

「そう言うわけじゃないけど、憧れないわけでもないと言うか」

 セイラは自分の慎ましやかな胸に触れ、ふっ、と息を吐いた。

 ――お姉ちゃんみたいなぺったんではないから大丈夫。

 ちなみにセイラの胸はおおよそ高校生女子の平均程度なので、そう小さいというわけでもない。

「そんなことよりも。ここからどうやって出るのかしら」

 サイカの言葉に、セイラはさっき自分に何が起こったのか思いだす。

「あれ、私たち死んだんじゃなかったの?」

「死んでたらお互い一緒の場所にはいないでしょ。それに魔法着弾の直前に床に穴が開いたのよ。たぶん魔法に当たりそうになったら床に穴が開くシステムだったのね」

「え、じゃああの大量の魔法はなんだったの?」

「魔法取得要件を満たすためと、私たちを絶望させるっていうホラーの一部でしょうね」

 何か正面から破る手段もあったのかもしれないが、あれほど焦る状況でそれを見つけ出すというのは至難の業だった。

 騙された、という気持ちとホラーが終わっての安堵で、二人から「はあ~」と深いため息が積もる。

「よく考えれば紅の館って攻略難易度自体は低かったものね。あの魔法が飛び交う状況を突破って攻略難易度は低いなんてものじゃないし」

「だからって魔法が当たりそうになったら、なんて試せるものでもないし事前に知ってなきゃギリギリまで粘ることにはなるよ……」

 セイラもサイカもゲームを楽しむという点で、攻略サイトで詳細情報を積極的に見ようとは思わないタイプだ。

 しかし今回は心底情報収集が重要だということを理解した。特にホラーかどうかくらいは確認しなければ、と。

「とりあえずここどうやって出るんだろう?真っ暗で何も見えないんだけど」

 しばらくこの暗い空間に来て目が慣れてきたはずだが、未だ隣にいるサイカの姿すら確認することができない。

 何度か瞬きしても変わらず真っ暗な世界だ。

「まったく光がないわね。とりあえず這いながら進むしかないかしら」

「迷うといけないから手つなぐ?」

「それを女のあんたに言われるとは思わなかったわ」

 声色から渋々と言った様子のサイカだが、暗いのが駄目なのか、まだ先ほどの恐怖が抜けないのか。セイラの手を固く握ってくる。

 そのまま二人一緒にそろりそろりと遅々とした進みで移動していったが、以外にも壁に当たるのは早かった。

 壁を軽く押すと、まるで忍者屋敷の回転扉のようにぐるりと回り、そのまま外に放り出される。

 そう、外だ。

 明るい日が差し込み、暗順応をしていた目に強い刺激を与える。

 思わず目を細め、目が慣れてくると館の姿が見える。

 どうやら館の正面扉の少し右隣、その隠し扉から出たようであった。

 目の前には噴水が音を立てていて、整えられた綺麗な芝生が青々と茂っている。

「攻略はできなかったみたいだけど、外には出られたわね。もう二度と来たくないわ」

 サイカは心底安堵したのか、ほっと息を吐きながら立ち上がり、入るときに見た銀の門に向かった。

 セイラも続いて門に向かおうとしたところで、しかしどこか違和感を持つ。

「ねえサイカ。このホラーがこんなに簡単に終わるものなのかな」

「ちょっ、怖いこと言わないでよ。割と早いリタイアルートを抜けてきたんでしょ」

 本当にそうだろうか。

 思いだしてみると、やはりサイカの言う通りには思えない。

 セイラたちは正解に近いと思われる三つの扉の一つに入り、そこで少女と出会った。大量の魔法に襲われ、被弾しそうになったら暗い部屋へ落された。

 ここに不正解があると思えない。

 紅の館が迷路というコンセプトではない以上、選んだ扉そのものが不正解だというのは考えにくい。

 また適正レベルのそれほど高くない紅の館で、少女の部屋での魔法の被弾をすべて抑えて攻略、だなんてもっと高レベルのプレイヤーでなければ不可能だろう。

 セイラはともかく、サイカは適正レベルを超えているのだから。

 しかしもう脱出できてしまうほどに正解を引いた感覚もないのだ。

 少女のイベントで倒すなりなんなり、攻略と言えるような何かがあればそれも考えただろうが、結果から言えば逃げ延びただけだった。

 しかも用意された逃げ延び方で、だ。

 正解でも不正解でもない逃走。それが今のセイラたちの状態。

 さらに恐怖で時間間隔が混乱しているが、まだ館に入ってそれほど時間が経っていない。

 いくらプレイヤーを長時間拘束するようなイベントが駄目とは言ってもゲーム内では時間が六倍にも拡張されているのだから、早すぎるのはイベントとしてどうなのか。

 ゲーム内で一時間経っていても現実時間ではたったの一〇分。そのくらいの拘束は許されないものではない。

 館への攻略を初めてどれくらい経っただろうか。

 セイラが現実時間の時計を見るが、セイラがログインしてからまだ一〇分も経っていなかった。

 どちらかと言えば五分に近いくらいだ。

 ゲーム時間で見ても一時間も経っていない。しかもログインしてから、ということだからサイカと会って紅の館に向かうまでの時間も含まれる。

 イベントの時間にしては少なすぎだ。

 そこまで考えて冷静に周りを見ると、どこか景色に違和感がある。

 少し館から離れて館を見ると、釈然としないものがあるような気がする。

「サイカ、これ終わってないかも」

「冗談よね……?」

「冗談じゃなくて、ほら」

 そこでようやく気づいた。この景色の違和感の正体。

 不気味なくらい左右対称だった紅の館が左右対称ではないのだ。

 道の真ん中から左右で生えている木の位置が違う。片方噴水がなくなっている。――綺麗な左右対称の館はどこか歪んですらいる。

「全然左右対称じゃないよ」

「……これは幻覚パターンね」

 冷静な声で答えるサイカは、しかし顔を見れば真っ青になっていた。声が冷静に聞こえたのは抑揚をつくる余裕すらないからか。

「ちなみにこのあとどうなると思う?」

「よくあるパターンだと景色が歪んで黒幕が出てきたり、そのまま幻覚の中で化け物に襲われたり、かしら」

「サイカはどっちの方が好み?」

「黒幕が出てきてくれた方がわかりやすくて好みよ」

 顔を青ざめさせながら言うサイカを見て、確信した。

 ――これは幻覚の中で化け物に襲われるパターンかなあ。

 そのセイラの予想通り、噴水の隙間から、庭の草むらから、館の隙間から、窓から、あらゆるところから黒い影の化け物が現れ始める。

 瞬間、ふらついたサイカの手を引き、とにかく化け物のいない方へと駆けだした。

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