第18話追憶の森3

 ボスというのはあらゆる状況で出現する。

 ダンジョンであればボス部屋だ。ダンジョンの最奥、あるいは最下層にボスが配置され、ボスに挑むかどうかはプレイヤー次第になる。

 しかし中にはプレイヤーの意思に反して、無差別に当たる移動型のボスがいる。

 不運なことに、【追憶の森】は移動型のボスだった。

「ミノタウロス……」

 誰かがそう呟いた。

 誰だかわからなかったのは、ボスのあまりの威圧に声を上げた人物の声色がおかしくなったからか、それともセイラの感覚を鈍らせたからか。

 セイラは伝承のミノタウロスを思い浮かべる。

 頭が牛、身体が人間。

 なるほどその通りだ。しかしセイラの思い浮かべる牛よりもずっと醜く、暴れ牛というのが正しいような凶暴な顔をしている。

 体長は三メートルほど。ボスモンスターの中では大きい方ではないが、大きさなど強さに関係ない。

 セイラとハンナ、ラフィは慌てて後ろに走りだす。

 ここで近接戦闘力のない三人が狙われては前衛に大きな負担だ。

 対照的にフレデリカとユキナは前へ。

 サイカは後衛三人に攻撃が向かないようにミノタウロスから視線を外さないまま中間の距離を保つ。

 フレデリカを最も危険だと感じたミノタウロスはフレデリカを視線で追った。その動きは大きさに反して緩慢ではない。むしろ俊敏だ。

 ミノタウロスの武器は棍棒。隆起した筋肉はその棍棒を容易に振る姿を想起させる。

「フレデリカ、弱点は⁉」

「ミノタウロスは弱点がないモンスターだよ!その代わり何かに強い耐性があるわけでもない!」

 セイラの声に、フレデリカはミノタウロスと対峙したまま答える。こちらへ振り返る余裕などないことは明らかだった。

 ――厄介なモンスターと当たった。

《Valkyrja Wyrd》は先ほどの話し合いでわかった通り、手数の少ないパーティーだ。

 片手剣プレイヤーがいない。強力なモンスターを抑える壁役がいない。唯一手数のあるサイカは遊撃手で火力が低い。

 加えて本来リーチが利点となるフレデリカの槍は、ミノタウロスの身体が大きいせいで棍棒の間合いよりも狭くなってしまっている。

 そんな状況下で真っ先に頭に浮かぶ作戦は、フレデリカによるパワープレイ、いわゆるごり押しだ。最もレベルの高いフレデリカはおそらくソロでもミノタウロスといい勝負ができる。

 しかし一人ではソロ適正よりは少しレベルが足りないのと、間合いの相性の悪さで勝つのは難しいだろう。

 だが適切にフレデリカから注意を逸らすように全員でサポートに回れば。

 おそらく勝てる。だがそれは最終手段だ。一人に頼りきりのワンマンパーティーではセイラがオーダーを引き受けている意味がない。

「フレデリカ!ミノタウロスを引き付けて!」

「オーケー!」

 弱点のない敵。必要なのは火力だ。今のパーティーで火力順を上げるならフレデリカ、ラフィ、ユキナの順。

「フレデリカとユキナはそれぞれ片方が攻撃を受け止めている間にもう片方が攻撃して!」

「スイッチだね!」

 スイッチが何か、セイラにはわからなかったが、フレデリカとユキナはセイラの想像通りの戦術を取り始める。

 フレデリカがミノタウロスの攻撃を受け、ユキナが攻撃。

 逆にユキナが攻撃を受け止めてフレデリカが攻撃。

 攻撃を受ける側のプレイヤーは衝撃によりある程度のダメージは食らうが、防御に専念していれば大ダメージを受けることはない。

 もちろん息が合っていなければ的確な反撃をすることはできないが、二人の動きは突発でやらされたとは思えないほどスムーズだ。見事にミノタウロスを追い詰めている。

 だがまだ足りない。二人へのハンナの回復が追いついていないのだ。

 そもそも回復魔法は一瞬でHPを回復しきるほどの能力はなく、ましてハンナのレベルは前衛二人に比べて明らかに低い。

 どんなに戦術的に有利を取ろうともHPの多いボスを倒しきるにはギリギリだ。回復アイテムを使うほどの余裕も前衛にはない。

「ラフィ!」

 セイラは力いっぱい声を張ってラフィを呼ぶ。

 ラフィが隣まで来ると、セイラは新たな魔法を唱えた。

「彼の者にすべてを打ち払う光を。『ライトフォース』」

 中級光属性魔法『ライトフォース』。対象者の次の攻撃に光属性を付与し、攻撃力を1.2倍にする補助魔法だ。

 ここまでの戦闘の中で大量の経験値を得たセイラはレベルが25に、RPも大量に獲得していた。

 そこで得たRP使い、セイラはMPへの補正と『ライトフォース』を習得したのである。

「言っとくけど、これは一回しか使えないからね」

「我が最強の魔法を使えと言うことだな!」

「そう言うこと」

 ラフィが不敵な笑みを浮かべる。

 大きく息を吸ったのはこれから長い詠唱を唱える合図だ。

「世界に遍在せし昏き闇よ、何者にも代わらぬ深き黒よ。我は問う。陽光は絶佳か?命の灯は清廉か?否、此れ我が愛しき世界に能わず」

 上級魔法。その中でも、ラフィの持つ最大火力。

かつて光の神は終末と共に失せ、世界は尊き形を得た。思い出でよ、あの安寧を、あの静謐を。我々はえ立て合わざる闇を用いて世界を一旅にて中興すべきなり。踊れ闇よ、失せ光よ。今こそ森羅万象総てを黒に染め上げる、光亡き世界を創造する力を解き放て!『ダークリーヴ』‼」

 ラフィが唱えたのは上級闇属性魔法『ダークリーヴ』。闇属性単体攻撃魔法の中ではトップクラスの高い威力を持つ魔法だ。半面、他の上級魔法のさらに上を行く詠唱の長さと消費MPの大きさが目立ち、通常時に使用するような魔法ではない。

 最強の闇属性魔法にセイラの『ライトフォース』が混じり、光と闇がミノタウロスを襲う。

 詠唱中で光の存在を否定しながら光属性付与してるなー、なんて違和感を持ちつつラフィの詠唱を聞いていたが、その威力はそんな余計な考えをすべて吹き飛ばしてしまうほど絶大な力を誇っていた。

「よし、もう一発行こう。フレデリカとユキナもよろしくね!」

「もちろん!」

「も、もう一発……」

 最初はノリノリだったラフィがもう一発という言葉に反応して僅かに頬を赤く染める。

 一発なら未だしも、この長く恥ずかしい詠唱を二度も唱えるのはラフィでも心に来るものがあるらしい。

「大丈夫、ミノタウロスのHP的に三発目はいらないから」

「そんな慰めいらんよ!」

 関西弁の可愛いつっこみの後、ラフィはしどろもどろに詠唱を始めた。


 連携の考えられた、上々な戦い方と思われたセイラたちの作戦。しかしこれには一つ問題点があった。

「世界に遍在する昏きやみ、むむ」

 ラフィは詠唱を中断させられていた。これがもう三回目。

 素早く動くミノタウロスはラフィの魔法を危険と感じたのか、ラフィが詠唱を始めると周りの木々を使いながら魔法の射線上から外れようとする。

 スイッチ戦法をとっているフレデリカとユキナではミノタウロスをその場にとどめておくことができないのだ。

 セイラも『ライトカッター』を用いてミノタウロスを牽制するが、あまり役には立っていない。

 代わりにフレデリカとユキナの攻撃は当たりやすくなり二人の負担は大きく減っているため脅威としてのラフィは充分な機能を発揮しているが、このままでは大きく時間を食うのが目に見えていた。

 フレデリカも大技が振れればいいのだが、現在半分壁役も担っているフレデリカに余裕は与えられない。

 フレデリカ以上にミノタウロスを抑えられるプレイヤーはここにはいないのだ。今フレデリカがミノタウロスから離れればパーティーは崩壊しかねない。

「準備終わったわよ!」

「じゃあミノタウロスを指定の場所へ!」

 そこで今まで大きな戦いを見せていなかったサイカの声が届く。

 サイカは松明をもって木の幹の上に立っていた。

 戦場から少し離れたその場所にパーティーメンバー全員が注目し、首肯する。同時にフレデリカ、ユキナは動きを変え、ラフィは詠唱による牽制を止めた。

 するとミノタウロスが予想通り、フレデリカに目掛けて襲いかかる。

 フレデリカはミノタウロスの攻撃をいなしながらサイカのいた木の下まで移動すると、ミノタウロスが飛び込んできたタイミングで大きく後ろへ跳ねる。

 ミノタウロスが着地した瞬間、サイカがにやりと笑みを浮かべた。

「かかったわね!スキル『獄炎』発動!」

 ミノタウロスの周りに炎の柱が立つ。

 スキル『獄炎』。炎の柱で範囲内の敵を囲む設置型スキル。炎に触れると継続ダメージと速度低下のデバフが与えられる効果を持つ。

 もちろん、動かなければどうということはない。炎の継続ダメージも、速度低下のデバフもない。

 だが、動かなければラフィが魔法を外すことはない。

「ふっ、ついに来たか!」

 何度も詠唱を寸止めさせられ、そろそろ羞恥心も限界になってきていたラフィがようやくと言わんばかりに魔法を唱える。

「これでやっと終わりだ。『ダークリーヴ』!」

 やっと、のあたりにラフィの実感がこもっていたが、その実感を形にするかごとく強力な魔法が、動けなくなったミノタウロスに襲いかかる。

 ラフィの魔法を見て『獄炎』を受けながらも逃げようとしたミノタウロスだったが、速度低下の効果も相まって、もう遅い。

 魔法の着弾と同時に砕け散るミノタウロスの青い光が、暗い森の中で粉雪のように輝いた。


***


「――それで最後はラフィの魔法で倒したんだよ!」

 一兜ひとと家星羅の部屋。

 そこではベッドに寝転がりスマホに興奮気味に今日の成果を語る星羅と、そんな妹の姿を画面の向こうで生暖かく見守る姉の姿があった。

今日の冒険を語りたかった星羅が姉にテレビ電話を繋いだのだ。

ログアウト前に姉がゲームにログイン状態でないことは知っていたし、電話を掛ければ姉は眠たげな顔をしながらすぐに出てくれた。

「星羅ちゃんはオーダーの才能があったんだねえ」

「そうかな?」

「うん。戦闘中に冷静な判断を下せる人はなかなかいないよ。ちなみにお姉ちゃんは力こそパワーでいつも解決してる」

 ぐっ、と親指を立てる姉の姿に、少し自信を感じる。思わず顔がにやけそうだ。

 星羅は自分の頬を軽くつねると赤くなりそうな顔を誤魔化すように姉に話を振る。

「で、でもお姉ちゃんだって全部パワーだけで解決できるわけじゃないでしょ?」

「そうだね~、特にお姉ちゃんは防御特化だから一人だと適正レベル帯での狩りが難しいんだよ」

「ほら」

「その代わり仲間に火力が揃ってるからね。パーティーでやるときはその人たちにオーダーを任せています」

「お姉ちゃんも頭使いなよ」

「最前衛は脳死で戦う方が強かったりするのだよ」

 確かにオーダーは後ろから俯瞰できる後衛の方がいいのだが、この姉が言うとなんだか言い訳がましく感じるから不思議だ。

「それでセイラちゃん今のレベルは?」

「最終的には26まで上がったよ」

「じゃあとりあえずあと500くらいレベルを上げてもらえると――」

「無理じゃん」

 そもそもセイラがこのゲームを始めたのは姉の我儘と、姉と一緒にゲーム内の世界を見て回る約束をしているから。

 もちろん今は姉とは違う理由で楽しさを見出せているが、世界を見て回る約束が反故になったわけではない。

 ただ姉と一緒に見て回るにはレベルがあと500必要だと……。

当然レベルが上がるごとに必要EXPは上がるのだが、あれだけ冒険をしても姉のパワーレベリングを除いて6しかレベルが上がっていないことを鑑みると、なかなか厳しそうな世界だ。

「大丈夫だよ!星羅ちゃんもこれから攻撃魔法とかどんどん覚えるようになるだろうし、撃破ボーナスも入りやすくなるから!……たぶん」

 攻撃魔法を覚えたところで支援優先の今の状況だと撃破はかなり難しいだろう。

星羅がジト目で姉を見つめると、目を泳がせながら姉は思いだしたように指を立てた。

「それにほら、星羅ちゃん近距離の戦いもやってみたいって言ってたよね!」

「あー、それね」

 もともと選択するプレイスタイルとしては、色々やってみたい、というのが根源にあった。 その中でも近距離を専門的に戦う自信はなかったためサポート優先にはなったが、近距離の戦いもやってみたいという感情が消えたわけではない。

 だがまだまだレベルが低い状態でそれをする気にはなれない。

 何よりギルドメンバーに迷惑はかけられないし、今はみんなと協力し合って戦うことが楽しい。

やがてギルドメンバーにレベルが追いついてきたら、近距離戦闘もやってはみたいが。

「まだ難しいかなあ。パーティー的には壁役以外足りてるし。ってそうだ」

 そこまで言ってある約束を思いだす。約束と言っても必ず守らなければいけないものではないのだが。

「お姉ちゃん今度空いてるときでいいからうちのパーティーに少し加わってくれない?」

「ん、どうして?」

「今壁役がうちのギルドいなくてさ。やっぱりいるのといないのとでどれだけ違うのか確かめておきたくって」

 姉は顎に人差し指を当てて少し考えると、「いいよ」と軽い言葉でOKした。

「私からお願いしといてなんだけど、いいの?最上位プレイヤーってなんかしがらみとかあるって聞いたけど」

「あー、最上位プレイヤーっていうことがバレると確かに集まってくる人たちいるね。どうしたらそんなに強くなれるの~って」

「大丈夫?」

「たぶん大丈夫かな。ほら、お姉ちゃん【始まりの街】にいても誰も気づかなかったでしょ?最上位プレイヤーの中には顔が割れている人って多いけど、お姉ちゃんは顔で認識されてないんだよね」

「有名じゃないってこと?」

 はっきりと訊くと、姉は心外だと言わんばかりにリスみたいに頬を膨らませる。

「お姉ちゃんは超有名だよ!ただ戦闘時はあの姿じゃないってだけ!」

「あの姿じゃない?」

「それは星羅ちゃんが私の足元まで辿り着いたときに知ることとなるだろう……」

「なんかラフィみたいなこと言ってる」

 星羅がギルドの話をする中でラフィがどんな女の子か覚えていた姉は、ぽっ、と頬を赤くし、引きつった表情を見せる。普段からアニメ台詞っぽい格好つけ方を面白半分にする姉でも中二病と思われるのは恥ずかしいらしい。

「とにかく!お姉ちゃんが行くのは――土曜は約束あるから……来週の日曜でいい?」

「うん。土日は全員集まれると思うから、それだと助かる」

「わかった!時間はそっちで指定してくれたらいいから!あ、たぶんお姉ちゃん土曜もログインしてるから土曜も時間空いたら行くよ」

「うん。ありがとう、お姉ちゃん」

「素直にお礼を言う私の妹が可愛い!」

 なんだかフレデリカみたいなことを言っているなあと思いながら、次のログインを楽しみに星羅は布団に入った。



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