【短編】最低な

竹輪剛志

本編「最低な」

 彼女はいったい何度、季節が流転してゆくのを体験したのだろうか。変わり続ける姿、変わらぬ美貌で。その身は男を誑かす九尾の物の怪。古くは殷王朝末帝の后。或いは平安の時代に生きた天下一の美女。そして現代、それらの伝承を残した白面金毛九尾は日本の片田舎に住んでいる。


 ◇ 


 私は最低だ。歴史上で最も最低な女だ。多くの男を誑かし、破滅へと導いてきた。それでなお、彼らへの愛情は失われていないのだ。もし、過去に愛した者と再会をしたなら私は歓喜余って泣いてしまうだろう。それでも今の旦那への愛を失うわけでは無い。つまるところ、私は今まで私を愛したすべての男性を愛し続けているのだ。

 九尾の狐とは脆弱な妖怪だ。人の身に化ける以外何も出来ない故、私は誰かの庇護なくして生きることなどできない。故に、多くの男を利用して生きながらえてきた。

 多くの伝承に出てくるその様は正に悪女だろう。だが、私は決して美貌を利用し、男を篭絡しようとなどと考えたことは無い。この貌の呪いか、私を愛した者達は何故か必ず破滅してしまうのだ。


「いずれ破滅すると分っていても、愛してしまう。なんとも難儀な体質だな」


 旦那は言った。日本の片田舎、古い平屋の居間で。


「ええ、だから貴方様にはどうか幸せに生きて欲しいのです」


 畳の居間には、私と旦那だけがいる。その間には座卓があり湯気がたつ茶が二つ置かれている。壁掛け時計はカチカチと一秒一秒を刻んでいる。部屋の様相は一昔前の平均的な家庭の居間を思わせる。


「……そうか、そんな気持ちだったのだな」


 時計は夜の七時半を指している。今日は休日だから、旦那は和装の部屋着である。


「僕は君を手に入れるのに、途方も無い努力をしたさ。そして、それはこれからもさ。君に相応しい男であり続ける為に、ずっと」

「そうですか…… でも、どうか自分を大事にしてください。もう、あんな惨めな思いはしたくないのです」


 思い出されるのは灰色の記憶達。かつての夫たちが死んでゆく記憶。


「ときに訊くが、なぜ突然、自分が九尾の狐だと?」


 旦那はまじまじとこちらの顔を見ながらそう言った。


「ただ、突然そう思ったのです。秘密を話してしまうのはどうだろうか、と」


 旦那はその答えを聞いて、茶を口につけた。


「そうか…… 君がそうしたのなら、僕も一つ秘密を話そうか」


 茶を置いて、旦那はさらに話した。


「実は僕も妖怪だ。何度も何度も、死ぬたびに生まれ変わってきた。そして、何度も君を求め、手に入れた。つまりだな、君の昔の恋人は全員、私だったんだ」


 私は、その言葉に唖然とした。


「僕は君が好きだ。どうしようもなく愛おしい。何度姿を変えようと、僕は君を愛し続ける。そして、許してくれ」


 旦那は間を置いて一つ、私に向かって言った。


「命を犠牲にして君に尽くすことが君の為だと思っていたこと、そしてこのことをずっと黙っていた最低な自分をどうか、許してくれ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は泣き崩れてしまった。どうやら私の絶望は、杞憂だったようだ。私を愛し、滅びていった人々は今も私の前で元気にしている。私はどうしようもなく、そのことが嬉しくてたまらなかった。


「……怒らないのか」

「勿論、ですよ。私だって黙っていたのですから。最低な女です」


 旦那はいつの間にか私の後ろに回り、抱き着いていた。


「ああそうだな…… 僕らは二人そろって最低な妖怪だ」


 旦那はそう言い、二人は静かに笑った。そうして、九尾の狐の伝説は終わりを迎えたのであった。



※『九尾の狐』の伝承は適当に扱っている故、実際と異なる点が多々あると思いますが許してください。

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