父の指
宮古遠
火葬場の焼却炉のなかにいる。
いるが意識が過去にあるので、ぼくはわたしの回想を語る。
ちいさいころ、わたしが小学生になるよりも前に、わたしの父は農作業中に指の一部をうしなった。左手薬指の第三関節から上を岩で挟んでしまったらしい。そのとき父にわたしは「大丈夫か」と問いかけたが、父はなにもいわず、赤いしみをだらだらとさせながら黙って左手を抑えていた。利き手の逆だった。それをみてぼうっと突っ立っているわたしが気がかりだったのか父は、わたしを真正面にとらえると「自分で食いちぎったんだよ」とわたしにだけ嘘を喋った。母には理由を云わなかった。怒鳴られていた。あまりにも突然だったのでぼくにはそれが本当な気がした。奇妙だった。実際指はみつからなかった。―――などということをわたしは、わたしの部屋の窓の向こうに突如として現れた左手薬指の、とんとんとんと窓をたたく光景との対峙により思い出した。たぶんあれは親父の指だ。でないと尋ねてくるはずがない。
わたしの父はなにを考えているかわからないときがあった。肝心なときになるとぎりぎりまで黙っているせいだった。わたしもそうだった。これもありちいさい頃は母に怒られることが多かった。ここに影響を考えるなら多分にわたしは父の性質を受け取っているのだろうけれども、そこに父親をみたところでそんなものは言い訳でしかない。それにたぶんわたしと父は黙っている理由がまったく違う。父には言いたいことがあろうが、わたしは有することがなかった。
思えばわたしは父親から強く叱咤されたことがない。叱咤してくるのはたいてい母で、それは叱咤というよりもわたしの思うとおりに動け、いうことを聞け、というものだった。とにかくいう通りに動くことがわたしの存在意義だった。意義を失ったいまは無だ。と考えると父がそういう云々で発言をしなかったのはわたしにとっての母であり父にとっての妻である彼女の性質が面倒だったのかもしれないと思う。が、これはわたしの頭の中から出た言葉であるため理路がない。理屈がない。父母はお見合い結婚だったがだからといってそこに愛がなかったかといえばそうではないかもだし、そういう関係になってみてようやく愛らしきものが醸成されることだってあるのかもしれない。夫と妻の属性を有し、父と母の性質へと自分を慣らしてゆく過程でそれをやってゆく、というのがおそらくは結婚なのかもしれない。結婚したことのない人間が云々を言葉にしたところでわからないが。
と、いまのわたしは漠然とそんなことを脳内で反芻する。反芻し窓の外の、親父の指を部屋へいれるべく、窓をガラガラと開ける。すると親父の指は勢いよく飛び、わたしの口の中へ這入り、胃の中へゆき暴れだす。なにをするんだ親父、と思う。親父の指が胃の中で暴れるのでわたしは腹が痛くなる。こんなはずじゃなかった。馬鹿だと感じる。腹痛に悶えるわたしは部屋の中でもんどりうつしかない。が、そうなったところで実は誰もわたしのこの現象事象を目撃しているわけではない。だからこれは世間からみればこの世には存在しない無の一部分だ。わたしはここに存在するが、したところでわたしは微弱すぎる。微弱すぎる人間が苦しんだところで、親父の指にやられたところで、これをどうして親父のせいだと示すことができるだろうか。できないだろう。そんなものはいないのだから。いるはずがないのだから。悶えるわたしは延々とそんな事柄を考え続け、気付けばわたしの意識はわたしが、小学校の卒業式の日の朝にみた父の死に顔の前へ飛んだ。癌だった。
小学生の、卒業証書を抱えるわたしと、顔の上に白い布がかかっている父。それは父のようでしかし物体的には父ではなかった。と思いたかったがそうもいかずわたしはそれをわたしの父だと認知するしかなかった。癌はどういうこともなく人間をむしばんでゆく。父の性質とも相まって余計にたちが悪かったそれは、ぎりぎりになるまで父のことをむしばみ、父を倒した。父はなにも云わないから気絶するまで平然としていた。以降はあっという間で、わたしが覚えていることといえば、元気だったころの父親の真一文字の口元と、例の指の一件である。指についてはいま思えば、覚えていたというよりも覚えさせられたのかもしれない。この、現状の、指との奮闘も、無理に関連付けるならばそのときからはじまった宿命なのやもしれない。わたしはちかちかと明滅する意識の中で漠然とそれらばかりを思う。思いふたたびまた別のなにかを目撃をする。させられる。燃えて骨だけになった父の様相。悲しむ母。
父の身体だったものはよく燃えた。燃えたのでそこに残ったのは綺麗な白い骨だったが、幼少のわたしにはそれが骨だと認識することができなかった。わたしはそのとき、わたしの父が燃えて骨になった様相に対しての悲しみよりも、わたしも燃えてしまうとこのような骨がわたしの中から現れてこのような風体を晒すのか、などと思った。言葉遣いはいまのわたしの回想だからこうなっているが間違いなくそれを受け取った。だから骨というものに対してわたしは漠然とした嫌悪があった。そしてわたしの記憶する父の云々はこれまでだ。これ以上はなにも残っていない。高校一年生よりまえの記憶がすべて曖昧な人間であるわたしからすれば、これらはまだよく事象を覚えているほうであると思う。その云々の中から指が飛び出してわたしのなかに這入ったのだろうか。―――というのは、そもそも指がひとりでに、親父の身体から離れたのち十数年も腐らぬままわたしの部屋の窓の向こうへ現れるはずがないからだ。とすれば先ほどからいまにまで起こる苦痛と回帰の云々は幻覚と思うしかなく、それによって苦しむわたしはやはり一人芝居がすぎる。そしていま改めて思うが、そもそも現在のわたしは小学生でも、高校生でも、社会人でもなんでもなく、父と同じに癌になって死んだひとりの老人だ。その老人たるわたしがいま、火葬場の焼却炉の中でみている云々がそれらすべての事象だ。閉じた焼却炉の中でわたしは過去へ広がりを見出したが、これはあくまでもわたしからはじまりわたしに終わるすべてなので、わたしはここにしかいない。死んだわたしは痛覚も視覚もなにもかも無くなったが、どうもいまだに聴覚と頭の思考だけがいみじくも生きているらしい。そしてわたしはいまこの最中で、焼却炉に火が灯った音を聞く。骨になるのだ。父のように。だがその前にわたしは再び、親父の指を呑み込みもんどりうつ場面へ戻される。痛覚を実際に感じるはずがない状態で、痛みに悶える。
父の指はわたしのことをどうしたいのだろうと考える。わざわざ死にあるわたしの回想の中に現れて、わたしに危害を被るからにはそれ相応のなにかがないといけないような気がしてくる。別になくてもよいのだが、父が最期にわざわざ指だけになって現れた意味を考える。しかしなにもわからないし、死んだあとも必死になにかを考えなければならない現状自体が非常に意味不明で、不快だ。わたしになにをしろというのか。わたしを悶えさせてどうしたいのか。ほとんど喋らなかった父と、父から分離しわたしに這入りわたしを苦しめる左手の指。そのふたつがそこまで性質的には変わりのないものとはこのときまで思わなかった。
思わなかったが、ここでひとつ感じたのは、父がわたしに嘘を云ったのは、父が父であったからこそなのかもしれない、ということだ。たぶん、あのときすでに父は病魔に侵されていたと思う。その中で怪我をして指を失い、それを目撃したわたしに弱弱しさを見せたくなかった、のかもしれない。―――わからない。わからないがそれを「食べた」とすることで、自分で自分を苦しめた、殺した、としたかったのではないか。つまり。これは。そう。父は。自分を殺したのは癌ではなく自分自身でしかなかったと。他でなく己がやったのだとわたしに示したのかもしれない。そうかもしれない。と感じたがもう、わたしは燃え、消えてゆく。骨になる。音もなにもわからない。死としての暗闇それすらもない。ぼくは父の子。父の一部。ぼくは父の食べた指であり、だからこそ父はわたしへ這入った。無言こそが父の言葉だった。正しさのない答の見出し。一瞬の光。腹底。―――失。
父の指 宮古遠 @miyako_oti
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