38 青果と不熟
働かざる者食うべからずが我が家の家訓だと言って、隼人に連れられた小さな畑はいわゆる家庭菜園とでもいうべきものだった。小さな畑に生えている植物は数種類がそれぞれ二、三株ずつ綺麗に並んでいる。丁寧に世話をされているのだろう、柔らかそうな土はしっとりと水を含んでいて植わる植物は実に瑞々しく茂っている。
「そこの葉物は収穫できる、アーネストはそっちのアフェを引っこ抜いてくれ」
「これですか?」
「そう、そこのでかいやつ。キザノエっていう……えーと、キャベツに近い。アフェは根菜だな」
「おい、何本だ」
「三本」
アフェとやらの収穫数を聞くアーネストに端的に答える異世界からの来訪者。白く濁っている右目はほぼ見えないらしいというのに隼人はそんな風には見えない、てきぱきと指示を出しながら聞いた事のない植物の名を上げている。長い髪をくくった男二人が指示に従ってしゃがんで畑仕事をしているのを見ながら、自分の背丈よりはやや低いくらいの木から木の実を見る。はあ、と。溜息が知らず零れ落ちた。
「なんで私が……」
手で捻れば簡単に取れるからと言われた拳ほどの実を適当に毟る。
柑橘系のいい匂いがした、形状はオレンジに似ているが赤と紫の斑模様ときた。自分達がいた世界もなかなか広いとは思うが、全てを見聞きしたわけではないが。恐らく同様の物はないだろうけったいな風貌の果物である。皮と思しきものも随分と硬い。
「働かざる者って言ってな、」
「だから私は食事は必要ないと言っているだろう」
「食べないからと言って働かなくていいわけがないんだな」
隼人は畑の雑草を引き抜きながら雑に答える。どうであっても働けという事らしい、完全に労働力として見られている。
「あの人間こわいもの知らずか……?」
大きな籠を抱えたリーネンがぼそりと隼人を称する。
自分達の事を天使と悪魔だと知った上でのこれである、驕るわけではなかったが人間とは違う存在である我々に臆することなく顎で使う男の胆力に言葉もない。天使はともかくとして、悪魔など畏怖の対象だろうに。
リーネンがこちらの収穫した果実を籠に集めている、ぽい、と今しがた手にした果物を放り込んだ。たわわに成った実、まだ青い未成熟のもの以外はすべて収穫しろとのことだった。斑模様の境目がくっきりしてきているのが目安だと言う。また一つ手に取る、ぽろりと刃物も必要とせず簡単に枝から離れる果実、作業は単純だが面倒だ。
ルアードと梓は食事を作るからといってキッチンへと引っ込んでいた。料理を手伝うか庭で収穫を手伝うかの二択を迫られ、どちらもしないと言う選択肢はなく。全部放り出してさっさと逃げてしまえばよかったのだが多勢に無勢、にこやかに梓という少女に一抱えほどの籠を手渡され、天使にやはりまだ本調子ではないのかと体調を心配され。何もかもが面倒になって現在に至る。
やはり逃げておくべきだったか。
ふうと息を吐く。庭の隅に植えられた低木、緩やかにそよぐ風がさわやかな香りを運んでいた。空から暖かく降り注ぐ陽の光、葉陰が踊って足元に模様を作る。
ちらと見やった先には隼人の指示を受けながら畑になった作物を収穫するアーネストと天使。慣れた手つきで土の中から腕程の長さのある植物を引き抜くアーネストとは対照的に、天使は小さなナイフ片手に人の頭ほどある野菜と格闘している。根を切ろうとしているようだったが上手くいかないらしい、長剣を意のままに操る剣の使い手でも用途の違う刃物には苦戦するようだった。天界でスカしていたであろう天使が泥にまみれている様は実に滑稽だ。
「難しいものですね……」
天使はもういつものようにへらへらと笑っていた。
重いですねぇと何とか刈り取ったらしい葉物野菜を持って、何事もなかったかのように振舞っている。あんな死人のようにからっぽな表情をしていたとは思えない程、穏やかに泥にまみれた手で笑っているのだ。あの悲し気な眼差しも色のない声も綺麗さっぱり消え去っていた。夢でも見ていたのだろうかと思うほどにいつも通り。
「庭仕事が得意な天使っているのかね」
天使が収穫した丸い葉の塊、少々歪に刈り取られたそれを受け取りながら隼人の何気ない質問。悪魔を殺すことを信条にしている天使がそんな平和な事などしないだろうと思ったのだが、天使にはどうやら心当たりがあるのか、そうですねと考え込むかのような素振りを見せる。
「農業を守護する存在でしたらミカエルですね、彼岸の過ぎた九月の末、昼と夜の時間が同じになる日。秋の収穫の時期に神への感謝を通じて豊穣を祝う祝祭があります」
ミカエルと言えば炎を纏う戦天使だと聞き及んでいたが、どうも色々と役割を割り振られているらしい。人間を守護する天使、雑多な魔界とは違いそれぞれが厳粛に行動しているのだろう。他の為に与えられた役割を遂行する――それは。個を殺してでも守り切らなければならないものなのだろうか。
「へぇ、豊穣への祈りってのはどこの世界でもあるもんなんだな。うちも秋に収穫祭やるぜ」
「実りは命の恵みですから」
「エルフ達もやってるなあ……なあ、お前のとこはあったか?」
「ん?」
「収穫祭みたいな祭りてあった?」
黙々と作業に勤しんでいたらしい、大食漢の男が間の抜けた声を上げる。手には先程引き抜いたらしい根菜が三本抱えられている。それをどさりとリーネンとは別の籠に放り込みながらええと、と。少し考えこんで。
「あー……うちの村では収穫が一段落ついたら、女達が色んな飯を作って……うん、その時にしか食べられないやつとかあったな。祭りってほどじゃない、今年もお疲れみたいな」
思い出しながらなのだろう、元から言葉数の少ない男はぼそぼそと口にしていた。
「……もう随分前の事だからな、よく覚えてないが」
村を竜人に滅ぼされたというアーネストが、どこか懐かしむような声で淡々と口にする。隼人は呆れたように苦笑した。
「飯の事しか覚えてないのかよ」
「仕方ないだろ、七つの子供なんざ祭の意味なんか知らん」
そもそももう十五年も前の事だ。
アーネストはぶつぶつ言いながら、次はこっちだなと言ってまた別の青果に手を伸ばしていた。足元の草に成る赤く小さな実を着ける茎をぷちぷちと千切るようにして集めていく。天使はと言えば、ふわふわと実に間の抜けた表情でまた次の丸い葉物と格闘を始めていた。二つ目ともなれば多少はコツをつかんだのか先程よりもスムーズに刃を滑らせている。根を切って持ち上げれば、ぽこん、と言う音でも聞こえてきそうな動きで地面から離れる葉物。それを天使はどうでしょうかと隼人に手渡していた。
「うん、ありがとう。キザノエは十分だ、ラハンの収穫手伝ってやってくれるか」
「はい」
人使いの荒い隼人はこちらを指差しながら天使にまた指示する。
手にした赤と紫の斑模様な果物はラハンというらしい、顎で使われていると言うのに全くもって気にしていないらしい天使がのそのそとこちらにやって来る。にこりと笑う男に、何とも言えない居心地の悪さを覚える。
「では私はこちらを」
木は二本しかない、男は並んで植わるもう片方の実をもぎ始める。長い腕が高い所に成った実に手を伸ばす、ざわざわと葉の擦れる音、触れるからだろう、柑橘に似た香りが辺りに充満する。
さほど離れていない果樹、交わす言葉もなく背中合わせのようにして妙な色彩をした実を収穫していく。背後で同じように作業をする天使。かける言葉など何もないのに、なんだか気になってしまって落ち着かない。男は何も言わない、言い訳も、取り繕うようなことも。あまりにもいつもの通り。なかった事にしたいのかもしれない。……先程までの男の、無とも違う顔と言葉が耳の奥で反響する。何もかも諦めた表情をするくせに。まるで嘘つきな男。僅かに覗いた深淵、誰にも言えない事。知られたくない事。
――なんだろう、辞めてしまいたいのだろうか。
天使の王というものが辞められるものなのかはわからないが、命に終わりがある以上代替わりくらいはするだろう。そういえば以前師匠がとかなんとか言っていた、先代もいるのではないだろうか。
ぽい、とまた果実をリーネンの籠の中に入れる。
果実の収穫はやりやすいのだろう、自分よりもさくさくと手にとっては同じようにリーネンの籠にそうと入れていた。たわわに成った実り、低木だが数はそれなりにある。
「沢山必要なのですか?」
頭上から降り注ぐかのような優しい声色。
頭一つは違う男の、結われたまるで尻尾のような金色の髪が動くたびにさらさらと踊っていた。
「ああ、ジャムにして売り物にするんだ。スコーンなんかにもいい」
「……タルト」
会話に単語のみで乱入してくるのはアーネストだ、小さな籠一杯になった赤い実のついた茎を抱えて、持ってって来ると小屋へと向かっていった。言うだけ言って満足したのだろう。離れていく背を目を丸くして見ていた隼人が、ぶは、と。思い切り噴き出していた。
「ああ、アーネストはタルトの方が好きだよな」
「きっと美味しいのでしょうね」
「そりゃあ梓が作るんだからな」
穏やかな天使の声と得意げな隼人の声。男たちの会話を黙って聞いている。
ぷちりと軽い音を立てて簡単に茎からはがれる実、真面目に行うつもりなどはなからないので適当に毟り取っていた。ぽいと籠に入れる、リーネンも天使が参戦してきたからだろう、二つの木の間に籠を置くとぺたりと座り込んでいた。暖かな日差しにふわ、と欠伸までしている。ゆらゆらと揺れる尻尾。
「……この世界に来たことに後悔はないんだが、まあ食べ事はな。食文化が違い過ぎてあれこれ試行錯誤してるんだ。実験と実益を兼ねて畑作ってみたり売り物作ってみたり……肉とか玉子なんかは購入しなけりゃならないんで小銭を稼ぐ必要があってなぁ」
言葉も常識も文化も違う異世界からの来訪者が出来る事などたかが知れていたのだろう。ルアードやオリビアが手を貸していたようだったが、生きていくには仕事が必要だ。いつごろこの世界の定住を決めたかは知らないが、植物の手入れなどは似かよっていたし双方食事を必要とするのであれば料理は手っ取り早かったのだろう。
「俺は! 米が! 食いたい! あと味噌汁!」
突然こぶしを握りながら、隼人は強く訴えた。
あまりの形相に天使がぽかん、と目を点にさせている。
「小麦っぽいものがあって、パンが出来るんだ。パンだねを細かく丸めたやつを大量に作れば米っぽくなるかと思って実行してみたんだが」
「……ど、どうだったのですかそれ」
「米じゃなかった……」
く、と実に悔しそうにしている男にそりゃあそうだろうよと。思い切り突っ込みたくなるのをぐっとこらえる。真剣だったのだろう事が解る分、男の悲壮感に満ちた表情は笑うに笑えない。
「いけると思ったんだ……でも焼けばパンだし茹でたらパスタだし、何とか似たようなものはないか探してんだけどこれがなかなかなくてな……」
籠に入れた野菜を整理し、収穫した果実を籠から麻袋に入れながら隼人はぼやく。
「豆のようなものは栽培しているが麹がわからん、味噌も醤油もまだ完成はしてないが魚醤ぽいものは出来た。梅干しも似たような木の実で代用してる。まあ食うのは俺ら兄妹だけだし、個人的な趣味と実益を兼ねてあれこれ実験的にやってんだ」
「物凄い食に対する情熱にゃ……」
食に対して熱く語りだした隼人に、くしくしと目をこすりながらリーネンは若干引き気味に口にする。食事を必要としな我々からみればあまりにも非効率な行動だ。
植物を育て収穫し、加工して食べる。
生あるものの一連の流れは非常に面倒だ。味にも拘れば際限がない。似たような環境であるとはいえ異世界である、恐らく植生は違うのだろう。けったいな色をした果実、似ているものの決定的に違う植物。……次元を違えた世界だと言うのに、多少の差異があるとはいえ似たような姿形の生物と植物、普遍的な法則。昼があり夜がある。空があり風が吹く。
「どうせなら美味いものが食いたい。あと故郷の味はやっぱり忘れられないもんだぜ。このへんはアーネストならわかってくれるんだろうが、あんたらは食べないんだってな」
「必要がありませんので……」
饒舌に語る隼人に対し、天使は困ったような笑みを浮かべながらまた似たようなことを繰り返し告げていた。何度も説明する羽目になっていると言うのに男は嫌な顔一つしない。
「それも随分寂しいもんだと思うがね」
作業の手を止めないまま隼人は食事が必要ない事は寂しいと事だと言う。似たようなことをルアードもいつか言っていたなと思い出す、食事を必要とする者たちの共通認識なのだろうか。暖かな食事は小さな幸せ、だったか。……幸せなど。そんなものは望んでいない。
ぴくりとリーネンが何かに反応した。頭の上の大きな耳をそわそわと揺らしながら金色の目を更に大きく見開き、きょろきょろと周囲を見渡す。敵襲だろうかと僅かに構えたが、ここは厳重に張られた結界の中だ。僅かにしか発露しない霊力で周囲の気配を探ってみるが、『魔』の気配も他の悪魔のものも感じられない。
そうこうしている間にも、たしっと。大きく跳ねたリーネンが両手で何かを地面で抑え込む。習性は猫よりだ、きっと蝶か何かでも見つけたのだろう、と。そんな事を悠長に考えてたのが悪かった。
「見てくださいにゃあルーシェルさま!」
ぷらん、と。
得意げにこちらの目の前にぶら下げられたそれにひゅう、と。音を立てて血の気が引いていく。
じたばたと動く小さな生き物、長い尻尾、ふわふわとした茶色の毛むくじゃら。
「――――ッ!?」
声にならない悲鳴を上げて思い切り後ずさった。
どん、と天使に背中をぶつけてしまったようだったがそれどころではない。
「こんにゃに丸々として立派なネズミです!」
何が嬉しいのか知らないが、リーネンはにこにこと満面の笑みでこちらに捕まえた小さなそれを見せつけてくるのである。じたばたともがく手足、キィキィと鳴く声、ゆらゆら揺れる尻尾とどれをとっても正しくネズミである。真っ黒な目がこちらを見ていて動けない、動けないのに目を逸らせない。
「大丈夫ですか?」
後ろから声がしてびくりと肩を震わせた。見上げれば青い瞳の男がこちらを見下ろしてきている、どうしたのかと言わんばかりに背後からこちらの両片に手をおいて、支えるようにして覗き込んでいるのだ。
「な、な、なんでもな……ひ、ッ」
取り繕うとして先程よりも一際大きく暴れるそれに、喉の奥から引きつれた様な音を立てて息を飲む。情けないと解っていてもどうしても駄目だった、震える脚、硬直した身体は重く逃げたいのに逃げられない。
「……悪魔でもネズミって怖いんだな」
「こ、恐くない! 驚いただけだ!」
「それでか?」
苦笑しながら隼人に指さされてそこで初めて気付いた、ぎゅうと天使の服の裾を握りしめていたのだ。慌てて手を離すが指先が震える、たった一言そんなもの捨ててしまえと言いたいのに、リーネンが放り出したとしてその後どうなるか――解るようで全くわからない。小さな獣がどこに飛んでくるかわからないのだ。喉の奥で言葉が張り付いた様に出てこない。唇が渇いて、耳の奥で血の流れる音ばかりが大きく響く。
「ルーシェルさまこわいにゃ?」
ネズミから手を離さずリーネンがきょとんと問うてくる。何とか逃れようと暴れるネズミをぎゅうと握りしめ、金色の大きな瞳が不思議そうにこちらを見ているのだ。こわくなんてないと、声が震えそうになるのを押さえつけて口を開きかけた時。
「リーネンさん、私も苦手なのです。放していただけませんか」
「はあ?!」
ちっとも恐れた様子のない天使の柔らかな声が頭上から降ってきて、思わず声を荒げた。何もかも斬り伏せる天使がネズミ一匹ごとき恐れる筈もないのに一体何を言い出すのかと。苛立ちのままに振り返ろうとして、酷く近いところに男の顔があった。ひゅ、と。呼気が詰まる。こちらの肩から離れないままの両手、いやに綺麗なのに大きな男の手は温かくて、密着した状態である事をそこでようやく気付いた。意識が向いたと同時に気付いてしまった伝わる熱に、体温に。かあ、と。頬が急激に熱を持つのが解った。
「き、貴様はなれ、」
「……ヨシュアもこわいにゃ?」
ネズミと天使とに挟まれ完全に動けなくなってしまったこちらに向かって、リーネンはこてん、と小首を傾げた。
「はい、ですから、」
手を離すよう天使が促すのだが。
何をどう受け取ったのかリーネンはそっか! と。その薄い胸をこれでもかと張って得意げに笑った。ぷらぷらと揺れるネズミ、大きな三角の耳の猫型悪魔。投げ捨てるのだろうか、ならばこちらに向けるなと口を開いたが無邪気に上機嫌なリーネンは明後日の方向に事態をぶち投げた。
「しょうがにゃいにゃあ! じゃあ早く食べちゃいますにゃ!」
「え、」
そう言うやいなや、リーネンはがぶりと。ネズミに頭から齧りついたのである。ぴっと飛んでくる赤い血、バリバリという骨を噛み砕いていく音が響いて――今度こそ、へたり込んてしまった。
※
「あのね、リーネンちゃん。変なもの食べちゃダメでしょ」
「おいしいのに……」
血塗れになったリーネンの口元をルアードが濡れた布で拭うが、当の本人と言えば非常に不服そうにしていた。使い魔である低級悪魔にとっては日常的なものだったのだろうか、小さいとはいえ慣れた様子で獣を丸ごと噛み砕き飲み込むさまはなかなか衝撃的なものだった。永らく戦場を駆けてきた自分ではあったが、可愛らしい見た目の低級悪魔の肉食は流石に目を疑った。獣的な動作をして、おいしーいとニコニコしているリーネンにルーシェルなぞ絶句していた。声もなく蒼白になっていたのである。
使い魔ががりごりと骨を砕く様子を目の当たりにして貧血でも起こしたのだろう、力なく座り込んでしまったルーシェルを抱き上げて小屋の中へと戻ってきていた。彼女は非常に嫌がったものの、だからと言って血の気の失せた状態でくらくらしているのに畑に放って置く事も出来ず。抱きかかえて室内へと戻っていた。暴れる彼女の腕の細さと非力さに面食らうものの、己の腕の中にすっぽりと入ってしまう彼女の小柄さの方が気になった。
冷えた指先と青白くなってしまった表情、覇気がないだけで際限なく続く罵詈雑言。適度に流しつつ、椅子の上にそうと座らせた。彼女の使い魔よろしく不本意であると思い切りその美しい表情を歪ませている。
……ネズミが怖いだなんて。
名に聞く冷酷無比な魔王でも随分と可愛らしいことだ。
「変な病気とか持ってたらどうするの」
「悪魔にゃんだから問題にゃいもん」
「というか、悪魔って物を食べないんじゃなかったのか」
「上級悪魔の方々が上品ぶってるだけじゃにゃいか、おやつくらい食べるにゃ」
ルアードと隼人の言葉にリーネンはぶんむくれていた。彼女にとっては日常茶飯事なのだろう、美味しくおやつを食べただけなのに四方八方から非難されて面白くないと顔いっぱいに書いていた。
「はーい、それじゃあこっちのおやつ食べましょ?」
梓がキッチンから何やら沢山載せたトレイ片手に入ってくる。ふわりと甘い匂いが部屋中に充満して、すんすん、と。顔をしかめたままのリーネンが鼻を鳴らしていた。
「……なんにゃそれ、」
「クッキーとカップケーキだよ~」
「タルト、……」
「今冷やしてるから、お夕飯の後ね」
すす、と寄ってトレイの上を確認するアーネストに、梓はにこにこと答えていた。普段あまり表情を変えないアーネストだったが、余程好きなのかそうか、と小さく口にしてわかりにくくも表情をほころばせていた。それを満足そうに見ながら、同じようにコップと水差しを持ってきたルアードがそれらをことりとテーブルの上に置く。
「みんな収穫ありとね~とりあえずちょっと休憩しようぜ。リーネンちゃんも次からはこっちを食べてくれると嬉しいかな」
「……ネズミより美味しいにゃ?」
「ま、まずは食べ比べでしょ」
ルアードがクッキーを一つ摘まんでリーネンに差し出す。
それを訝し気な表情をしながらも受け取り、ルアードから目を離さないまま小さく齧って。びっくり、というのがぴったりの表情で目を丸くした。
「…………悪くはないにゃ」
「それはよかった!」
「じゃあお茶にしましょう~」
さあさあ座って座って! ルアードに促されリーネンはテーブルにつくと、先に食べ始めていたアーネストと同様カリカリと軽い音を立てながらクッキーを食べ始める。梓もグラスにまた先程とは違う色のものを注いでいた。ルーシェルがげんなりしたようにそれらを見ている。
「ん、グラスの数が足りないな」
隼人の声にそういえばと思い出した。
先程風に当たると言って外に出ていったルーシェルに渡したグラス、彼女はいらないと言っていたので外のベンチに置いたままになっていた。
「すみません、取ってきますね」
「悪いな」
いいえと小さく言い残し、一人庭へと出た。
扉を開けると風が吹いて薄く目を細める、降り注ぐ陽の光は暖かで心地よい。先程まで二人でいた木製のベンチの上に、グラスは変わらず置かれていた。濃い紫色のジュースは中の氷が解けたのだろう、少し薄まったように見えた。せっかく用意されたものをそのまま戻すのも失礼だろうか、飲んでしまおうかなどと。そんな事を考えていたらふわ、と。ごく微量ではあるが酷く慣れ親しんだ気配がして顔を上げる。
柔らかな光、暖かな風、音もなく地に落ちる真白い羽根に目を見張った。
「ヨナ、」
白髪の三つ編みを一つにまとめた、淡い青みがかった緑の瞳をした一人の少女がふわりとそこに降り立っていたのだ。背にある真っ白な小さな羽を広げて、うっとりと少女には似つかわしくない程に優艶に微笑んだかと思うと。
「メタトロンさまぁぁぁん!」
物凄い勢いで抱き着かれた。絶叫と共に。
「ちょ、ちょっとヨナ、あなたどうしてここに、」
「もちろんアンカーですぅ! 随分とぉ、探したんですよぉ!」
大変だったんですからと尚も大声で叫びながら少女はぐりぐりとこちらへと頭を押し付けてくる。リーネンとさほど変わらない小柄な体を無理矢理引きはがすわけにもいかず、肩に手を置いて落ち着いてくださいと声をかけるがヨナは聞き入れない。ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる少女に、仕方がないなと息を吐いた時。騒ぎに驚いたのだろう、ひょこりと窓からルアードが顔を出した。驚いたように自分と少女を交互に見やる、その背後から何だ何だと兄と妹も覗き込んできていた。
「え、……っと。ヨシュアさんその子は?」
「あ、えと、彼女はヨナと言いまして」
アンカーとしてやってきた少女の紹介をしようとして。
「メタトロンさまのぉ、お嫁さんですぅ!」
こちらの言葉を遮って、白髪の少女は高らかに言い放った。
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